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働きはじめたきっかけ

元が畑違いの仕事をしていたこともあり、

企画とかできる人を今探してる・・・ そんな声かけいただいたことがきっかけで

期間限定で支援希望との話もあり、アルバイトでこの業界に入ることになりました。


企画等のお手伝いを!!の予定が、、、やはり開発会社であるからには開発をわからなくては意味がないだろうという粋(?)な取り計らい・・・をしていただき。。。
右も左もわからないまま開発としての人生スタート。

無理でしょ、、、これと思いつつ。。もともとパソコン操作すらままならない状態で、

やりはじめました。

来る日も来る日も周りが話す言葉が異次元の言葉にしか聞こえない。

そんな毎日を過ごしてました。

もともとの得意分野の話をできる相手もいなければ

やりたい仕事もそこにはない。そう思って なんどももう嫌だと思う日々。

その上 できなくて悔しくて泣いての繰り返し。

何時間やってもやっても終わりが見えない状態に陥りメンタル的にもしんどい

そんな生活つづき とにかくやるしかないで働いた。

ある日気づけばモノが作れるようになっていた・・・

周りの言葉も日本語に聞こえる。

なによりも お客さんが喜んでくれている そんな姿をみた日に

初めて開発してよかったと 思ったそんな瞬間をまだ覚えています。



私が開発していた時代なんてかなり前で 今は何倍もの速度で進化し

そこに対応していく仲間はやはり素晴らしい能力だとおもってます。

私自身はモバイルのコンテンツ、IVRシステム、約定管理や抽選システム、HPにECサイト、オープンソースもさわってみて開発としてものづくりを経験をさせてもらいました。

通販そのものの事業立ち上げの手伝いや

分析等のマーケ部分の支援や

数年がかりの大きなPJスタートにも携わり 人の選定、や協力する形

協業するとかの形ができてきました。

今は一社の力じゃすすみません。

周りの協力あるから 色んなことが実現しやすくなってます。


もともとがマーケの人間なのに

全く異業種にいたことで、もうヤダ!と思う日々もあったけど

結果この経験のおかげで 売るもののことを理解したし、

相手の悩みもきける 考える思考が一つに偏らなくてすむことは 自身にとって

最高のことだなと。


沖縄ラボの立ち上げも自分にとって 初めてづくしでしんどかった分

県や役所の方々の支援もいただき、場所をみつけ、人とつながり

働く仲間を探し・・・ そんな活動は楽しくもあり 余計に愛着があります。

現在は 開発部をまとめる立場だけど 開発できない(笑)部長です。
だからこそ一線引いてみることができて悩みも聞けることがメリットだとおもってます。

もう言語も変わり時代もかわったので 開発手法については日々進化しているので

へぇーっと教えてもらうことが多いですが。

ただ、時代はかわっても根本的な考え方とか 思考の持ち方とか

仕事の取り組み方とか そこは時代を重ねてもぶれないものがあって

少しでもそのことをみんなに伝えていけたら 嬉しいなと思います。