山形県天童市の思い出
僕は山形県天童市という人口6万人ほどの小さな地方都市で18歳まで育ちました。
冬は膝くらいまで余裕で雪が積もるのに夏は40度近くまで気温が上がる、という
「え? 東北って涼しいんじゃないんですか?」
と誰からも聞かれるような環境な上に
「天童市ってどんなところなんですか?」
と聞かれても将棋の駒ぐらいしか特産品がない、有名人もたいしていない、という街だったもので、有名な都市や関東近郊の出身者が羨ましかったものです。
なんだかのっけから思いっきり生まれ故郷をディスってしまいましたが、それでも僕は天童市が大好きです。
もう何年も帰っていませんが、山形県の内陸部・村山地方というのは山に囲まれ、田んぼが続き、夏は青空が広がり、冬は雪景色になるというある種「日本の原風景」というか、訪れたことがない方でも懐かしさを感じるような一つの理想郷であると今でも思っています。
阿佐ヶ谷~高円寺での暮らしを振り返って
しかし高校を卒業して大学入学のため(という名目で音楽をするため)に出た東京という街も僕は大好きでした。
幸か不幸か、最初に住んだ東中野という街から新宿と吉祥寺をふらふらしていたのが合っっていたのだと思います。
中央線特有のカルチャー、新宿のカオス(特に、JR東口から出た歌舞伎町方面ではなく南口方面の、何となくダウナーなあの感じ)と吉祥寺の抜け出せない感じが大好きでした。
そのあとは何度か引っ越しを繰り返し、最終的には阿佐ヶ谷と高円寺の真ん中ぐらいで数年暮らし、最終的には家庭を持つことになりました。
高円寺も阿佐ヶ谷も魅力あふれる街で、ずっとこの街で暮らしてくのだろうなとぼんやりと思っていました。
ですがそれは東日本大震災で一変することになります。
岡山市へのIターンと地方都市への思い
忘れもしない2011年3月11日。
出産を控えた妻は実家がある岡山市に帰省していました。
息子はそれから1か月ほどした4月4日に生まれることになるのですが、それまでに
「この街でもう一度地震が来たら、子供を守れる自信がない…」
と悩んでいた僕に
「地震が怖いから岡山で子供を育てたい」
という妻の申し出は渡りに船でした。
それから15年。
息子はもう高校受験を控える年齢になってしまいました。
何だか信じられませんが、それでもきっと息子が岡山を出ても、僕はこの街で暮らしていくのだろうと思います。