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文系大学を出て英語しかできなかった僕が、なぜ新卒を5カ月で辞めて、湘南でヒッピーになり、それでもウェブサービスに携わりたいと考えているのか。

僕は、負け組だ。だけど、諦めてはいない。
これは、社会で行き場を失いつつあった、僕の等身大の話だ。

僕は、新卒でbig4系監査法人の企画・マーケティングにて、イントラネットのディレクション/制作/イベント企画を行った後、5カ月にて退職した。


                  当時の職場エントランス


夏に「このまま同じことの繰り返しで人生終わりたくない」と突拍子もないことを考えはじめた。実際、こんなこと言ったらアレだが、40歳になっても、新卒の時点から、あまりスキルセットが変わらない総合職という職業は本当にバカらしいな、という思いが、自分の中でいつもぐるぐるとまわっていた。


             大学3年生か4年生のころから、腐れ縁だろうか
​​​​​​​               彼とはずっと2人で一緒にプレイしていた。


仕事がきついとき、いつもプレイしていた。ゲーム内で長く交友していたサロン経営凄腕セラピストの友人(40)から、「仕事で病むくらいなら、辞めたら?」と綺麗な湘南の海で口説かれ、自分でもびっくりするくらいすぐに退職した。


「日本の職場って全てこうなのか? ならば自分は会社に向いていないな」
そんなことを考えながら、彼と歩くこの湘南の海は、いつも輝いて見えた。

​​インターネット黎明期の話を聞きながら、副業で月に数十万円を稼いでいた彼の影響で、せどりをスタート。アマゾンで店舗を運営しつつ、プロのせどらーとして半年ほど生存。



当初は、メルカリで松ぼっくりや中古商品を売っているだけだった。
「世の中にあるもの、すべてが商品」だと本気で思っていたし、松ぼっくりは月に1000個くらい売った時もあった。気が付いたら、中国からスマホカバーを大ロットで注文したり、輸入でも利益が出せたり、インターネットから初回限定などメディア関連に活路を見出していた。バーコードをスキャンしまくった結果、利益商品のリストが自分の中で出来上がって、利益が驚くほどどんどん膨らんだ。


              昼の12時から出社するのは僕くらいだった。
           ウェブサービスがグングン伸びる面白さを感じていた。

​毎日、せどり事業を回す中で、キャッシュフローが危うい時の補助として、地元藤沢にてブライダル系ECサイト構築のアルバイトを見つけた。これが想像以上に面白く、SEO対策・新規機能・デザインを担当し、バイトの僕にさらに新規事業のウェブを2つほど担当させてもらうことができ、嬉しかったと同時に、どちらもある程度軌道に乗せることができ、大きな手ごたえがあった。

「何を仕事にして、何が社会で楽しいのか」を探し続けた8ヶ月くらいが、急に晴れてきた。自分がやりたいのは、Webサービスなんだな、となんとなく実感に変わってきていた。


藤沢から青山へ。
粗削りだったスキルも、どんどん洗練されていく気がする。

現在は、「そろそろ昼3時に起きて仕入れする怠惰な生活をやめようマジメにスキルアップしよう」と思い、渋谷系(といいつつ青山だが)のベンチャーでフルスタックに働いている。常に初心を忘れず、「自由に生きるために、自分でサービスを立ち上げたい」という目標に、果敢に挑戦しています。​​​​​​​



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