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<前編>【キャリアコラム】第4弾 コスモエコパワーO&M部 設備管理1G和歌山管理事務所 和田 健太さん


キャリアのスタートと放浪の旅


学生の時に機械系の勉強をしていたこともあって、卒業後は厨房機器の販売会社に入社し、厨房機器のメンテナンス業務を3年間経験しました。サービス残業が多い会社で・・・。夜の飲食店まわりも多く、夜の8時や9時から業務開始ということもよくありました。入社後、こういうことをやってみたい、自分がどうなりたいという思いもないまま3年間を過ごしていて、当時の仕事に正直やりがいは感じていませんでした。


そんな中、23歳の時に当時の会社を辞めて、ちょっと恥ずかしいのですが・・・放浪の旅に出ることにしました。お金も無かったので基本は歩きの旅です。将来の不安もそんなになく、自分の知らない世界を覗いてみたい気持ちと、最初の仕事で苦労したところもあったので、その気持ちを開放したいところがあったように思います。



地元の北海道からフェリーで新潟に出て、その後、各所を巡りながら放浪し、四国でお遍路まわりもしました。その時、たまたま出会ったおじさんと1~2週間一緒に歩いた時に、身の上話や将来について話したのですが、おじさんから「お前、人生なめてんじゃねえ、考え方が甘い」ってガッツリ怒られたのをよく覚えています。


その時に、やっぱり、しっかり働いてお金を稼いで、自分を固めないといけないという思いを抱きました。そのおじさんも人生に迷っている方だったので・・・。怒られる筋合いはあまりなかったんですけどね(笑)


それでも、当時ふわふわした考え方でいた中で、現実的なアドバイスを受け、放浪していた自分自身に不安を覚え始めました。どこか「社会人」ということから現実逃避をしたかったのだと思います。


▶沖縄での経験


その後も南へと旅をし、行き着いたのが沖縄の小さな離島で、民宿兼スキューバダイビングのショップで、1年半ほど住み込みで働くことにしました。民宿の部屋の掃除、送迎、調理など一通りやらせてもらいました。アルバイトではありましたが人の役に立つ嬉しさだとか、自分がやったことに対して評価してもらえるということを実感できて、「働くことが楽しい」と思えた時期でした。


そんな中、今の妻と知り合い、結婚という現実に直面しました。

人口300人くらいの島だったこともあり、「島の数少ない女性を連れていくのか」という反応で、最後は島から追い出されてしまいました(笑)


▶コスモエコパワー社で働く際に考えていたこと


家族が出来て、子どもの目線で将来を考えた時に未来に何が残せるのかなと思い、「環境・エネルギー」で働きたいという考えに行きつきました。何社か応募しましたが、コスモエコパワーでの面接が思いのたけを伝えられたという感覚が一番あって、自分のやりたいこと、将来出来ることについて、面接の中で話しながら再認識できたところもあって、ますます自分のやる気が出てきたのを覚えています。


コスモエコパワー入社後に伊方ウィンドファーム(以下、伊方WF)に配属になり、1年半ほど現場の保全業務に携わりました。メンテナンスとはいえ、規模や使用している部品等が前職の厨房機器とは全く違い、本当に分からないことだらけでした。


「ボルト」と「ビス」の違いも分からなかったですし、先輩から指示があってもモノそのものが分からないので、よく叱られていました。当時の上司や先輩に、よくご指導をいただきましたが、すごく仕事が出来る先輩方だったので、あまり役に立っていなかったと思います。

正直、お荷物だったと思います。


当時は先輩方の「育てたい」という気持ちに応えられなかったという感覚がありますね。コスモエコパワーに入社し一番つらい時期だったかもしれません。ただ、先輩方も厳しい中で優しく声をかけてくれたので、なんとかつらい時期を過ごすことができたのかなと。

その後、伊方WFから本社に異動することになりました。


伊方WFでは自サイトで計画的な点検や作業が多かったですが、本社では突発的なトラブル対応での急な出張が多くありました。本社管轄は常駐者がいない風車のメンテナンスで、辺鄙な場所への出張も多く、北海道では雪の上を歩いていかないと辿り着かない現場もありましたね。


イレギュラーな事があれば現地で資材調達したり、応急での補修方法を考えたりと、出張ベースで本社の仕事の大変さを学びました。この時には保全の仕事に少しずつではありますが慣れてきたように思います。


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