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50過ぎの人材の価値ってなんだろう?

「初心忘るべからず」という言葉があります。

 これは、学び始めた頃の新鮮な気持ちを忘れるなという意味に取られることが多いようですが、実はそうではないと言います。

 人には「時の花」というものがあり、子供の時には子供にしかできない事があり、歳を重ねればその時々で、その時にしかできない事があります。幽玄の境地はどんな天才でも齢を重ね老人にならなければ到達できないですし、子役は老人にはできないのです。そうした「時の花」を意識して事にあたれば、その時々にできる事というのはいつも初めてのことなのです。

 そういうことを前提として、「初心忘るべからず」というのは、その時々の「時の花」を新鮮な気持ちで行うことを忘れるなという意味になります。つまり「過去を振り返れ」ではなく「今を生きよ」と言っているわけです。

 では50を過ぎた私の時の花とはなにか?30代、40代になかったものとは何かと考えると、仕事のスキルではないように思えてきます。歳を重ねれば重ねるほど、人としての生き方が問われるようになる気がします。

 いろんなクセの強い人たちに会って、そうなる理由を考えたり、そうはなるまいと思ったり、どうすれば仲間がイキイキと仕事に没頭できるのか、何が動機ややる気を削ぐのか。そういったことを客観的に見る力のように思います。クセ強な人を変えることはなかなかできませんが、間に入ってクッションになることはできるかもしれません。

 自分が若い頃に、煙たかったり、ポンコツと言われていた、いわゆる「老害」の人たちを思い返すと、過去の自分のやり方に固執し若者の柔軟な考えを頭ごなしに否定したり、気配りをことあるごとに強要しマウントをとってきたり、失敗を部下に押し付けたり、社長の機嫌とりと部下への丸投げしかできなかったり、結局、彼らは下の世代や組織全体を活かすために自分が年相応ですべき「時の花」を見失い、自分の居場所の確保や保身、自意識の安寧に走った人たちだったのではないかと思います。

 求められる姿勢は、どんなに過去に経験を積んでも「今、ここですべきこと」は常に新しいことでマニュアルはない、その時々に頭を捻って考えるしかないということなのでしょう。今、周囲にいる人たちと一緒に何ができるかと考え、周りの人たちへのリスペクトを原動力にアイディアを出し続けることしかないんだろうなと思います。

※カバー画像は1月に狂い咲きした庭のオオデマリの花。時宜をわきまえない行為も、サプライズがあれば「時の花」になりうるのでしょう。