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「なぁ~花、この仕事好きか?」社会人になり34年、生涯の師匠に頂いた今も忘れられない3つの言葉を紹介します。

2回目がまわってきました。リクパーグループ最年長・花田です。もう少しで56歳になります。いろんな記憶がポロポロと消えていく年齢になってしまいました。

今回は、私がこの仕事に就いてから34年弱の間、大事にしている3つの言葉についてお話させてもらおうと思います。いずれもリクルート(東京)に入社し、最初に配属された部署のマネージャー且つ、生涯の師匠でもある方からいただいたというか、普通の会話の中で言われたことです。

「使う」とは、何様だ!

初めて顧客を担当し、コピーライターさん・デザイナーさんとの打ち合わせの段取りをしている時に、ぽろっと「〇〇さん、使いたいんですけど…」と口にしたところ、この言葉が私の耳に飛び込んできました。そこからは、指導という名の説教の開始です。何もできない自分が、これから助けてもらおうというのに「使う」とは何様だ! おっしゃる通りです。

もちろん、私も「金、払ってんだから」なんて気持ちはさらさら無いのですが、たぶん自分でも気づかないうちに勘違い野郎になっていたのかもしれません。なにせバブル期でしたから(笑)

以来、私は絶対に「使う」とは言いません。常に「お願いする」と言っています。私と一緒に仕事をしたメンバーの中には、当時の私と同じ過ちをする者がたまにいます。当然、叱りますが、トーンとしては「たしなめる」という表現の方が正しいかもしれません。こんな時代ですから。言葉ひとつ間違えるだけで、とんでもないことにならないとも限りません。気をつけましょうね。

なぁ~花、この仕事好きか?

リクルートに入社してから5ヶ月ほどした頃、母親が急死しました。私の実家は小さな酒屋を母親が、林業を父親が営み、妹は大学に入ったばかりという状況でした。

1週間後、葬儀を終え東京に戻りましたが、その時の私の頭の中は「帰らないとダメだよな」そのことでいっぱいだったと記憶しています(辛うじて覚えています)。そのことを師匠に相談した時の言葉がこれです。まだ5ヶ月しか経っていないので「好き」というよりは「楽しい」という返事をしたところ、だったら親父さんに頭を下げて、3年待ってもらえ。必ず俺が九州に戻してやる、一人前にしてやると。この時は親父から帰ってこいとは言われていませんでしたが、そこから2年半後の夏、親父がぽろっと「戻れんか?」と言ってきたのです。

そのことを師匠に話すと、翌週社長室に呼ばれ、とんとん拍子で九州への異動が決まり、翌春九州に戻ったのでした。ウソのような、ホントの話なんです。

私は好きなことを仕事にできて、さらに続けられラッキーだったと思っています。よく、好きなことを仕事にできない、やりたいことが見つからないなどと聞きますが、実は目の前のことに本気で取り組めている人は、きっとその仕事を「好き」になれているんだと、私は本気で思っています。そう考えると、案外大勢の人が「好きなことを仕事」にしているような気がしませんか。

俺らみたいなチンピラがエリートと張り合おうとするなら、そいつの2倍やるしかないだろ!

当時のリクルートには、クリエイティブ職向けのコンテスト(広告審査)が行われていました。顧客の採用成功は大前提ではあるものの、やっぱりコンテストでも一番になりたい!そんな人が多かった時代でもありました。日本全国のリクルートの雑誌広告に関わるクリエイターが競い合うわけです。もちろん私も目指していましたが、ある日師匠から言われたのが、この言葉でした。たぶん腹立たしかったんだと思います。口ではやりますと言いながら、当たり前のことしかやらない私が・・・残念な結果を人のせいにしていた私が・・・

あの頃のリクルートには旧帝大・早慶などがゴロゴロいたにもかかわらず、同じ仕事をしているというだけで、能力まで対等になったつもりなのか?という戒めだったと思います。

その言葉から3年。少し時間はかかりましたが、受賞の報告ができました。ちなみに、その仕事の営業は、リクパー代表の坂元です。

今回も、平成初期の、気分は昭和な話になってしまい、すみませんでした。

最後に、こんな師匠に育てられた私の仕事上のモットーを少しだけ。

・与えられた時間の半分で、一度提出する

・5分で済む依頼を後回しにしない(やってる仕事の間に終わらせる)

・メールやSlackなどは全部目を通して終業する

・頼みごとをした後は「ありがとう」と伝える

こんなところで、失礼します。3回目があるとしたら、もう「終活」くらいしか書くことがないかも(笑)

では、森部さん、後始末をお願いします。

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