MISSION
22世紀をデザインする、それが弊社のミッションです。
新規事業・新サービスを新しく始めるときに考えることは、「次の世代にとっていいことかどうか」
会社が生まれた背景・転換点
全てを書くと膨大になるので、、、省略ver.でお届けします。
転換点①
いきなりですが、、、高校生の時に「生きるか死ぬか」を考え、「生きる」を決めました。それが私の人生の転換点であり、会社が生まれた背景の1つです。
迷惑をかけ続ける「生きる」と誰かの役に立つ「生きる」を考え、誰かの役に立つと決めた時に人生の大きな方向性が決まりました。
中学生からずっと悩んでいたことを決められたので、とてもスッキリしたのを今でも覚えています。
転換点②
ただ、誰かの役に立つ方法が何かもわからず、とりあえず、毎日新聞を5紙読み、本を5冊読み、社会のことを知ることにしました。その時に祖母から歴史を知りなさいと言われ、歴史書を中心に読んでいました。
本を通じてたくさんの人と触れ合うことを通して、
自分が生きている「今」は誰かにとっては「未来」や「過去」にもなることを感じました。
物質的に豊かに生きられている「今」は誰かが次の世代のためにこうしたいと思った「想い」が詰まっていると考えると感動的で。その日から次世代にとって良いことをするがテーマになりました。
転換点③
そこから10年以上自分で様々な事業や社会活動をしてきました。
まずは人の人生が変わるきっかけづくりとしての「教育」に携わり、
その経験から、「教育」の最大化は「環境の整備」だと考え、「組織活性」に注力しました。
「教育」「組織活性」の事業を展開しながら、次の世代に必要なことは「社会の構造変革」だと感じていました。
いきなり社会の話になりますが、ここ何十年の変化を見ると、世帯年収は横ばい、男性の収入は減り、女性は労働時間が増えたことで年収が増えている、家賃の高騰含む生活コストの向上という状況でした。また、待機児童が問題だと叫ばれ待機児童が0になった市町村は次は学童が必要となり、新たなハコモノを建てる。それは最終的に負担するのは今生きている我々であり、未来の人たちです。様々な事業をしながらやりがいと感じつつ、どの事業も、本質的な課題解決ができない悩みを抱えていました。そんな時に始めたのが勝手にまちづくりプロジェクトです。
お金を稼ぐのが得意な人もいれば、子供に未来を見せるのが得意な人もいれば、サポートに生きがいを感じる人もいる。いろんな人がいるので、その強みを掛け合わせられる社会になれば、弱みに苦しむこともない社会になるのではないのかと考え、近所に友達を何十人と集めて、醤油の貸し借り、子供を預けあえるまちを勝手に進めていました。笑
そんな時にコロナに。みんなでこれからの人生について話し合い、地方(地元)に移住した方がいい!となり、勝手にまちづくりプロジェクトは解散しました。
その時の経験から、民間だけでは限界がある、産官学の連携が重要だと考え、官民連携を進めるまちづくり会社を立ち上げました。
そこから数年
ご縁の連続で事業を展開してきました。
当時別のプロジェクトで私が大変だった時に支えてくれた数人を社員として迎え、
会社のMISSIONに合うものかつ、社員がやりたいこと、社員の強みが活きることをまず事業にしていきました。
そうやって生まれたのが、今の飲食事業、まちづくり事業、サウナ事業です。
それらの実績を見てくださり、ありがたいことに案件が増えてきていることもあって
新しい社員を募集する流れになりました。
社員は常に10人未満の少人数で進めていきたいと思っています。
社会貢献したい、次の世代に誇れる人生を歩みたい、地方創生・まちづくりをしたい、身近な人の役に立ちたい、権限をもって自分で決めて事業を展開したい、とにかく成長したい、そういう人に合う職場だと思っています。逆に、上記どれか1つでも興味がないものがあれば、合っていないと思います。。。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
少しでもご興味があれば、お気軽にメッセージ頂けたら嬉しいです。