尚雅堂を築いたのは、間違いなく祖父だと思っている。
商いの土台をつくり、信頼を積み上げ、会社として立ち上げたのは祖父だった。
一方で、今の尚雅堂の形をつくったのは父だ。
祖父の時代の尚雅堂は、和紙製品や書道用品を扱う「問屋」だった。
良いものを仕入れ、得意先に届ける。
商いとしては、極めて真っ当で、堅実なかたちだ。
しかし父は、その立ち位置に疑問を持った。
問屋である限り、自分たちで決められることには限界がある。
何を作るのか。
どう作るのか。
どんな価値として届けるのか。
それらの多くを、作り手や市場に委ねたままでは、尚雅堂は「尚雅堂でなくてもいい会社」になってしまう。
父はそう考えたのだと思う。
そこで父が選んだのが、メーカーになるという道だった。
自分たちで企画し、自分たちで形を決め、責任を持って世に出す。
簡単な決断ではない。
問屋からメーカーへ移るということは、リスクを自分たちで背負うということでもある。
その転換の中で、父が着目したのが、友禅和紙だった。
友禅和紙は、決して扱いやすい素材ではない。
量産には向かず、説明も必要で、価格競争にも弱い。
だが、その分、圧倒的に「らしさ」が出る。
父は、友禅和紙に尚雅堂の可能性を見たのだと思う。
京都で生まれ、京都で続いてきた技術。
工芸と日用品のあいだにある、不思議な立ち位置。
そして、西川紙業という、確かな技術を持つ作り手の存在。
祖父の代から続いていた西川紙業との関係は、ここで意味を変える。
「仕入れ先」ではなく、ものづくりを共にするパートナーへと変わっていった。
友禅和紙を使い、尚雅堂として何を作るのか。
どこまでを日用品とし、どこからを工芸とするのか。
父の代で、試行錯誤が重ねられていった。
そうして、尚雅堂は少しずつ、「扱っている会社」から「作っている会社」へと姿を変えていく。
今の尚雅堂を見て、最初からこうだったと思う人もいるかもしれない。
だが実際には、祖父が築いた土台の上で、父が大きく舵を切った結果だ。
築いた人と、変えた人。
その二つが重なって、今の尚雅堂がある。