いろいろな企業のマニュアルや資料を見ていると、
読み手に伝わっていなさそうだなぁ…と思ってしまうもの、多いです。
独りよがりだったり、必要以上に小難しい言葉が並んでいたり。
まるで「この業務は難しいんですよ」「私たちは優秀なんですよ」と誇っているかのような資料を、これまで何度も目にしてきました。
マニュアルだけではありません。
コンサルティングの提案資料でも、同じようなことを感じる場面があります。
本来伝えるべき提案の本質よりも、「自分たちがいかに賢いか」を示すことが目的になってしまっているような資料です。
なぜ、こんな資料になってしまうのだろう…。
考えていく中で、ひとつ思い当たったことがあります。
それは、「かっこつけたい」という欲求なのかもしれない、ということです。
難しい言葉を使い、複雑そうな資料を作ったほうが、
「仕事ができる人」に見えやすい。
その資料が、誰かの役に立つかどうかは、二の次になってしまう。
とても悲しいことなのですが、実は僕はその気持ちが分からないわけではないのです。
学生時代の自分を思い出します。
受験勉強のとき、僕はよく「難しそうな参考書」を選んでは、
数ページ読んで投げ出し、また別の参考書を買う……ということを繰り返していました。
書店で少し読んで、なんだか賢くなった気がして、そして買って満足してしまう。
勉強することより、「勉強している自分」に酔っていたのだと思います。
難しい言葉を並べていると、
自分が賢くなったような気がしてくる。
その感覚に、どこか似ている気がしてならないのです。
でもやはり、資料を作る目的は、はき違えてはいけないと思っています。
マニュアルは、誰かに何かを教えるためのもの。
だからこそ、徹底的に分かりやすさに向き合うべきです。
提案資料も同じです。
多くの場合、相手は決裁権を持つ方です。
ならば、回りくどい説明よりも、
結論が端的に伝わる資料であるべきだと思います。
どんな資料であっても、
相手に伝わらなければ、意味がない。
分かりやすいことは、決してカッコ悪いことではありません。
稚拙でも、能力が低いわけでもない。
もし「分かりやすさ」が評価されない企業文化があるのだとしたら、
それは少しずつでも変えていくべきだと思っています。
そして、読み手の側も同じです。
分からないことを、分からないと言える。
素直に聞ける。
それに応える資料が、ちゃんと用意されている。
そんな会社であるべきだと思います。
僕は学生時代、
「分からないことを聞くのは恥ずかしい」と思い、
誰にも聞けないまま疑問を積み重ねて、大人になってしまいました。
同じ思いをする人を、これ以上増やしたくない。
「分かりやすさ」がもっと受け入れられる会社が増えてほしい。
そして社会全体として、
もっと自分に素直でいられる場所になってほしい。
そんなことを、日々の仕事の中で考えています。