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【U・Iターン】私たちが長野県ではたらくことを決めたわけ

こんにちは!アルプスピアホームの岩本・加藤・櫻井です!

就活がいよいよ本格的になってくるこの時期。

今回、私たちが皆さんにお伝えしたいのは、

「私たちがなぜ、この場所、長野県で働くことを決めたのか」。

実は、2020年新卒入社の同期の内、幼い頃から高校、大学と、ずっと長野県を離れずにいたのは、なんとたった一人だけ。

あとのメンバーは他県に進学して地元に戻ってきていたり、

逆に、他県から長野県に進学して、そのまま長野県で働いている人も!

その理由は、実にさまざまです。この地域が好きだったり何かこの地域でやりたいことがあったり

でも、「この場所がいい!!」と強い気持ちで選んで、今長野県にいることは全員同じです。


地元に戻って就職をする、地元から離れて就職をする、

いずれにせよ就職するということは、簡単に決められることではありません。

そこにどんな想いがあったのか、どんな迷いがあったのか。


今回は、同期を代表して3名がそれぞれの経験をお話します!

①「両親のために地元に戻りたい」「でも東京で見たようなわくわくする仕事がしたい」という二つの想いで揺れたメンバー

②「これまでの人生で自分を一番支えていただいた松本のまちの皆さんに恩返しがしたい」という思いで戻ってきたメンバー

③「長野県という大好きな環境で働きたい」という思いで地元を離れたメンバー


「地元での就職も考えているけど、いま一つ気持ちが定まらない」と悩んでいる皆さんにとって、少しでも役に立てたらと思います!

①日々進化する刺激的な街「東京」と、だいすきな地元「長野」 /櫻井智花

私は高校卒業までの18年間、長野県松本市で育ちました。

都会への憧れから、大学進学をきっかけに上京。

もともとは、自分のために高い学費や生活費を出してくれる両親への感謝から、「東京に行くのは経験のため!就職は地元で!」と強く決めていました。


しかしいざ東京へ出ると…そこは私が想像していた何倍も、面白くて魅力的な街でした。

・時代の最先端をいくものがすぐ近くにある、

・これまで出会ったことのない考え方や価値観をもつ人がたくさんいる、

・新しい時代を築くようなモノやサービスを作ろうと、熱い気持ちで生き生きと仕事をしている人がいる、

地元では出会うことのできなかったものや人にあふれた東京で、「私も何か面白いことがしたい!」という気持ちも次第に湧いてきました。

だからこそ、実際に長野だけでなく東京でも就職活動をしていました。


ただそうなると心懸かりなのは、ここまで自分のやりたいことを全部やらせてきてくれた両親のこと。

地元を離れた場所を生活の拠点にすることは自分にとって正解なのか、とても悩みました。


「地元で暮らしたい!」でも「社会に何かを生み出すような、面白いことがしたい!」

その二つの気持ちで揺れていたときに出会ったのが、アルプスピアホームでした。


説明会に参加して感じたのは「人も活気があって、なんだかものすごくチャレンジをしている会社だ!」ということ。

「“地元で暮らしながら、面白い仕事” ここならできるかもしれない!」

そう感じて、地元に戻りこの会社で働くことを決めました。

「ここなら、距離的にも東京にいる大学の友人たちにも休みをつかって会いに行ける!」

そう思えたのも、地元就職を決断できた一つの理由でした。

《就活生の皆さんへメッセージ》

進学を機に都会に出ると、その魅力にひかれる気持ちや、「地元じゃこんなわくわくすることできないだろう」と思ってしまうこともよくわかります。

でも、ぜひとことん探してみてください!

地元でも、何かを変えようと日々挑戦している人たちがいます。

新しいものを生みだす楽しさは、都会でも地元でも変わりません。

むしろ、自分のはたらきがどんどんと地元に還元されていく嬉しさとやりがいがあります!

ぜひ、マイナスに考えずに、選択肢をどんどん増やしてほしいです!


②どん底の自分を支えてくれたまちに恩返しがしたかった /岩本竜也

私の出身は長野県山ノ内町です。本社のある松本から車で一時間半も離れたところです。

ではどうして地元から離れた松本で働くことを決めたのか?

それは、あることでとてもお世話になり、どうしても恩返しがしたかったからです。


その「あること」とは、高校時代に起きたことでした。

当時私は、大好きな野球をさらにレベルの高い環境で続けたいという思いから、

親元を離れ、県内でも有名な野球の強豪校で、甲子園の常連でもある『松商学園』に進学しました。

しかし入部した年の冬、部内で不祥事が起き、6ヶ月間の対外試合謹慎処分を受けてしまいました。


野球のために地元を離れ、ようやくスタートしたところだったのに、野球をやることすらできなくなってしまいました。それまで当たり前のようにあった野球がなくなる苦しさを初めて感じました。


でもそんなどん底のときに私を支えてくれたのが、松本の皆さんでした。


有名な野球の強豪校だった私たちが起こしてしまったことは、もちろん、地域中に大きく知らされていました。

ファンでいてくれる方も多かった分、申し訳ない気持ちや後ろめたい気持ちが強くありました。

そんな今の私たちに何ができるのか。

毎日部員全員で10時間以上かけて話し合いました。

しかしその間に「自分は野球をするためにここに来たのに、何をしているんだろう」とも感じてしまい、あれだけ大好きだった野球すら嫌になっていました。


話し合った結果、真っ先に取り組んだことの一つが「地域のごみ拾い」でした。


“もしかしたら罵声を浴びるんじゃないか。”

そんな怖さを抱えてまちに出た私たちに、地域の方がかけてくれた言葉は思っていたのと全く違うものでした。

「大変だろうけど頑張れよ!応援しているからな!」

地域の方の期待を裏切るようなことをしてしまったのに、それでも自分たちを応援してくれている人がいる、その嬉しさと幸せでいっぱいになりました。

野球を嫌いになりかけていましたが、この一言が強い支えとなり、

チームみんなでこのどん底を乗り越えて、高校三年の春には甲子園出場を果たしました!


私にとって松本というまちは、自分のどん底を救い、どんなときも私を支えてくれたまちでした。

だからこそ「働くのならば松本で」と強く心に決めていた私にとって「信州を元気にすることに全力を捧げるこの会社なら松本のみなさんへ恩返しができる!」と思い、入社を決めました!

《就活生の皆さんへメッセージ》

漠然とした地元貢献ではなく、「過去にとても助けられたから恩返しがしたい」など、具体的な理由を持てれば仕事選びに悩んでいても、最後にはしっかりと決断できるかもしれないですね!

「ここに就職できて良かった」と思えるような仕事選びをしてください!応援しています!

③仕事をするということは暮らすということ。だからこそ、両親に反対されても、“環境にこだわりたかった”/加藤大輔

私はもともと愛知県の出身で、大学進学をきっかけに長野県にきました。

当初は長野県に強い思い入れがあったわけではなく、

「一人暮らしをしたい!」でも「でも家族のためにすぐに帰れる距離にいたい」という気持ちから選んだ場所でした。

しかし大学4年間を長野県で過ごす中で、この環境をとても気に入ってしまいました!


●まずは、都会すぎないこと。

都会ほど人であふれた場所があまりない上に、自然に囲まれたこの地域では、四季を感じながら生活することができます。

春の桜はもちろん、夏は星がきれいに見えます。都会と比べて湿気が少なくカラッとしているので、夜に星を見に行くのにもちょうどいい気候です!

秋は出勤しながらきれいに色づいた山々を見ることができ、冬は空気がとても澄んでいてきれいな上に、愛知出身の私としては思っていたよりも雪が少なく、とても過ごしやすいです!

●そしてなにより、田舎過ぎないこと。

まちをあげて開催されるお祭りやイベントはたくさんの人が集まり、活気があります!

また最近では、若い人が長野県に戻ってきて、長野市の門前町や松本市の城下町を舞台に、こじんまりとしたこだわりの飲食店や雑貨店を開いていたりなど、昔ながらの文化を活かした新しいまちへ変わってきているのも、面白いところです。

そして生活もしやすいのがこの地域。

駅前には徒歩圏内にショッピングモールやおしゃれなカフェ、チェーンの飲食店がそろっていて、買い物や友達と過ごす場所にも困りません!

つまりは、とにかくちょうどいいんです!!!

長野県は15年連続して「移住したい県No.1」にも輝いていると言いますが、私にはその理由が良く分かります!


大学4年間を通して長野県の魅力を存分に知ったからこそ、私は「このまま長野県で働きたい!」と思いました。

なぜなら、仕事をするということは、その場所で暮らしていくということだからです。

「自分が大好きな場所で、大好きな場所のために仕事がしたい!」というのが、就職活動をする上での一つの軸でした。

そうは言うものの、やはり愛知県に住む両親からは地元に戻るよう言われました。

地元を離れる皆さんなら多くの人が通る道だと思います。

「何かあった時に近くで支えたい」という、私を気遣ってくれているからこその反対でしたし、私自身も「将来のことを考え、面倒が見れる近くが良いかもしれない」という想いもありました。


帰って将来のことを見据えて仕事をするのか。

大好きな長野県で地方創生に貢献するのか。

結局、長野県で就職活動をする傍らで地元の愛知県でも就職活動を進めました。


最終的に、愛知県の工務店とアルプスピアホームの二社が残り、

両親と意見が衝突しながらも、「行きたい会社がある」ということを強く伝え続け、

最後には「そこまで言うなら」と、家族が私の気持ちを理解してくれて、自分の働きたいと強く思う場所で働くことが叶いました!

《就活生の皆さんへメッセージ》

就職活動では両親と意見がぶつかる事もあると思いますが、逃げずに正面からぶつかる事が大切だったと、今改めて感じます!

全力で就職活動を行い、皆様にとってベストな選択ができるよう、応援しています!

いかがだったでしょうか?

地元での就職や、逆に地元を離れて就職する理由は、同期の中でもみんなそれぞれに違います。

どうしてもやりたいことがあったのか、

どうしてもこの環境で仕事をしたかったのか、

どうしてもこの場所のために仕事をしたかったのか、などなど…

その理由に正しいも、正しくないもありません。

でも、「自分はなぜこの場所で働きたいと思うのか」をとことん考え、

「自分はこうしたい!」という思いを最後まであきらめずに、いろんな選択肢を考えてみてください!

悩みに悩んで出した答えこそが、皆さんにとっての正解になるはずです!


次回は、アルプスピアホームの新卒採用チームをご紹介します!

お楽しみに!

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