研究や事業づくり、プロダクト開発に取り組んでいると、成果を分けるのは、結局のところ「良いテーマ」と出会えるかどうかではないかと思うことがある。
良いテーマは、机に向かって考え続ければ、必ず見つかるというものではない。現場で起きている小さな変化や、データのなかのわずかな違和感、予想どおりに進まなかった失敗のなかに、突然その姿を現す。
19世紀フランスの化学者・細菌学者ルイ・パスツールは、観察について、次のような言葉を残している。
In the fields of observation, chance favors only the prepared mind.
(観察の領域において、偶然は用意された心にしか微笑まない)
偶然そのものは、誰の前にも起こりうる。しかし、それを発見へ変えられるかどうかは、偶然が起きる前に何を考え、何を学び、どこまで準備してきたかに左右される。
この観点から、良いテーマと出会い、そのなかからブレイクスルーを生み出すための「用意された心」について考えたい。
良いテーマは、偶然だけでは見つからない
大きな発見には、しばしば偶然が関わっている。しかし、偶然に出会うことと、その意味に気づくことはまったく別である。
同じ現象を見ても、ある人には単なる誤差に見え、別の人には重要な兆候に見える。そこにある差は、運の良し悪しだけではない。日頃から課題意識を持ち、必要な知識を蓄え、「なぜこうなったのか」を考え続けているかどうかである。
いわゆるセレンディピティも、単なる幸運ではない。失敗や違和感をデータとして扱い、当初の仮説に固執せず、そこから新しい意味を取り出す能力である。
パスツールの仕事は、そのことをよく示している。酒石酸の結晶のわずかな形の違いを見過ごさず、後の立体化学につながる発見へ押し上げた。発酵を単なる化学分解として扱わず、観察と実験を重ねて微生物の働きとして説明した。予期せぬ実験結果も単なる失敗として片づけず、免疫と予防接種の研究へつなげたとされる。
偶然が偉大だったのではない。偶然の意味を見抜き、最後まで追い切る知識と執念があったのである。
用意された心は、モニタリングから始まる
良いテーマと出会うためには、関心のある領域を常にモニタリングし続ける必要がある。事業開発における身近な例で言えば、リリースチェックである。
特に、私たちのように官公庁を顧客とする場合、公募が始まったからといって、誰かが親切に教えてくれるわけではない。自ら情報を取りにいかなければ、気づいたときには募集が終わっていた、ということも起こりうる。それでは、自社の技術や経験がテーマに適していても、勝負の場に立つことすらできない。
だからこそ、関心のあるトピックを定め、顧客の政策や課題、制度の変化、競合の動向を継続的に追う必要がある。単に公募の有無を確認するだけでは不十分である。テーマそのものと、その周辺にある状況を絶えず更新し、どこに新しい機会が生まれつつあるのかを考え続けなければならない。
観察とは、起きた事実をログとして蓄積することではない。まだ明確なテーマになる前の変化を捉えるために、見るべき場所を定め、見続けることである。その継続があるからこそ、機会が現れた瞬間に意味を理解し、行動へ移せる。
一目で理解したつもりにならない
良いテーマを見つけることと、テーマのなかで個別のブレイクスルーを探すことでは、扱う対象のスケールが異なる。しかし、両者に共通する原則がある。それは、一目見ただけで理解したつもりにならないことである。
目の前の現象を注視し、自問自答を重ねる。ときには生成AIを相手に問いを投げ、別の説明や見落としている前提を洗い出す。そうしながら、表面に現れている事象の奥に、どのような構造があるのかを理解していく。
未知のテーマを扱う以上、最後まで仮説の域を出ないこともある。それでも、何がボトルネックとなり、なぜ事業や技術が活性化していないのかを、自分の言葉で説明し切れるところまでは考え抜かなければならない。そのために、ヒントになりうる事実を探し、断片同士を組み合わせ、テーマを取り巻く世界観を描き切る。
まったく異なる領域ではあるが、この姿勢は20世紀の狙撃手の職業観に近いものがあると感じている。標的となる将校が現れるまで状況を監視し、決定的な一瞬を逃さないために、その場を離れることさえできなかったという逸話がある。
事業や研究で、文字どおりそこまで張りつめ続ける場面は稀だろう。しかし、機会が現れるまで観察を続け、一瞬の変化を捉えるという意味では、これもまた紛れもない闘いである。
同時に、そこには夢もある。かつて一兵が一丁のライフルを使いこなすことで、大きな戦力差に抗い、侵攻を遅らせることがありえたように、現代では一人がパソコンとインターネット、生成AIを使いこなすことで、組織や資本の規模を超えたインパクトを生み出せる可能性がある。
道具が力を発揮するのは、ただ持っているときではない。見るべきものを定め、観察し、考え、決定的な機会に使える状態で備えているときである。
観察した事実を、意味に変える
この「観察を成果へ変える」という姿勢は、私たち自身の事業にも表れている。
空き家対策では、現地を見るだけで、住宅から人がいつ退去し、いつ別の世帯が入居したのかを正確に捉えることは難しい。そこで私たちは、豊田市では水道使用量データ、町田市では住民基本台帳を時系列で読み解き、住宅ごとの入退去と、空き家になった後に別世帯が入る「再入居」の時期を検出した。
さらに、その時期のデータに、不動産広告の掲載期間や価格、建物構造、最寄駅までの距離、周辺の人口動態などを組み合わせた。これによって、現在空き家かどうかを把握するだけでなく、その住宅が今後いつごろ、どの程度の確率で再入居されるかを予測できるようになった。
もともと別の目的で蓄積されていたデータも、丁寧に観察すれば、現実の動きを捉える手がかりになる。重要なのは、データをただ集計することではない。その変化が現実のどのような現象を表しているのかを考え、社会で使える仕組みへ変えることである。
私たちにとっての観察とは、ただ見ることではない。事実のなかに意味を見いだし、仮説を立て、検証し、再現可能な形にする仕事である。
テーマのなかから、ブレイクスルーを生み出す
良いテーマと出会った後、そのなかから新しい発見を生み出すときも、基本的なプロセスは変わらない。
データサイエンティストの仕事を例にとれば、内容にもよるが、テーブルデータのモデリングが一度で期待どおりにうまくいくことは、まずない。もし簡単な方法で誰が取り組んでも同じ結果が得られるのであれば、それはすでにコモディティ化されているか、参入障壁が低く、ビジネスとして生み出せる価値も限られている可能性がある。
実際の仕事では、利用できるデータに限りがある。精度だけでなく、処理時間、説明可能性、運用コストなどの非機能要件による制約が強い場合もある。そのなかで、データの加工方法を変え、特徴量としてモデルへ組み込む方法を試す。そうした試行錯誤の途中で、求めていた分布が現れたり、異常値が生じていた原因を特定できたりすることがある。
これも、「用意された心」を支える観察そのものである。結果を注意深く見ながら仮説を更新し、考えうる仮説を出し切るまで、現実的な範囲で試せることを試し切るまで、簡単には諦めない。その不屈の精神と執念が、ブレイクスルーを生み出す。
諦めないことと、見切ること
ただし、「Never give up」の精神が力を発揮するのは、取り組む価値のあるテーマに対してである。悪いテーマを選んだまま努力を続ければ、執念は成果ではなく消耗につながる。
博士論文であれ事業であれ、掘っても掘っても金脈が見つからない場所を掘り続ける事態は避けなければならない。いま向き合っている問題に本当に価値があるのか。新しい事実によって前提が崩れていないか。続けるべきなのか、それともテーマ自体を見直すべきなのか。私たちも、粘り強く取り組むことと同時に、これらを常に問い続けている。
必要なのは、何があっても同じ場所を掘り続ける頑固さではない。良いテーマを見極めたうえで、可能性がある限り仮説と検証を尽くす執念である。
私たちが一緒に働きたい人
良いテーマとの出会いには偶然がある。しかし、用意された心そのものは、偶然にはできあがらない。
現場やユーザーに向き合い、自分が見たいものではなく、実際に起きていることを見る。先行研究や制度、業界構造を学び、観察の解像度を上げる。うまくいかなかった理由を切り分け、次の仮説と手順に落とす。そして、個人の気づきを文章や図、仕様、実験計画として言語化し、チームが再現できる形にする。
どれも華々しい作業ではない。むしろ、地道で面倒なことの積み重ねである。それでも、この積み重ねがなければ、目の前に価値の芽が現れても、それに気づくことはできない。
私たちがつくりたいのは、偶然を待つ組織ではない。偶然を成果に変えられる組織である。
事実を丁寧に扱える人。失敗や違和感をなかったことにせず、次の仮説へ変えられる人。必要な知識を学び、準備を惜しまない人。良いテーマを見極め、可能性がある限り簡単には諦めない人。そして、自分の発見を言語化し、個人の気づきで終わらせず、組織の能力へ変えられる人。
そういう人と、一緒にまだ見つかっていないテーマを探し、社会で使える価値へ育てていきたいと思っている。
幸運は、ただ待っている人に訪れるものではない。用意された心で、次の幸運を迎えにいきたい。