広告業界の過去28年間を振り返ります。Vol.1
Nさんが、豊川悦司がカッコいいとうるさいんです。
最近再放送された「愛していると言ってくれ」を見たらしく、そこからはまったようです。
お願いです。
仕事をしてください。
おはようございます。
求人手法ってこの20数年の間に大きく変わったなと、最近しみじみ思います。
互助交通に入社したころから求人に携わってきました。
当時は、スポーツ新聞の求人欄に広告を出すのが主流。
わずか8~10行の中にかける情報を入れ込んで週3回程度掲載。
行単価が2000円前後だったように記憶しています。
月12,13回の掲載で22,3万くらい。
大体スポーツ2紙に掲載って感じ。
こんな感じでもそこそこ応募は入ってきていました。
応募方法はすべて電話。
で、面接の日程を決めるわけです。
電話をくれた方の半分は、面接を予約してくれ来社してくれます。
自分で電話をしていますから、予約をした方はほとんど来社してくれます。
で、面接を行い採用するか否かを判断するって感じ。
面接を受けた方のほとんどは、併願はしておらず、内定をだせば入社決定って感じでした。
当時も、スポーツ紙だけでなくガテン・an・From-Aといった求人誌があって、時にはそれらの媒体に掲載することもありました。
今と違って求人誌はすべて有料。
就職意欲のある人だけが購入するわけです。
当時、タクシー業界ではガテンが主流で多くのタクシー会社が掲載されていました。
ただ、雑誌になると資本力がものをいってきます。
掲載記事の大きさだとかによって、当然採用力に差が出てしまうわけです。
で、当時私が目をつけたのが、アルバイトニュースan。
どこのタクシー会社も広告を出していないため、小さな原稿でも比較されることがありません。
正直、面白いように応募が集まりました。
といってもスポーツ紙ほどではないですが、質が高かった。
そこは、スポーツ紙を買ったついでに求人欄を見る人と、就活のために身銭を切ってでも専門誌を購入する人の差だったんでしょうね。
ある意味、求人する側にしてみると良い時代であったと思います。
この後、求人広告は暗黒のセカンドシーズンに突入していきます。