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若いゲームクリエイターがチャレンジできる会社を作る!【㈱ネストピ生田社長インタビュー】

生田恭理

1986年生まれ。2017年にネストピを創業。スマホ向けMMORPG「イザナギオンライン」の原案、ディレクター、プロデューサー。「アンクラウン」の原案、開発ディレクターを努め、Google Play Indie Games Festival 2020ではTOP20と東宝賞を受賞。


【会社都合のクビ、ヒット作をディレクション、前職の解散…ネストピ創業までの激動の道のり】

ーー本日はよろしくお願いいたします。早速ですが生田さんのこれまでのキャリアについてお伺いしたいです。

僕はゲームの専門学校を卒業して、インターンしていた会社に就職するというゲーム業界の王道の流れで社会人生活をスタートさせました。そこはすごくいい会社でして、ゲーム業界最大手企業のセカンドパーティーということもあり人気も高かったのですが、運良く入れまして。そこではコンソールでRPGの作品に携わり、当時その機種ではセカンドパーティおよびサードパーティの中で一番売れたとされる作品に運良く関わらせていただきました。

その当時、僕自身が数字を見るのが得意だということを上司が見抜いていたのかは分かりませんが、バトルプランナーを担当することになり、その後にパラメーターやバランスを見るようになっていました。

まだ20歳くらいでそういった経験できたのはありがたかったですね。のちに、会社都合でクビになってしまうのですが……。

ーー会社都合というのも辛いですね。その後もずっとゲーム業界に?

そうですね。そうして気づいたらRPGを作ることが得意になっていました。そこでもバランス調整などを担当して「ここはもう結構できるな!」と感じて、ディレクターになれる道を探したいと思っていました。けれども、コンソール系の会社だったこともあり上の年代の層が厚いため、ディレクターの席は埋まっていて。新作を新人に任せることは、まずありえない状況だったんですね。

ちょうどその頃にモバイルゲーム業界にネイティブアプリが出現し、スマホ単体でゲームを作ることができる未来も見えてきて「今ならチャンスがあるかも!」と思いました。そうしてiPhone初期の時代に、MMORPGを作っている会社に入社しました。入社後すぐに企画立案させていただいたのですが、その作品はのちに300万ダウンロードほどを記録しまして、会社のなかでも売上を出すことができた、僕にとっての初ディレクター作品となりましたね。

ーーコンソールゲーム業界からモバイルゲーム業界に行ったのは、そういった背景からだったのですね。

そうですね。ただ、MMORPGはRPGのなかでも一番時間のかかる種類で、開発に3年、運営2年の計5年くらいがかかりまして。それまで大型タイトルに関わり続けていたこともあり、自分の履歴書を見てみると「自分の関わった作品の数は少ないな!」と物足りなく感じていました。その会社はすごく好きだったのですが、MMORPGを作り続けるのではなく、外に飛び出して、様々な作品に関わるプロデューサーとして事業サイドのことも学びたいと思いまして。そうして、当時設立したばかりのモバイルオンラインゲーム専門の会社に転職しました。

そこは既に100人のメンバーがいるようなスタートダッシュの効いた会社だったのですが、CTO栗田、プランナー前田と出会った場所でもありました。その会社が、自分が入社して2年ほどで解散してしまうのですが……。そのタイミングで起業しようと思って、解散直前まで残っていたガッツのあるメンバーと前職のメンバーを誘い、計5人でネストピを立ち上げました。

【挑戦を選んで生まれた代表作『アンクラウン』の裏側】

ーーこうしてネストピ創業に至ったわけですが、生田さんはいつから起業しようと思っていたのですか?

実は、30歳くらいで起業しようとは漠然と決めていました。前職に入社した時は28歳くらいで、リミットをすでに迎えた状態でたまたま会社が解散して。それが30歳の時だったので、もうこれは起業しろということだと思いましたね。志もアイディアもあり、誘いたいと思うメンバーとも出会いましたし、栗田は確実にそれに乗ってくれると思っていたので(笑)。

ただ、前職でCTO栗田とプランナー前田と最後に作っていたのが「強くてNEWゲーム」というタイトルで、今はネストピで引き継いで運営しているのですが、驚くぐらいに忙しかったんですね。ゼロからリリースまで5ヶ月間で作り上げていて、通信機能を入れたり、ランキングを作ったり、マネタイズの部分も整備したり……とんでもないモノを作ったなと思いましたね。そんな状況だったので、当時みんな疲弊しきっていまして。だから、すぐにビジネスを始めるのではなく、まずは会社だけでも作っておこうという流れで創業しました。

ーー5ヶ月でリリースは凄まじいですね……!まずは会社という箱だけ作ったということだったのですね。

そうですね。普通ならパブリッシャーさんや他のプロデューサーさんとツテを作ったり、仕事がある程度出来る状態を作って創業するべきところを、正しい順序を通らずにとりあえず創業したのでそこは反省しています(笑)。

そのため、当初は資本もないため銀行から融資を受けて、自分たちの貯金も費やして。それだけでは足りないので、受託制作によって資金を集めることになったんですね。でも、ひたすら受託をするための会社という方向性はネストピのコンセプトに合わないと感じまして。「僕たちは挑戦しなければいけない、どれだけ忙しくても挑戦はし続けよう!」ということで作り始めたのが『アンクラウン』でした。

ーーなるほど。『アンクラウン』はどういった意味で挑戦だったのですか?

他にも候補に挙がった企画はあったのですが、挑戦するか置きに行くかで悩みながらより難易度の高い企画であった『アンクラウン』を選びましたね。

また、どの会社でもそうだと思うのですが、はじめは実績も何もないので、受託先で開発業務を行い、夜8時にオフィスに戻ってきて『アンクラウン』を作り、土日も稼働して……という状況で全員がコミットしていました。

まさにスタートアップという体制でしたが、『アンクラウン』の開発に1年半かかってしまいまして。やっぱりゲームは集中して作らないといけないと感じましたね。

そして最後は予定していた部分を実装しきれていなかったですが、リリース延期の繰り返しのなかでメンバーも疲弊し、「これはもう出さなければいけない!」という判断で、まずはリリースしてからアップデートする方針で『アンクラウン』は始まりました。

ーー企画としての難易度はもちろんのこと、フルコミットの挑戦があったからこそ今のネストピの代表作が生まれたのですね。

そうですね。そうしてありがたいことに、『アンクラウン』の存在にユーザーは気づいて、遊んでくださったんですね。その後はAppStore内で紹介されたり、Google Play Indie Games Festivalでアワードを受賞したり。このおかげで今はなんとかなっていますが、それまでは本当に自転車操業でしたね。

そこまで粘ったのも大事だったと思いますし、様々な会社さんと繋がることもできて、実績と信頼も生まれてお仕事をいただいて、会社自体が急成長し安定したと感じています。

今はおかげさまで仕事も多くなっていますが、受託制作している案件もしっかりと成果を出して、クライアントに恩返しできるようにやっていきたいと考えています。そうして出た利益を制作に費やして新作もまだまだ作りたいですし、『アンクラウン』も伸ばしていきたいですし、やることはいっぱいですね。

【スタークリエイターが生まれなくなった理由と、ネストピが作りたい理想郷】

ーーモノづくりと同時進行で会社も作り上げていくフェーズだったと思うのですが、生田さんのなかで創業当時と何か変わったことはありますか?

むしろ、言っていることは創業の頃からずっと同じで変わらないですね。僕はコンソール時代にディレクターになりたくてもなれなかったのですが、「若くてもやっていいじゃん!」と思っていたんです。僕も当時は実力がなかっただけかもしれないですが、自信には満ち溢れていて。生意気で鼻につく若者だったと思います(笑)。

やる気がある人は若くても優秀だと今も思いますし、とはいえ旬もありますから。自分の場合は運よくディレクターになれて、旬を味わえる時間が長くありましたが、アイディアの旬ってどこかにあると思うんですね。例えば35歳で初めてディレクターになっても、世間と自分の感覚が離れていたり、そもそも体力がなくなっていたり……若くしてのチャンスは本当に重要だと思っています。

ーーなるほど、旬ですか。チャンスの有無が岐路になってしまうのは厳しいですよね。

みんな憧れのクリエイターさんの背中を見てきた世代なので、有名になりたいという目標を持っている人もいますし、そうなりたいのになれない苦しさを覚えているように感じました。

そして実際に、今30代くらいで有名なゲームクリエイターを挙げてください、と聞いても出てこないんですよ。この現状も踏まえて、若いうちから優秀である前提で、出るべき芽は育てたいという気持ちがありましたね。

これは”ネストピ”の由来の話になるのですが……ゲームクリエイターを社内で育てるだけでなく、やがて巣立ってほしいという意味を込めて鳥の巣を意味する「ネスト」、理想郷の「ユートピア」で「ネストピ」という名前にしました。僕自身も根っからのクリエイターなので、クリエイターが安心して仕事できる環境が欲しいという気持ちから生まれた名前でしたね。



【モノづくりにコミットする。そのためにあるべき環境とベーシックインカム】

ーーなるほど、ネストピの由来もすごく腑に落ちました。クリエイターにとっての理想郷を実現させることと、インディーズという体制にも何か関連があるのでしょうか?

そうですね。前提として、最近は個人でゲームを作り名前もゲームも知られているというケースは増えてきましたが、国内では個人開発者しかいないと思っていて。デザイナーやプログラマーが何人かでチームになってゲームを作るインディーズは、ネストピ創業当時には業界内にほとんど存在していなかったと思うんです。

何故なのか考えたときに、「僕も何人かのチームでゲームを作りたいのにお金がないし、みんなきっとお金がないんだ!」と思いまして。例えば大きい会社で少人数製作のゲームを作ろうにもプロジェクトが動き始めて予算を貰って、作れるようになるまでにハードルが沢山ありますし、仮に作れたとしてもあくまでもそれは会社全体での売り上げで、チームメンバーの会社での給料が上がるわけではないですし。かといってアフターファイブでゲームを作れるほど甘くないですし、完成するまで無給では仲間も誘えませんから……。

どうすればチームのインディーズを日本で実現させられるか考えてみたところ、ベーシックインカムがあればいいと思ったんですね。それがネストピの新しい報酬体系として生まれた、基本給プラス歩合給の制度でした。社内評価は関係なく、ユーザーからの評価・反応が給与査定に反映されるのが望ましいと思いましたし、「うまくいかなければそれ相応とするのががクリエイターだよね。」と思い、歩合給を取り入れました。

ーーそうしてネストピの歩合給の制度が生まれたのですね。

当時、ゲーム業界もコンプライアンスを気にしなければいけない風潮が強くなって、時間労働的なクリエイターが増えていると感じていたことも、歩合給を取り入れたきっかけにありました。

僕の考えではアウトプットやプロダクトの質で評価したかったのですが、世間はそういう仕組みにはなっていなくて。上司からの評価×働いた時間だけで報酬が決まってしまうと、いいゲームを作ったかどうかは反映されてこないんですよね。これはそもそも報酬設計が間違っているのだと気づきました。誰でもお金はほしいなかで、それを決めるのは上司である状況の場合、当然上司にどう思われるかということが一般的には重要視されてしまうのだ、と思いましたね。

それなら報酬の貰い先を変えればコミットする方向も変わるかもしれないと思いまして。作ったゲームがダウンロードされて売れるということが、お客様の評価そのものですよね。こういった、お客様に評価されることで勝手に給料が上がっていく仕組みにしたかった、という背景がありました。

ーーとても理にかなった制度だと感じましたが、現状で何か課題に感じることはありますか?

とはいえ難しい部分があって。クリエイターとはいえチームですから、ひとりだけ良くてもいいモノは作れませんし、一方で職人気質もあるので、自分の仕事をすごくブラッシュアップしていきたい気持ちもあるんですね。プログラマーは特に多いと思うのですが、能力で評価されたい部分ってどこかあるんですよ。しかしながら、ネストピのような歩合制を実践している先行者もいなかったので、そのバランスについてはメンバーと相談しながら手探りで進めていますね。

現状は今の体制にして良かったと思いますし、メンバーもモチベーション高く働くことができていると感じます。僕が働きたかった環境に非常に近いと思っていますね。


【多数決禁止!インディーズだからこそできる作家性の高いモノづくり】

ーーチームインディーズであることはネストピの大きな特色だと思いますが、制度面以外に重視していることありますか?

前提としてインディーズは資本が独立していて少人数開発で作家性の高い作品を作ることがポイントだと思うんですね。そうしてディレクターの作家性が花開く、世に知ってもらえるという部分を重要視しています。

だからこそ「僕たちはインディースタジオだよ!」と言い続けていますし、これがまた50人、100人になるとまた作り方が変わってしまいますから。人数の多いチームの場合はウォーターフォールでの開発が定石ですが、ネストピは人数が少ないからこそアジャイルなどの手法を取り入れて運用することができています。まさに「ゲームを作っているぞ!」という感覚が楽しめる環境だと思いますね。

ーーたしかにゲームを作っている手触り感は、少人数ならではですよね。

そうですね。具体例でいうと、以前とある会社がすごく盛り上がっていて「怖いものなしで良いモノを作るなぁ。」と感じていたのですが、ある一定のサイズを超えると企業としての成熟を求められるため、作りたいモノを作りづらくなっているように感じたんですね。

そういった経験もあったので、ネストピは会社全体としてメンバーが最大100名までと決めています。ネストピではスタジオと呼んでいるのですが、これはプランナーやデザイナー、プログラマーが所属している10名前後のチームを指していまして、それを全部で9スタジオまで拡大したいと考えています。

ーー経験を踏まえて最大数を決めているとのことですが、それぞれのスタジオにも特色が生まれそうですね。

そうですね。ネストピは開発の仕方も各ディレクターに委ねていますし、ゲームを作る順番も手法も、マネジメントもそれぞれのディレクターによって変わっていて良いと思っていますから。

そのため会社から言うことはひとつもないのですが、ただ一つだけ合議制は禁止というルールにしています。チームが混乱したり、ディレクターの心が弱ってみんなに意見を求めてしまったり、そういった理由で多数決的に方針を決めていく、チームみんなで作っていくのは良くないと思っていて。多数決というのは平均値をとるための手段なので、作品を作るためには向いていないんですよね。

可能であったらディレクター1人に思い悩んでもらって、その決断が間違っていた方がめちゃくちゃ面白いと思うんですよ。それが人間らしさにも繋がると思っていて、綺麗に成形されたモノを楽しむよりも、ろくろで作ったような味わい深い方が作品として面白いですよね。完璧でなくていい、それがインディーズである醍醐味だと考えています。


【クリエイターが花開く、アツい才能の集まる場所へ】

ーー作品としての面白さについてもネストピらしい個性を感じます。モノづくりにコミットしたい人にとってすごく恵まれた環境だと思いました。

先ほどあったように、僕は順序が大切だと思っていて。お金も大事ですし、モノづくりも大事ですし、大事なことって世の中にいっぱいあるんですよね。どれかしか選べないのはおかしな話ですし、でも優先順位はあると思うんですね。

僕たちは「すごくいいモノを作ったからお金がついてくるよね!」という考え方なんです。周囲で上手くいっている人たちも、このパターンが多いと感じていて。この順序が逆になると大変なことになりますし、だからこそまずはアウトプットに集中することで結果がついてくると思っています。

というのも、いいモノを作りたい時にひとりではできなくて。才能が集まることによって、輝き始めると思っているんです。こうして僕たちも、埋もれる可能性があった才能が花を咲かせたり、切磋琢磨できる環境を作れてきているように感じますね。

ーーそうして花咲いたクリエイターたちがゲーム業界を牽引していったらすごく理想ですよね。

漫画界のトキワ荘ってまさにレジェンドだと思うのですが、トキワ荘のように、活躍しているクリエイターがネストピ出身だったという状況が生まれたら面白いと思いますね。

この世の中に、内心はめちゃくちゃクリエイター気質な人って、すごくいると思うんですよ。ネストピを経営していると、周りの社長さんに「そんな人いないよ!」「採用うまくいくの?」と今後の成長を心配されるのですが、僕は「沢山いるよ!」という感覚を得ています。それをもっと増やしたいですし、もっと増えてほしい。こんな場所があるぞ、とネストピを見つけてほしいですね。

ーー生田さんにとっての理想が、いまのネストピを形作っているのですね。

僕も若手の頃は正直、心が折れそうになっていたので……。その時の自分にも「こんな場所を作れたよ!」と言ってあげたいですね。とはいえ僕は結婚もしたいですし(笑)。だからこそベーシックインカムもしっかり整備したいですし、健康面も大事にしたいと考えています。

これも順序だと思っていて、ワークライフバランスを守るために仕事をするのではなく、良いモノづくりをするためにもワークライフバランスを意識する仕組みが必要だと感じていまして。僕自身もそうですが、クリエイターはモノづくりに夢中になると、そういったことをついつい忘れてしまいますから。だから制度として準備をしつつ、まだまだこれから整備しなければいけないとは思っています。

このあたりについても、これから入ってくださるメンバーと乗り越えつつ、楽しんでやれる仲間になれたら嬉しいですね。


株式会社ネストピ
モノづくりに魂を捧げる狂気のゲーム開発会社「株式会社ネストピ」の公式サイトです。
https://www.nestopi.co.jp/
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