蝉の声がかすれるような響きに変わり始めた安勝の山風が吹き抜ける教室で、タケシは全国模試の結果を受け取り、鞄にしまった。悲惨な判定であることは見るまでもなくわかっていた。進学する者、専門学校や就職を選ぶ者―。さまざまな進路に向かうクラスメイトたちの中で、「自分は何者にもなれない」という思いだけが膨らんでいた。
中学までは、スポーツは苦手でも、成績が支えだった。でも高校に入ってからは、目立たず、報われず、何もかもが空回りする日々。恋も、部活も、歌やドラマに出てくるような青春とは無縁の3年間。教室に掲げられた「文武両道」の四文字を見るたびに、タケシは「自分は何をやってもダメなんだ」と、無力感の底に沈んでいた。
どうせ受けても赤点になるとわかっているテストの日は、隠れ家に通った。末広町のカトリック教会だ。狭い名瀬の街で、誰にも見つからず、お金も使わずに過ごせた。ある日、眠りに落ちたタケシが目を覚ますと、見知らぬ男が立っていた。
「君は、将来何になりたいんだい?」
突然の問い掛けに戸惑いながらも、タケシは答えた。「なにかわからないけど、誰かに夢を与えられる人になりたい」
男は、穏やかに微笑みながら答えた。
「人生は、想像できることなら、たいてい実現する。まずは〝自分にはできる〟と信じることが、すべての出発点だよ。〝どうせ無理だ〟と思えば、その通りになる。大切なのは、君が特別な存在だと信じること。そしてその信念を支えるのは、毎日、胸を張って努力したと言える時間なんだ。どんな分野でも、一流になるには、100時間、300時間、千時間と積み重ねるしかないんだよ」
男はそう言い残し、静かに去った。二度と現れることはなかった。彼の手首には、タケシと同じ場所に一本の傷跡が残されていた。
その日から、タケシは、何かに突き動かされるように黙々と没頭するようになった。
寄稿:南海日日新聞 つむぎ随筆(2025年9月)