これまで褒められるのは
成績、委員長としての立ち居振る舞い、ファッション
でもそれはすべて
相手が求むようなものを身にまとってきた結果。
そう、
わたしじゃない。
だからこそ、認められれば認められるほど
わたしがいなくなった。
でも、その賞賛の声は心地よくて
純粋に嬉しかった
それと同時に
その仮面が外れるのが、壊れるのが
怖くて仕方がなかった。
だから、もっと相手の求めるもの、姿でいるようになった。
しかもいちばん怖いのは
すべてが無意識だったってこと。
あとから振り返って、ようやく気づくほど。
そんな中、中学2年
私の声を、歌をほめてもらえた。
唯一、本当の私を見てくれているような気がした。
この声は私からしか発せない
似てる声はいても完全一致はいない
だから私には音楽しか無かった
私がアーティストをしていたのは
私の歌を褒めてくれた子を救うためとかいっていたが、
結局私が救われたいだけ
自分を見て欲しいだけ
別に親が家に帰ってこないとか
友達がいないとかじゃない
逆に過干渉だしすべての選択に口を出してくるタイプの親
だけれども、
私たちの関係は親と子というよりかは
親とカウンセラーに近かった。
どんな親か。
時代が時代だったので、
国籍が違うことで周りから虐められた学生時代
韓国の有名なお嬢様家庭で育った祖母の影響で
とても固く育てられてきた親
親も一緒だった。自分を見て欲しい。
私の父はいないので、
自分を見てくれるのは私たち子供だけ。
親と子供ってお互いに唯一無条件で愛される存在だと思うんですよね
あーあ、本当に残酷。
だからこそわたしは
彼女の仕事も服装も言動も悩みも
全てを相談されていた
そういう意味では親の全ての選択の責任が
私に降り掛かっていたのだ。
家では親より大人でいなければならない
そのうえ、親の自信を損なわないように
私が由緒正しく、エリートで、優秀でいなければならない。
失敗作だと言われたくないのではない。
親に子育てを失敗したという経験をつませたらだめだと思っていた。
そこだけを見ると心優しい人間に見えるが、
そうじゃないと家の雰囲気が乱れるから、
ストレスが増える。それを防ぐために思ってたのかもしれない。
正直未だにわからないが。
少し話はそれましたが、
自分を見てくれてる、と思ったのが唯一音楽だった。
元々音楽を3歳からしてきたからこそ好きではあった。
だけれどもこんなに歌に縋るのは
先程綴ったように、
唯一自分を認めてもらえているような気がしたから。
大学も家も全てを捨てて
アーティストとして生きて行くことにした。
ソロで事務所に所属したり、
1分で30万投げられるような配信者になったり、
バンドを組んで曲を作ってみたり
ユニットを組んで箱でライブをしてみたり。
そこで出会ったバンド、ユニットのメンバー。
音楽で生きていく!いう志はもちろんあるが、
一方で
典型的な恋愛で避けるべきと言われている3B。
女しか頭にないタイプのメンバーだったので、
そこで目の前が真っ暗になった。
私の歌を求めてくれていたと思っていた仲間は
結局身体を求めていただけ。
やっと自分を認めてくれたと思ってた、
自分でいられると思っていた音楽
思っていたのと違うくて落胆して
すぐに解散
唯一自分が生きる活力だった
音楽、アーティストの道も失ったように感じた。
何も残らない私。
眠れないので朝方に1.2時間寝て、
ベットの上で過ごす生活。
ごはんものどを通らない。
頭がはっきりしているといろいろ考えて耐えられなくなるので、
それを防ぐためだけにアルコールを流し続ける日々。早く終わらせたいと何度も試みた。
最後の最後で思い浮かぶのはいつも、3個離れた弟の顔。
弟には私の二の舞になって欲しくない。
私が人生を諦めたら親のサンドバックになっていた私の立ち位置が弟に移ってしまう。
それを防ぐ為だけにいつだって人生を諦める選択肢はどうしても取れなかった。
生きるのであれば、食いつなぐために
お金を稼がないといけない。
だけれども
家を出た2025年3月
双極性障害が悪化している。
精神疾患の子供っていうのは
親からしたら失敗なので、
精神科には通えなかったが、中学生から症状はあった。
体が動かない
お金を稼がないといけない
配信であれば今の自分でも稼げるけれども
人ともうかかわりたくない。配信ももう疲れた。
人生諦めたい人間が
生きるためにお金を無理して稼がないといけない
そんな矛盾に耐えられることなんてもちろんなくて
死にたいが加速した。
─────
そこで出会ったのが、
Antraceでした。
正直、最初は仕事なんて何でもよかった。
生きるためのお金が必要だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
また誰かが求める自分を演じて、
また仮面を被ればいい。
そう思っていた。
でも、ここは少し違った。
「もっとこうした方がいい。」
そう言われることはある。
でも決して
“私じゃない誰か”になれという意味ではなかった。
私が元々持っているものを
どう伸ばすかを考えてくれての発言ばかり。
今までの人生は、
足りないものを繕って、
相手が求める正解に近づくことばかりだった。
認められたいんじゃなかった。
私はずっと、
見つけてほしかった。
演じている私じゃなくて、
不器用でも、
感情がぐちゃぐちゃでも、
そのままの私を。
ここで初めて、
歌じゃなくても、
「私」を見てもらえる場所があることを知った。
だから私は、
音楽を捨てたわけじゃない。
いまだに音楽はやっていくつもりだ。
ただ音楽でなくとも、
私という人間で勝負できることを、
初めて信じられた。
ただ本当のことをいうと
今でも怖い。
期待されると、
また演じそうになる。
褒められると、
また仮面を被りそうになる。
何十年もそうやって生きてきたから、
急には変われない。
それでも、
少しずつ。
「誰かに好かれるための人生」じゃなく、
「私として生きる人生」を選びたいと思えるようになった。
ここは私が初めて、
「私」として生き始められた場所。