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【山陰創生の主役たれ!】キャリア最後の仕事をこの街と共に『アート建工メンバーインタビューVol.3』

入澤 哲也 群馬県出身。大学卒業後、新卒でOA機器メーカーに入社し営業担当としてCADソフトウェアの販売業務に従事。仕事を通じて設計という仕事の魅力に目覚め、20代後半に脱サラし専門学校に入学。卒業後は建築の業界に飛び込み施工管理、営業を経て設計士に。2021年アート建工に入社。業務改善室と設計部の責任者として組織をけん引。

『アート建工メンバーインタビュー』とは?

鳥取の住まいづくりの次に目指すのは、住みやすく快適な山陰の街づくり。そんな街を、山陰のよりよい未来を願う人と共に創りたい。地方創生のモデルケースを体現するアート建工のメンバーにフォーカスを当て『アート建工がどのような会社か』『どんな人が働いているのか』を少しでも知って頂きたく社内のメンバーでしか聞けないことをインタビューしありのままを発信していきます。

現在のお仕事内容を教えてください。

 業務改善室及び設計部の責任者を仰せつかっております。住宅を建設するときには設計図を作成しなければいけません。お客様の希望を聞き取って実際に形にする仕事であり、私はメンバーのサポートをしながらお客様が満足する住まい作りの実現に日々取り組んでいます。

入澤さんは元々業界キャリアも長く、即戦力としてご入社頂きましたがずっと設計のお仕事をされてきたのですか。

 実は学生時代は心理学を専攻していた文系学生でして、新卒で入社した会社はOA機器のメーカーでした。今でこそ色々なCADソフトがありますが、私が1社目で営業の仕事をしていた頃は何百万円もする時代でした。営業先のお客様には設計士の方々も多く、勉強の意味もあって設計事務所に出入りをしていたら設計の仕事が『素直に格好いい』と感じてきまして。自分もこんな仕事がしたいなと感じ一念発起して会社を辞め、資格取得ができる学校に入学しました。27歳くらいのことだったと思います。

鳥取県立武道館(弓ヶ浜)での自主練風景

27歳の頃ですか。今でこそ転職も当たり前になってきましたが当時は20代後半でジョブチェンジされる方も珍しかったのではないのですか。

 そうですね。その頃友人数名と富山に旅行に行きました。皆学生時代からの同級生だったのですが医師や公務員等みんな立派に仕事をしていまして、一方の私は会社を辞めて設計士を目指して学校に入りなおしたという話をしました。皆あきれて笑っていましたね(笑)私も冷静に考えたらそう思います。ただ、理屈ではなく設計士の先生方が素敵でした。先にお話した通り、当時営業の仕事で設計事務所によく出入りしていました。今ではほとんど使用している人は少なくなりましたがドラフター(※製図用に特化された製図台の一種。 製図板上にT定規、勾配定規、縮尺定規などの製図道具の機能を集約したアームがついている製図台)を使用して製図をする姿が美しいと感じたんです。単純に憧れましたね。それから学校に通いましたので建築の業界に飛び込んだのは20代後半からでした。

 それから現場監督の見習いとして地元の企業に就職しました。そこでは施工図を徹底的に書いていましたね。それだけではなく現場管理の仕事にも従事させて頂きました。実際の現場では職人さんにも色々と教えて頂きましたし、現場を知ることで設計という机上で行う作業にも活かせる知識を沢山身に着けることが出来ました。本当に自分の財産になった時期だったと思います。

そこからアート建工にご入社されたのですか。

 いいえ。それからもストーリーがありまして。その後に転職した会社で初めて設計士として採用をして頂きました。地元の群馬県前橋市で高断熱の高機能住宅を手掛けている会社でした。自身も興味のある領域でしたのでご縁あって入社させて頂きました。10年ほど勤務させて頂き最後は役員まで務めさせて頂きました。その後、ありがたいことに東海地方の会社さんに人づてでお声がけを頂き前職の会社へ転職しました。新しい事業部の立ち上げを任せたいとオファーを頂きました。いずれは群馬に帰って独立したいなと考えており3年間というお話で東海地方に住まいも移しました。結局あれよあれよと気づいたら15年ほど住むことになりました。数十億円の売上を持つ地場の中堅ビルダーでしたが責任あるポジションでしたし会社の売上基盤を支えるポジションで非常にやりがいもあり、周囲にも恵まれていたと思います。でなければこんなに長い時間を過ごすことはなかったと思います。ただ、現在55歳になった自分が残りのキャリアを考える機会がありました。

 商品開発の企画をする際のことです。当然更なる事業成長のために新たな商品を考えるのですが、これまで私のしてきた仕事は、現場ではお客様の一邸一邸に向き合い責任者としては会社の売上拡大やシェアアップに取り組んできました。商品企画の段階でも一つの家、一組の顧客にいかに満足してもらえるか、結果売上を拡大できるかという観点で臨んでいたのですが自身がこの業界に飛び込んだ時に感じた初期衝動『狂おしいほどに憧れた仕事』なのか疑問を持ってしまいました。街づくりを通じて地図に残る仕事をしたいという原体験を叶えられているか。と自問をしていました。事業である以上、当然成長や売上は求められます。ただ自身の立場や会社の状況を考えるとどうしても、憧れと事業的な成功の両立は難しいと考えるようになりました。そんな時に出会ったのがアート建工でした。


群馬県の高断熱高気密住宅設計施工会社に勤務していた時のworks

入社の決め手はその両立が可能だと感じられたからですか。

 代表の魚谷社長とお話する機会がありましたが、鳥取や島根といった山陰エリアの課題についてお話して頂きました。人口の減少やそれに伴って産業や町が衰退している、ただ自身はこの状況を本気で変化させたい。という熱いお話を伺いました。率直に街づくりに携わることができると感じました。既に土地が持っている要素、人が豊かに暮らすことができる要素を持ち合わせている場所だと感じましたし、社長のお話も熱量だけではなく論理性や未来の展望にも納得感があり、ちゃんと事業として成り立つプランの実現性にも共感しました。夢を現実にしたいという情熱とそれを具現化するための方策を持ち合わせていらっしゃる、そんな経営者だと感じました。私自身キャリアの最後を賭けてもいいと思える、いや賭けるべき環境があると強く感じました。

土地が持っている要素とは具体的にどういったものですか。

 この地の自然や地形が一番だと思います。建築物や人工物は作ることができますが自然や地形は人間では作ることができません。海や山といった豊かな自然環境が山陰の一番の魅力だと思います。これまでのキャリアで沢山のご家族に住まいを提供する仕事をしてきましたのでお客様の様々な”暮らし方”に触れてきました。都市部で働くビジネスパーソンはお休みの日にキャンプやアウトドア、レジャーに出かけ小さな住宅に住まわれます。自宅に書斎や仕事スペースがあるお家は多くはなくテレワークになっても自宅では集中できないと、オフィスや近くのカフェに行かれる方も多くいらっしゃいます。近年はキャンプブームもあり都心近くのキャンプ施設は週末にはたくさんのご家族連れが多くいらっしゃいますが、片道数時間をかけて混雑する施設ではあまりリフレッシュもし辛いと感じていました。例えば私の住む米子市は海からも山からも1時間以内という環境にあり、サーフィンや海水浴、ゴルフやキャンプといったアクティビティが日常の延長線上にあります。とは言え人口14万人という都市でもあり生活インフラが整い、国内線の空港もあります。また、皆生温泉という温泉街が市中の比較的中心地にあり、通常は山間にひっそりと佇む温泉街の街並みや雰囲気が、街中に存在している日本の中でも稀有なスポットです。テレワークやリモートワークという概念が浸透することで『鳥取に住む人が鳥取で働く人である必要がない』と思っています。逆もしかりなのですが、人流が生まれることで街が活性化すると思っています。人がオンもオフも充実させクリエイティブな思考を持ち続けられるそんな環境がここにはあると思っています。


中海へカツカレー弁当持って”ポタリング”した際の一枚

人が潜在的に求めているニーズがこの地にはあるということですね。とは言え転居も伴うご転職でご苦労はありませんでしたか。

お恥ずかしながら何十年かぶりの一人暮らしで、最初は洗濯すらも大変でした。東海地方に家族を残して単身こちらへ来ましたので洗濯洗剤や柔軟剤を購入する際も妻に連絡して確認していたほどです(笑)日常の生活自体は充実しています。体を動かすことが好きで、自宅前の川沿いにある遊歩道を週に2回~3回ランニングをしています。ランニングコースの復路では大山を望みながら走っています。天気の良い日、美しい大山を見ながらのランニングはとてもハッピーな気分になります。休みの日には自転車で海沿いに行き手作りのお弁当を食べたりもしています。料理は苦手なのですが、妻が毎週調理した総菜を冷凍してこちらへ送ってくれます。本当に感謝していますね。家族と離れて暮らすことの寂しさもありますが、転職の際も彼らが背中を押してくれました。アート建工は魅力的な会社に感じながらも悩んでいた私に「挑戦していることがお父さんらしい」と言ってくれました。思えば20代後半もそうですがいくつになっても自身のパーソナリティは変わらないものですね(笑)



仕事を通じて叶えたい夢や目標を教えてください。

個人としては地図に残る仕事、人々の思い出を作る街を創る事ですね。組織としては全スタッフがお客様の笑顔や幸せを作っている仕事だと感じる、思ってもらえるような組織にしたいと思っています。我々の商品としてのアウトプットは”住宅”になりますが、それは建築という単なるハードではなく「お客様を幸せにしたい」というスタッフの想いも込められています。特に我々の仕事は関わる人が多くそのすべての人の働きや想いの最後のカタチが住まいになっています。組織としてこうありたいという意味もありますが、間接部門も含めて全員がそう思うことによって少しの改善や、細やかな改良につながると考えています。ひとつひとつは小さなことでも積み重なった先にはより大きなお客様の満足や感動があると信じており、すでに実践できている風土や文化ではありますがより進化させていきたいと思っています。

入澤さんありがとうございました!

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