短冊の願い事は、なぜ職業だったのだろう。
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将来の夢を聞かれるのが苦手だった。
それなのに今、私は人の仕事探しを手伝う仕事をしている。
我ながら不思議な話だと思う。
七夕が近づくと、毎年思い出すことがある。
保育園や小学校では、この時期になると短冊を書いた。「将来の夢を書きましょう」と先生が言う。周りの子たちは、ケーキ屋さんやお花屋さんやサッカー選手になる夢を書く。
私も最初のうちは似たようなものだった。
パン屋さんになりたいと思った年もあったし、学者になりたいと思った年もあった。デザイナーになりたいと言っていたこともある。
今振り返ると驚くほど一貫性がない。
たぶんその時々で、目に留まったものに飛びついていただけだ。
ところが、小学校に入ったあたりから違和感を覚えるようになった。
将来の夢って、なんで職業なんだろう。
もちろん子どもだったから、そんな言葉で考えていたわけではない。でも何となく、「パン屋さんになりたい」と書くことがしっくり来なくなった。
パン屋さんになれたら、それで人生は完成なんだろうか。
学者になれたら、それで幸せなんだろうか。
職業は人生の一部ではあっても、人生そのものではない気がした。
その結果、私が毎年短冊に書くようになったのは「笑顔でいたい」だった。
先生は困った顔をした。
たぶんもっと具体的な夢を書いてほしかったのだと思う。
「何になりたいの?」と聞かれても、私は首をひねるばかりだった。
だから先生に聞いた。
「笑顔でいたいじゃダメなんですか?」
先生が言葉に詰まると、私は意地になってさらに続けた。
「じゃあ私に笑顔でいてほしくないんですか?」
今思えば大変面倒な子どもである。
先生だってきっとそんなことを言いたかったわけではない。
それでも当時の私は本気だった。
何になるかより、どんなふうに生きていたいかの方が大事に決まっている。
今なら先生の気持ちも少し分かる。
看護師さんでも、ケーキ屋さんでも、かわいい文字で書いておけばいいのに。
でも残念ながら私はそういう子どもではなかった。
「将来の夢」と呼ばれているものと、
自分が願っていることの間にあるズレが気になって仕方がない。
だから七夕は少し苦手だった。
みんなが楽しそうに夢を書いている横で、自分だけ設問の意味を考え込んでいる。
大人からすれば、少し心配な子どもだったはずだ。
何になりたいのかよく分からない。
やりたいこともよく分からない。
ただ「笑顔でいたい」と言っている。
将来への希望があるのかないのかもよく分からない。
でも、二十数年ほど人生をやってみて分かったことがある。
どうやら私は、ちょっと理屈っぽくて、かなりおめでたい性格らしい。
近所に見事なアナベルが咲いているだけで嬉しい。
(アナベル…白くてふわふわのアジサイ、この時期から夏の盛りにかけてよく見かける)
落ち込んでいても、交差点で向かいからかわいいワンちゃんが来れば機嫌が良くなる。
ポメも、ゴルも、イタグレも大好きだ。猫派なんだけどなぁ。
変な本を読んだり、くだらない話をしたり、新しい知識を一つ覚えたりするだけで、その日はわりと満足できる。
もし当時の先生が今の私を見たら、少し安心すると思う。
将来の夢に「笑顔でいたい」と書いていた子どもは、ちゃんと笑って暮らしている。
もちろん人生なので嫌なこともあるし、落ち込む日もある。
それでも総合すると、結構楽しい。
子どもの頃の私は「笑顔でいたい」と願っていた。
でも今は、その願いをあまり思い出さない。
別に叶ったというほど大げさな話でもない。
ただ、気づけば勝手に笑っていることが増えた。
だから今年、もし短冊を書く機会があったら何を書くだろう。
パン屋さんではない。
学者でもない。
もちろん「笑顔でいたい」でもない。
二十年前、将来の夢に仕事をすっ飛ばして人生そのものを書こうとしていた子どもは、
なぜか今、人の仕事探しを手伝う仕事をしている。
相変わらず将来の夢と職業の関係には疑問を抱き続けている。
だからこそ私は、目の前の方に対しても「どんな職業に就くか」だけでなく「その人がどんな風に生きていきたいか、笑顔でいられるか」を一緒に考えたいと思っているのかもしれない。
だから今年の願い事は、もっと素直なものでいい気がしている。
なんだろう。
もっと具体的で、もっと切実な……
「週末に食べた牡蠣が大丈夫でありますように!」