株式会社BANDAL|note
BTOPCブランドであるバンダルゲーミングの運営に注力し、最高のゲーム体験を追求する製品を提供。製品の企画から販売、マーケティング、アフターサポートに至るまで一貫した体制を整え、顧客満足度の向上と長期的なブランド価値の向上を目指しています。
https://note.com/bandal
株式会社BANDALはゲーミングPCブランド「BANDAL GAMING」の企画・製造・販売を行うスタートアップです。
法人設立初年度から累計1,500台以上のゲーミングPC・ワークステーションを製造・販売を行い、直近ではEast Venturesなどから5,000万円の資金調達も行っております。
そしてそんな会社の代表は、実は大学生。
高校1年でフルオーダーメイド式ゲーミングPC工房としてスタートしたのをルーツに、広告費ゼロでTikTokからの集客を実現。
初投稿は50万回再生、社員はライブ配信の視聴者というセンセーショナルな経営スタイルで注目を集めています。
濱野(あーとん)とは何者か。勉強漬けの幼少期や家出、転校を経てたどり着いたのは「自分らしく、仲間と働ける場所」をつくるという挑戦でした。
半生をたどります。
濱野 新太| 代表取締役
香川県出身。立教大学在学中。中学時代よりゲームに没頭し、高校1年生でゲーミングPC販売事業で起業。当初はTwitter(現X)のフォロワーを基盤としたファンビジネスからスタートし、後に株式会社BANDALを設立した。TikTokを活用したマーケティング戦略で急成長中。
―幼少期はどのような環境で育ちましたか?
濱野:香川県で生まれ育ちました。
母からは東大進学を強く望まれ、幼い頃から厳しい教育環境に置かれていましたね。毎日、資本主義社会の厳しさを教え込まれていました(笑)
小学生時代から塾通いに明け暮れる、勉強漬けの日々で、正直すごく嫌でしたね。
―東大を目指していたのはご両親の希望だったのですね。勉強漬けの日々とのことすが、深く思い出に残っていることはありますか?
濱野:勉強が嫌すぎて、1週間ほど家出をしたことです。
小学生の1週間にわたる家出は長いですよね(笑)
―確かに(笑)その後、中学受験をされて岡山県の私立中学に進学されたそうですが・・
濱野:はい、中学受験をして、香川県から岡山県の私立中高一貫校に進学しました。
中学受験は、親の意向もありましたが、私自身も外の世界を見てみたいという気持ちが強かったんです。香川県は島なので、本州に行ってみたいと。
当時は、漠然と広い世界を見てみたい、という気持ちが強かったですね。
―中学生活はいかがでしたか?
濱野:実は、中学2年生の時に、また家出をしたんです。
母からのプレッシャーで、押しつぶされてしまって。
今もそうですが勢いで行動するタイプなので、その時の感情を優先しました。
それで、実家から2キロほどの距離にある、祖父母の家で生活することにしました。
それまでずっと勉強しろと言われ続けてきたので、祖父母の家で過ごした時間は、私にとって初めて勉強から解放された時間でした。
―ゲームとの出会いはいつ頃でしたか?
濱野:小学校2年生の時に、ゲーム機を買ってもらっていました。
ただ勉強しなかったり、ルールを破るとすぐに壊されてしまうので、自分の家には置いていませんでしたね(笑)
中学受験に合格した後にPlayStationを買ってもらい、本格的にゲームにのめり込んでいきました。
―中学時代もゲームに没頭していたんでしょうか?
濱野:はい、中学校2年生の時にプロゲーマーに憧れて、パソコンでゲームをしたいと思うようになりました。
でもお金がなかったので、メルカリでパーツを買い集めて、5万円ほどで自作PCを作ったんです。
性能は良くありませんでしたが、そのパソコンでずっとゲームをしていました。コロナ禍ということもあり、ずっとゲーム漬けでしたね。
X(旧Twitter)では、ゲームのプレイ動画を投稿していたのですが、フォロワーが3,000~4,000人ほどに増えて、ゲーム業界では名が知られるようになっていきました。
―高校1年生で起業されたと伺いました。どのようなきっかけがあったのでしょうか?
濱野:フォロワーが増えたなかで「せっかくなら、自分の発信力を活かして何かできないか」と考えるようになりました。
そこで思いついたのが、ゲーミングPCの販売でした。
最初は、ファンビジネスとして限られた方に販売するという形でスタートしました。
徐々に実績が積み上がっていくと「もっと多くの人に届けたい」と思うようになり、高校1年生の時に『BANDALゲーミング』を立ち上げ、本格的に事業化することにしたんです。
―学業とビジネスの両立は大変だったのでは?
濱野:そうですね。でも両立よりも、周囲からの理解を得る方が大変でした。
先生から国立大学を勧められましたが、既に起業していたので、そのことを先生に話すと、受験勉強に集中すべきだと叱られてしまいました。
そのまま、進路の意向が合わず、最終的には高校を退学する決断をしました。
時間的な両立以上に周囲からの理解を得ることのほうが大変でした。特に印象に残っているのが、高校2年生のときの進路相談です。
先生から国立大学を勧められましたが、私はビジネスに本気で取り組みたいと思っていたんです。
その想いを正直に伝えたところ「今は勉強に集中しなさい」「ほかのことは後にしなさい」と否定されてしまって。
「大学進学=正解」という価値観が前提にあるように感じて、違和感を覚えました。
そこで、別の学校に転校することにしたんです。
―転校は大きな決断でしたね。転校先の高校はいかがでしたか?
濱野:高校3年生に上がるタイミングで転校しました。新しい学校は男子校だったんですが、すごく居心地がよくて、のびのびと学校生活を送ることができました。
転校して2週間後には、先生から「1年生の時からいた?」と言われるほどで(笑)
前の高校では、大学進学が当たり前で、起業に対して理解を得られませんでしたが、転校先では卒業後に就職する人もいれば、それぞれ違う分野で挑戦している人もいて。
多様な進路や考え方が当たり前という雰囲気があったので、私の選択や活動も自然に受け入れてもらえました。
肩の力が抜けて、自分らしくいられる環境でした。環境の変化もあって、高校3年生で、合同会社を設立し、法人化しました。
―起業後は、そのまま経営に専念する道もあったと思いますが、大学へ進学しようと思ったのはなぜですか?
濱野:中学時代から育ててもらった祖父母への恩です。
祖父母は、勉強や将来について、私のやりたいことを優先してくれました。陰ながら支えてくれていることは、ひしひしと感じていましたし、事業を始めた時も特に反対することもありませんでした。
そんな祖父母から「大学進学できるようにお金を貯めているから、ぜひ行ってほしい」と言われたんです。
その話を聞いて、祖父母がそこまで考えてくれていたことに、胸が熱くなりました。同時に進学することが、私なりの恩返しになるのだと強く感じ、大学へ行くことを決意しました。
―起業や法人化など、様々な決断をされてきましたが、困難な時期はどう乗り越えられたのでしょうか?
濱野:基本的には、自分で考え、自分で決断して乗り越えてきました。たとえば、売上が伸び悩んでいた時期は、正直焦りもありました。
そんななかでも、打てる手を一つひとつ考えて実行するしかないと思っていて。
もともと運用していたTikTokのビジネス用アカウントの他に、2024年10月にTikTokの個人アカウントを立ち上げ、自分自身でも発信を始めたんです。
ゲーミングPCって、スペックだけで見れば、どこで買っても大差はありません。
だからこそ「誰から買うか」が大事です。会社の代表である自分自身が顔を出し、ブランドの世界観や価値を伝えることで、信頼や共感を生み出したいという想いがありました。
個人アカウントの初回投稿は、いきなり50万回再生されて驚きました。広告費を一切かけていないにも関わらず、ここまで反響があったのはうれしかったですね。
自分自身の言葉や表情で発信することで、会社の認知度だけでなく、自分という人間にも興味を持ってもらえるようになった実感があります。
―ところで、現在活躍されている40代の社員の方とは、TikTokライブで出会ったそうですね
濱野:毎週2回TikTokライブをしていたのですが、毎回来てくれる方がいました。その方が、彼です。
TikTokライブを通じて、優秀な人材の発掘にも繋がるとは思ってもいませんでした。
彼は、非常に素晴らしいキャリアを持っていて、特にECサイトを根本から作り変える必要があると指摘されたのは、大きな転機となりました。そのおかげで、粗利は3倍になりました。
―経営者として大切にしていることは何ですか?
濱野:大切にしているのは、仲間です。全員が同じ方向を向いて、自然と力を合わせられるような、家族のようなあたたかい組織を目指しています。
私は家庭環境に恵まれていたわけではなくて、いわゆる「普通の家族」というものをよく知りません。
だからこそ、一緒に働く仲間には、安心できる場所を作りたいと思ってます。
―今後の展望について教えてください。
濱野:TikTokを活用して、業界ナンバーワンを目指しています。競合はすでに年間10億円規模の売上を上げているので、私たちも3年以内には追いつきたいです。
そのためのスケールアップには「人」が欠かせません。
今までは一人でしたが、ここから先は、同じ熱量を持って事業を推進してくれる仲間の力が必要です。
組織として、新しい視点や発想を持つ人材と一緒に働きたいです。