はじめまして。株式会社ヤトラ代表の黄 健輔(こう けんすけ)です。
趣味は旅と冒険で、56カ国渡航、47都道府県踏破、キリマンジャロ登頂しました。
ヤトラは2023年8月創業の観光業/旅行業スタートアップで、訪日外国人向けのツアー・旅行業・メディア事業、行政や民間企業へのインバウンドコンサルティング事業、民泊をはじめとした不動産事業を運営しています。
よく「ヤトラ」とはどういう意味か聞かれるが、ヒンディー語で旅を意味する。私と共同代表兼共同創業者の田代が出会ったのがインドのコルカタということでインドにゆかりがあるということと、旅に関する事業を営んでいることからヤトラという会社名にした。社名からも分かるようにかなり「旅」や「バックパッカー」や「国際関係」としてのカルチャーが強い社風になっている。

ガンジス川で田代と沐浴
そこで、今回のnoteでは、①私自身の旅の遍歴②旅をしていたことで今も活きていること③旅や海外を強いカルチャーとする会社で働くということ、について記すので、海外経験を仕事で活かしたい人/旅好き/バックパッカー/国際的な職場に興味がある方はぜひこのnoteを読んで欲しい。
目次
- ①旅の遍歴
- ②旅をしていたことで今も活きていること
- ③旅や海外を強いカルチャーとする会社で働くということ
- 4期目に向けて
①旅の遍歴
まず、私自身の旅の遍歴について遡る。
初めての旅は9歳の時。私は静岡県西部のかなり田舎出身で、私の家の近隣には近代的な娯楽がほとんどない。
そこでボウリングをするために20km離れたボウリング場まで同い年、9歳の友達8人ほど自転車で向かった。当時はスマホはないので紙地図を持って、小さい体で自転車を漕ぎボウリング場に辿り着いた。
道中では迷い、転び、遅い人を牽引し、来たことを後悔している人をみんなで励ましながら往復40kmを踏破した。たかが2個隣の市に行っただけだが、9歳の私にとっては大冒険だった。

9歳のKen少年、海沿いを小学生チャリで爆走
その際の経験が、知らないところに行くこと、知らないことを知ること、自分の力によって目的地に到達することがたまらなく面白く、興奮し、脳汁が出るということを実感した。
そこから小学校〜高校までは自転車で行けるところまで旅し(自転車で100km圏内ならどこまでも行っていた)、大学になり移動手段が飛行機/バス/列車が追加されたことで脚は世界に向き、世界を放浪した。
初めて海外をバックパッカーとして1人旅したのは18歳の時のカンボジア。英語も話せず、所持金数千円で渡航した。案の定現地ではトラブル続きで、足の指の骨が折れたり、ぼったくりと揉めたり、下痢になったりなど散々だった。最終的には、空港に行くまでのお金が尽きて市内から空港まで75Lバックパックを背負い灼熱の中2時間歩いた。
この旅での経験が日本の当たり前は世界では当たり前ではない、健康な身体とある程度のお金があれば世界を旅できるということを実感し、「世界を五感で味わい尽くす」を自分のテーマにし、大学1年から27歳の今に至るまで暇さえあれば国内外をバックパッカーとして旅している。

カンボジア市内→空港までの道のり
その後も暇さえあれば旅をしていたが、大学2年生の春、インドを旅している最中に、運命的な出会いをした。ゲストハウスに、同い年の男で旅の価値観がばっちりと合致している男に出会い、意気投合して、2週間ほど一緒に旅した。これがヤトラを共同創業する田代 蒼馬との出会いだった。
この他にも旅によってたくさんの忘れられない出会い、別れを旅の中で繰り返し、旅による経験・出会い・別れが自分の価値観を形成することにかなり寄与した。
そのインドの旅以降にも、台湾を自転車で一周、東南アジア、中東、東ヨーロッパ、東アフリカ、南アフリカ、マダガスカル、ニュージーランド、ポリネシア地方、モンゴル、中央アジア、コーカサス地方、ギリシャ、国内は200以上の市区町村などを旅した。
秘境は、キリマンジャロ、ダナキル砂漠、マサイ族の村、マダガスカルの名もない村、トンガ、キルギスと新疆ウイグル自治区の軍事国境ゾーン、アゼルバイジャンとロシアの国境の5,000年以上独自の文化圏を持つ村、韓国と北朝鮮の国境など色々行った。

キリマンジャロ登頂
その他には、新卒入社した会社では、会社の近くに賃貸をしていたが、自認がバックパッカーの私には、定住することの歯痒さと違和感を感じ、早々に解約し、都内や関東のゲストハウスを転々としながら暮らしていた。
人事と総務の方には色々手続きが増えて困ると言われて申し訳なかったが、社会人になっても旅人でありたいという、せめてもの社会への抵抗だった。

サラリーマン時代、2週間に一回引っ越しをしてた
②旅をしていたことで今も活きていること
旅することは私の人生に大きな影響を及ぼしてきたが、仕事をする上で最も役立っているのも、間違いなく旅した経験だ。
特に不確実なことへの対応、柔軟性、なんとか物事を解決する問題解決能力は、どんな仕事をするにも役立つと思う。
バックパッカーや旅人、ワーホリ経験者からよく相談を受ける。この経験が何に活きるか分からない、帰国しても社会から評価されないのではないかと不安だ、と。私は、目的意識を持って旅やワーホリや留学に取り組んでいたのであれば評価されるに決まっている。評価されないのであれば、その組織や社会があなたに合っていないだけだと思っている。
大して社会人経験のない私が偉そうなことを言うのは気が引けるが、それでもそう思っている。

タンザニアで野宿していたら野生のシマウマに遭遇し写真撮影、前夜にはバッファローに遭遇したが速やかに撤退、これも旅で培った柔軟性
旅には不確実なことが必ず発生する。日本のように電車は時間通りに来ない、人は平気で騙そうとしてくる、何気なく食べたものの中にウジが湧いている、街にいたら拉致られる、道を間違えると死亡率が上がる。
このような環境の中でどう動くかを繰り返してきた人間は、想像以上に強い。パニックにならない、現状から判断する、使える手段を探す。旅で何度もやってきたことが、事業の中で同じ形で出てくる。
旅を通じて多様な価値観・文化・生活様式に触れてきたことは、訪日外国人を相手にする今の仕事において直接的に活きている。彼らが何を面白いと感じるか、何に不満を持つか、何に感動するかが、データや研究ではなく肌感覚でわかる。これは旅をしていなければ得られなかったものだと思っている。

マサイ族の村を訪問
また、一人旅をすると、容赦無く予期していないことが身に降りかかってくるが、自分でどうにか対応しないとゲームオーバーになってしまう。ゲームオーバーの結末は、一文無しになったり、路頭に迷ったり、下手したら死んでしまったりと様々だ。そんな極限の状況で、自分の持っているモノや能力や知識を最大限活かして対処していく。
自社や自分が持っているアセットを活かして、目の前のタスクやイシューに向き合い、解決して、成果を実現するという仕事に共通するものがあると思う。
③旅や海外を強いカルチャーとする会社で働くということ
私と田代はもちろん旅好きだが、他のメンバーももれなく旅好きかつかなり海外色が強い。
創業メンバーの藤井は南極大陸を含む七大陸制覇者だし、他のメンバーも漏れなく旅や海外経験をしている。

創業期、田代と藤井で1LDKで24時間共同生活をしていた
また、多国籍ということも会社の特徴だ。
海外を旅した/経験した日本人だけではなく、コロンビア人、ドイツ人、インド人、インドネシア人、モンゴル人、アメリカ人など様々な国籍のメンバーがいる。
社内公用語は日本語と英語のミックスで、英語も日本語もその他の言語も飛び交っている。私もたまに練習がてらスペイン語を話したりする。
まさに、ゲストハウスのような多様性だ。
3年間で変わった考え方の中で、採用に関するものが一番大きい。
最初は、売上が安定しない中で、固定費が上がることに臆病になり、人に任せることがなかなか出来ず全て自分や創業メンバー3人で全てやってしまっていた。
その後は即戦力として「できる人」を求めていた。今は「一緒に考えられる人」を求めている。事業の性質上、答えのない判断を毎日している。その中で必要なのは、決まったことをこなす人ではなく、状況を読んで自分で動ける人だ。
旅好きであることは、「あれば嬉しい」程度の話ではない。旅をして、異文化の中で自分の頭で考えてきた経験がある人は、思考の柔軟性が違う。それは実際に一緒に働いてみてわかったことだ。
我々はまだまだスタートアップだ。ヒトもモノもカネも大企業と比べるとない。あるのはスピードと情熱だけだ。
カオスを楽しみながら、自分の頭で物事を考え、スピード感を持って実行していける、そんな人と働けたらとても嬉しい。
4期目に向けて
1期目の自分には、今の景色は見えていなかった。3年でここまで変わるとは思っていなかったし、変わらなければならなかったとも思っている。
4期目は、組織として一段階上がるフェーズだと位置づけている。事業の深さと、チームの質を同時に上げていく。そういう時期にいる。
もしこの文章を読んで、一緒に働くことに興味を持ってくれた人がいれば、気軽に声をかけてほしい。
日本全国で日本の魅力を訪日外国人に対して伝える英語ガイド、事業開発、営業、エンジニア、事務、人事など全方位の採用を行ってる。興味のある方は、ぜひ一度カジュアルに話しましょう。
日本の魅力を世界へ。人生の分岐点になる旅を一緒に創りましょう。
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