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【転換点はカンボジア?】子供の笑顔が人生を変える

今回は今年度新入社員の川端さんにインタビューです!

本気で勉強したことで人間として一皮むけた気がします

ーそれでは初めに簡単な経歴を伺ってても良いでしょうか?

はい。自分は中学受験を経験しているのですが、きっかけは「理科」とアメフトでした。

もともと、くもんに通っていたのですが僕がどうしても理科がやりたくなってしまって、関西では大手の「類塾」に入塾しました。ただ、理科をやるには中学受験コースを選択しなければならず必然的に中学受験の勉強をする流れになっていったんです。また、小学5年生の時からアメフトをやっていて、中学では部活動としてアメフトをやりたい!という思いがあり、アメフトの部活動ってほとんど私立中学にしか無いので、そういった意味でも私立中学を受験する方針で進んでいきました。ただ、関西学院と関西大倉の2校を受験しましたが両方ダメでした。関西学院は実力不足でしたが、関西大倉はまさかの当日インフルエンザでして...。40度近くの熱を出しながら国語の文章を読んでいました。正直その日の記憶は、無いです(笑)

-40度で受験はえぐいですね。すごい根性だ。。。

本当にキツかったです(笑) そんなこんなで公立の中学に進み、課外クラブでアメフトを継続していました。そこから再度、関西大倉を受験して合格、アメフト部に入部しました。

正直なところ中学の勉強は中学受験のアドバンテージでそれほど苦労しませんでしたが、高校に入り、部活動が忙しくなると全く勉強もできず習慣づけも行えませんでした。その分好きなアメフトは本当に頑張っていて、高校1年の夏からレギュラーでした。1年の時は、立命館大学から声かけてもらっていたりもしたんです!

でも高2の夏に右鎖骨を骨折してしまい、手術も絡んで部活から離れてしまって、さらに復帰戦でまた鎖骨を折ってしまい、もう踏んだり蹴ったりです(笑) もちろん推薦の話もなくなり。アメフトで進学するのはやめて、どうしようもない状態で春の部活動引退から勉強を始めました。

でも受験ってそんなに甘くなくて。勉強習慣もなかった僕は、周りの友達は国公立などに進学する中で偏差値30くらいしかなくて(笑) もちろん浪人することになったんですよね。

そこで浪人の時は一念発起のように物量作戦で行きました。でも接触回数を増やすという意味では、理にかなっていたなと思います。シス単を2日で全部やったり、夏の間でチャートを2,3周したりとかして。そうしてE判定からなんとか合格しました。

でも本気で勉強していてよかったな、と思います。浪人時代にしっかり勉強習慣つけられていなかったら正直大学で留年を繰り返していた気がします。(笑)

ーではそこから教育業界、ひいてはみんなの塾を志望したきっかけは??

教育という思いが強くなったのは、大学院での生活を経て、ですかね。実は大学院まで出ていて、超音波の研究をしていました。その中で何かを追求する楽しさはあったものの、これ以上この業界でやり切れるものがないな、と感じてしまったんです。

そこで理系就職はやめて、コンサルなどの業界を検討しました。世間でよく言われているように、コンサルなどの仕事に就いて、社会人としての市場価値をあげたいともともとは考えていました。でも、選考のフェーズが進むにつれて「何か違うな」という思いが強くなったんです。言いにくい話ですが、最終直前で辞退したりとかもしました。そんな中で、大学3年のカンボジアでの経験で感じた教育への思いが再燃しましたね。そうして教育業界を見始めましたが、4月ごろには大手の画一的な教育の仕方に疑問を感じ、ベンチャーを見るようになりました。

その際にwantedlyで目に止まったのが「みんなの塾」と「ココロミル」の二つでした。

そこからみんなの塾に決めた決め手は2つです。

一つは、学力が平均程度で比較的勉強嫌いな子に対して、少しでも勉強に対してプラスのイメージをつけてあげたいという思いが強かったことです。みんなの塾の生徒層がこの思いにマッチしていて、さらにアウトプットを通じて生徒のモチベーションを上げていくことができる体制に魅力を感じましたね。

もう一つは、「一生使える学習力」というポリシーに共感しました。勉強を通じて得られる力が、今の僕を作り上げているなと僕自身感じているので、子供たちにもそういう思いを共有したいなと感じました。

まあでも、それもこれも就活のメンターさんの言葉が大きなきっかけでしたね。

-メンターさんの言葉?ですか。

はい。大学3年の就活の時ですかね、今まで自分って何も成し遂げていないな、って自問自答したんです。その中でメンターさんに言われた「やりたいことをやってみたら?」という言葉に触発されて、カンボジアに一人で行ったんです。しかも無計画で(笑) この時の経験が僕の現在を作っているなと思います。

思い切ってチャレンジしたいんです

ーカンボジアでどんなことを経験したんですか?

そうですね。現地の村で過ごしたんですが、そこは電気も水もないようなところで、一緒に日本から行った女の子では泣き出す子もいるくらいの環境でした。でもそういう厳しい環境で触れ合った子供たちの笑顔、というのがすごく自分の中でしっくりきたんですよね。子供の笑顔っていいな。って。

しかし、理系という部分が少しネックになってしまいその時の自分には教育業界に進む決断はできなかったんですよね。

-その中で感じたこと、伝えたいことってありますか?

そうですね。カンボジアって聞くと、「治安悪そう」「楽しくなさそう」というイメージが特に日本では浸透してしまっていると思います。確かにそういう側面もありますが、その場にいる子供たちは、日本の子供達と同じくらい、もしかしたらそれ以上に輝いていたかもしれません。でもこれって、悪いところを見て一歩引いてしまったら見えなかった景色だと思うんです。なので一歩引いてしまうくらいなら、思い切ってチャレンジした方がいいなと思いました。自分で体験するからこそ学べることってあると思います。

-お話聞いていてすごくチャレンジャーだな!と思ったのですが、何か他に新しいことをした経験などありますか?

大学時代にも友達と一緒にフットサルサークルを立ち上げて、メンバー集めから協力して行ったりもしましたね。その友人たちとは今でも定期的にフットサルしたりもしていて、このゴールデンウィークにもフットサルします!

-めっちゃアクティブですね!

でも社会人になってからはボードゲームにハマっていたりもしていますね。ボードゲームは簡単なルールで手軽にみんなが楽しめるという点が魅力的だなと感じいて、今度湘南台本部校のイベントで導入したいなとも考えています。ルールが簡単な分、本質を捉えていれば子供たちでも大人に勝つことができる、そういうゲーム性を持って学べるって面白いなと感じますね。

子供の居場所を作りたい

ーでは、入社して、やりがいを感じたタイミングはありますか?

もちろん生徒と向き合っている時が一番楽しいのですが、生徒の「わかった!」という言葉よりも勉強に対する前向きな気持ちが感じられた時が一番嬉しいですね。今まで勉強に前向きではなかった子が「これはどうしてだろう」と考えていると成長したな、と感じます。

そのためにも、僕はわりと生徒には飴多めで接していますね。モチベーションをうまく上げながら、生徒をのせながら進めていくスタイルです。その分、教室の他の講師が、鞭役に徹してくれているのでいいバランスで指導できているかなと思います。

一方で、塾のスタイルとしては普通の塾とは一風違う新しさがあるので、初めはスタイルに慣れるのが大変だなと感じる部分もあります。これはこれからどんどん慣れて、挑戦して行こうかなと思います!

ーこれからやってみたいことはありますか?

将来的ですが、学童保育のような場所を作りたいと考えています。これはまだ妄想の段階で資格が必要だったりとまだ準備が必要なものが多いのですが、Kidsduoみたいなイメージで英会話ではなく、勉強する場所を提供したいなと思います。

根底には子供たちの居場所づくりをできたらいいなという思いが大きくありますね。子供たちにとって家でも学校でもない第三の居場所を作りたい、と。これは今、みんなの塾で働く中でも思い続けています。勉強が嫌いな子、家に居づらい子、そういう子もいると思います。そういう子供たちが、勉強を通じて新たな居場所を作ってくれた嬉しいな、と思っています。

それでは最後に一言お願いします!

ベンチャーってキリキリしているイメージありますが、うちはすごく社員間でのコミュニケーションがあるな、と思います。なので、採用ページを見て「この会社、この教育面白いな」と思ったら是非一度面談にお越しいただきたいです!!!!!

前半はここまでです!以降はみんなの塾で運営している「みん塾通信」でご覧になれます!川端さんがみんなの塾にjoinするまでの変遷を綴りました。
後半は及川さんの教育観など面白い内容について迫っていきます!!

是非以下のリンクから続きをご覧になってください!!

https://minjuku.info/blog/news/12436/

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