先日、「日本一忙しい通訳者」として知られる会議通訳者の方の講演を聴く機会がありました。プレゼンテーションのテーマは「AI時代の通訳の最前線と未来」でした。
全編英語での講演だったため、私が内容を100%理解できていたかどうかは心もとないのですが、AI翻訳がこれほど進化した現代における通訳者の真価について、豊富な現場エピソードを交えながら語られていました。
その真価とは、冗長さを避けること、文化依存性の高い言語背景を深く理解し、Compact & Impactな訳を提供すること、そして万一ミスが生じた際には自らが責任を引き受け、クライアントの負担を軽減すること――などです。
AIが進化してもなお、人にしか担えない領域があるのだと感じさせられる内容でした。
① AIの台頭に関係なく、true valueは変わっていないのでは?
学生時代、英語がなんとなく得意で、ぼんやりと「通訳かっこいいな~、なれたらいいな~」なんて思ったことのある人は少なくないのではないでしょうか。私もその一人でした。でも語学の世界には“終わり”がありませんし、学べば学ぶほど、通訳者に求められるスキルは単なる語学力だけではないのだと痛感します。
一般的にも想像しやすいことですが、日本語や日本文化では、すべてを言葉にせず、背景や文脈を共有することでコミュニケーションが成り立っています。
そのような日本語を、比較的コンテクスト依存度の低い言語へと翻訳・通訳することは、決して容易なことではありません。vice versaです。
このあたりのことは、私が「通訳かっこいいな~、なれたらいいな~」と思っていた20年前から変わりません。
② 言語間の翻訳・通訳だけでなく、母語を話すときもやってることはおなじ
私たちは、自分の内側にあるメッセージを、誰かに伝えるために言葉へと落とし込み、外に送り出しています。つまり、自分にしかわからない「言語」を、母語の文法や語彙を使って翻訳し、コミュニケーションを取っているとも言えます。
私たちはそれを無意識のうちに行っています。
言いたい内容を瞬時に整理し、冗長さを避け、Compact & Impactnな表現へと変換しています。
「話が上手だな」「聴いていて楽しいな」と感じる人は、この“内側の翻訳”が上手な人なのではないでしょうか。
③ それは入試の和文英訳で鍛えられるスキルでもある
大学入試で出題される和文英訳の問題では、まず「その日本語はつまり何を言いたいのか」を分析することが求められます。前後の文脈を丁寧に読み取り、「英語にしにくい日本語」をいったん「英語に翻訳可能な日本語」に置き換える作業を行います。
たとえば「覆水盆に返らず」は、
"It's no use crying over spilt milk."
"What's done is done."
といった定型表現で訳されることもあります。
しかし、文脈によっては
「○○について、もはやできることはない」
→ We can no longer do anything about ○○.
と表現したほうが自然な場合もあります。
難解な和文英訳ほど、最初の「日本語から日本語への置き換え」が不可欠です。
「学校で習う英語なんて役に立たない」「受験英語は実用英語とは違うから意味がない」といった声を聴くことも多くあります。でも、私はやっぱり「いやいや、そんなことないよ~」と思います。
和文英訳で鍛えられるのは、単なる英語力だけではありません。
日本語をいったんほぐして、「つまり何が言いたいの?」と考え、
それを相手に伝わる形に組み立て直す力です。そう思うと、あの受験勉強も思考の筋トレのようなものです。
自分が制作に関わったテストが、受けた生徒たちのためになっているものになっていることを願いつつ
クライアントの先生たちの「なんかこんな問題作ってほしい~」を翻訳してテストに落とし込むことも、まだAIよりも我々編集者の方が優れていると信じてお仕事を続けます。