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職業:なんでもやる人(SORABITO取締役 中山さん)

本日はSORABITOの取締役 コーポレート本部長の中山さんに
今までのご経歴をインタビューしました!

SORABITOがスタートした裏話もあり、
かなり読みごたえがありますのでぜひ読んでください!!


【メンバープロフィール】
中山 良介(なかやま りょうすけ)
取締役コーポレート本部長
大学院卒業後、複数のスモールビジネスを経て、ハワイ島を拠点とするアグリビジネスを立ち上げ、荒野の開拓から自動生産システム構築まで広く担う。帰国後、SORABITO創業期より事業・コア機能開発、サービスルール制定、オペレーション構築等を主導。現在は経営管理体制の全般的整備並びに資金調達実務等に従事。趣味は楽器演奏や音楽理論研究。



職業:なんでもやる人

資金調達からオークション運営まで

まずは、SORABITOでの中山さんの役割を教えてください。

現在は取締役コーポレート本部長というちょっと仰々しい役割で、いわゆる「管理の人」です。一方で、私はSORABITO最古のメンバーでもありますので、実際には資金調達や各種体制整備はもちろんのこと、国内外での飛び込み営業、事業開発、1人CS、採用、法務、ピッチコンテスト出場にコーディング、果ては建機の点検やオークション運営まで、本当に何でもやってきました。実際、管理面に軸足を置き始めたのは2018年半ばになってからなんですよ。

ーかなり幅広いお仕事を経験されてきていますが、元々こうしたキャリアを描かれていたのでしょうか。

いえ、自分自身のキャリアプランについては今も昔もほとんど考えたことがありません。立場や役割への拘りもありませんし、「組織成果の最大化のために今自分にできることは何か」ということだけを念頭に置いて走り続けてきたように思います。

もちろん、現在のように頼もしい仲間が集ってくれている状況であれば、より専門能力のあるメンバーにどんどんお任せしていった方が良いに決まっていますが、アーリーステージでは、やる必要があることに対して時間やお金を含むあらゆるリソースが不足しているのが常です。

そんな中、元々ゼロイチで物事を組み立てることがあまり苦にならない自分が積極的に拾っていった結果、色々と関与することになったということですね。

それでも「やる必要がある」と「実際にやる」には乖離があるように思います。それぞれの分野でのご経験はあったのでしょうか。

どれもやりながら覚えていった感じで、正直なところ、SORABITOで経験するまでその存在すら知らなかった仕事も多いです。

でも、これがスタートアップコミュニティの素晴らしいところで、様々な知見を積極的に共有する文化がありますし、それこそ無数のスタートアップ成功事例・失敗事例を目の当たりにしてきた専門家の方々も沢山いる

そうした先輩方、専門家の方々を恥も外聞も無く質問攻めにしてきたこと、それを自分なりに消化して社内に適用してきたことが功を奏して、本当の意味で未知の課題に直面して立ち往生してしまう、みたいなことはあまり無かったように思います。

もっとも、本当に初めの頃は、午前中にピッチコンテストの準備を終えて午後イチで税理士や弁護士と打ち合わせをしていたら、並行してバングラデシュからの問い合わせ対応が始まり、ようやくオフィスに戻ったらそのまま深夜までサービス開発議論と実作業みたいな日々が常態化していたので、さすがにもっと上手なやり方はあっただろうとは思いますし、色々な方にご迷惑をおかけしたとは思いますが……


世界三大建機展の一つ、bauma 2016(ドイツ)にて

事業も管理も分け隔てなく

事業サイドの仕事をしている時と管理サイドの仕事をしている時、それぞれで心掛けていることはありますか?

表現が難しいのですが、事業的な仕事をしている時には管理のことを、管理的な仕事をしている時には事業のことを、それぞれ常に何処か意識している気がします。

もちろん、例えば営業をしている時には優秀なプレゼンターでありたいと思っているし、法務に当たっている時には専門家然として適切な判断をしたいと思っていますが、それと同時に、手広く取り組んできたからこそ各職務の勘所や痛みは何となく理解していて、組織成果の最大化のためには個々の取り組み以上にその掛け合わせ方を最適化する必要がある、という信念が根本にあるのだと思います。

やや重複するかもしれませんが、経営メンバーとして心掛けていることは?

やり込み、やり切り、変化し続けること。最後まで折れないこと、フェアであり続けること。経営であってもなくてもこれらの点は変わりません。

青木さんとの遭遇と奇妙な南国生活

すべてはキャンパスでの雑談から始まった

SORABITO以前のことを伺えればと思います。まずは創業者である青木さんとの出会いについて教えてください。

青木さんは大学院時代の同級生です。私は附属高校から大学へと進学し、そのまま半ばモラトリアムで大学院へと進んだのですが、大多数の学生が研究や就職活動に日々勤しむ中、長年慣れ親しんだ大学図書館の奥深くに独り潜り込んで、専門とは無関係な本を読んだり思索に耽ったりしていました。

青木さんは院進のために上京してきたのですが、そんな私の様子を見て面白く感じたのかもしれません。程無くして「卒業後に何か一緒にやろう」と声をかけてくれて、私としては元々一般的な就職活動をする気が無かったこともあり、二つ返事で引き受けたことを覚えています。

SORABITOの創業は2014年ですが、大学院卒業後は何をされていたのでしょうか。

「卒業後に何かを一緒にやる」というのが唯一の方針でしたので、その「何か」を見定めるのが喫緊の課題です。そこで、何も後ろ盾の無い状態からスタートを切るよりはということで、青木さんの実家が代々事業を営んでいる愛知県に拠点を移し、その資源や繋がりも活用させて頂きつつ、新規事業の種を探す日々が始まりました。

シンプルなWebサイト制作に始まり、農家のための予約システムづくり、6次産業化支援、中小企業経営者のよろず相談、その他にも短期間で手を変え品を変え色々な事業に手を出していたのですが、どれも行き当たりばったり感は否めず、スモールビジネスの域は出なかった。

2人別々に事業機会を探す時間も増えていったのですが、そんな中でそれぞれに目を掛けてくださる方々が現れるようになり、紆余曲折を経て、青木さんは実家の関係で幼少期から身近な存在であった建設機械等の売買事業に、私はハワイ島でのアグリビジネスに各々関与することになったのです。

試行錯誤の中で手にしたハワイ行きの切符

ハワイ島ですか?

はい。オアフ島から数十分で飛べる多様な地形に恵まれた美しい島で、ビッグアイランドとも呼ばれます。

当時の支援者の多くは愛知県の経営者やその繋がりでご紹介頂いた国内外の個人投資家の方々だったのですが、彼ら彼女らの興味深い共通点として「ハワイで何かをやりたい」という願望がありました。しかしながら、それぞれご自身の会社や本業をお持ちであったり、既に引退されていたりしたので、今更自分たちでゼロから立ち上げるような感じでもない。

そこで、何だか面白い若造が来たぞと噂になっていたのかどうかはわかりませんが、とにかく当時まだ二十代半ばだった私にお声掛け頂き、プロジェクトの一人実行部隊として参画させて頂くことになったのです。

異国の地でアグリビジネスなんて、また唐突ですね!

当然に未経験分野ですし、そもそも社会経験すら2年足らず、本当に頼りないことこの上なかったと思うのですが、東京から独りやってきて不器用ながらも折れずにもがき続ける様子を見て、少しチャンスを与えてやろうと思って頂いたのかもしれません。

いずれにせよ善は急げということで、現地視察、ビザ取得準備、日本での農業研修や生産方法に関する仮説づくりを並行して進め、数ヶ月後には海外移住、以後3年間弱続くことになるハワイ島生活が始まりました。


1年半滞在させて頂いたHamakuaの寺院。2012年撮影

ゼロイチだけがある日々

島ではどんな日々を送っていましたか?

支援者の中に名のある僧侶の方がいらっしゃった関係で、渡米当初は島北部にあるHamakua Jodo Missionというお寺付属のハウスに住まわせて頂けることになりました。

丘を登った林の中にひっそりと佇む寺院で、広大な土地の中に修行施設、檀家の皆さんのための食堂、管理者用のハウス、離れのシャワー小屋、それに墓地などがある静謐な場所です。長らく無人の土地で、それなりの頻度で現れる不審者を除けば隣人もおらず、雉、猪豚、猫、名前も知らない極彩色の野鳥たちなど、動物の方が余程多く出会う環境でした。日没後は周囲の灯りもほぼ無くなり、木々のざわめきに身の毛のよだつ思いがしましたが、眼前に広がる星空は筆舌に尽くし難い美しさです。

そんなお寺を一時的な生活拠点としながら、まずは法人設立を進め、並行して現地企業にインターンとして潜り込んだり様々なイベントに参加したりすることを通じて、自分なりのネットワークをつくることから始めました。

それらが一段落した後は、生産拠点用の土地を探して大規模農家を1件1件訪ね歩きましたが、主に気候や拡張余地という点で条件に合う場所が見つからず、大変に難航します。数ヶ月をかけて漸く契約を締結できた後は、自ら整地したり水路を引いたり太陽光発電の生産施設をつくったりと、準備を整える日々が暫く続きました。


最初期の生産施設プロトタイプ。水路づくりや農地拡大などまだまだ作業は続く

もちろんその間は事業収益がありませんので、毎月自分に1,000ドルの小切手を切って暮らしていたのですが、服装なんてそもそも誰も気にしないし、幸いなことに住む場所はある。それに敷地内にはマンゴーやパパイヤ、アボカドなどが無数に実っていましたので、結局衣食住が足りてしまい、独りただ生きてゆく分には然程支障は無かったですね。

何よりもインターン先のスタッフや農家の方々、銀行のお姉さんたちに至るまで皆温かく、自分のことを弟か息子か、はたまた孫かのように扱ってくれたこともあり、すっかり島での日々に馴染んでしまいました。

生産拠点づくりが一段落してからはWaimeaという島北部の町に移り住み、日本で組み立てた仮説をベースに生産実験を繰り返しながら、ハワイ大学や現地農家の方々にもご支援頂きつつ、少しずつ事業活動を本格化させてゆきます。

早朝からお昼までは自動生産施設のメンテナンスや農地の拡大、正午にハンバーガーを1つか2つ食べてから追加で1, 2時間作業をしたら、島にある2つの大きな町のどちらかに行って資材の調達や事務仕事をこなし、夕方からは近くの町のカフェで計画を練り直したり日本の支援者に報告書を送ったりと、今思えばSORABITOの立ち上げ時期同様、一人何役かで忙しくしていました。


複数回の実験を経て初めて収穫した日本式ハワイ島産イチゴ

人生の岐路、SORABITOへの参画

留まるか踏み出すか

そうした経験が今日の中山さんに繋がっているのですね。そんなハワイ島での日々から心機一転、日本に帰国することになったのは何故でしょうか?

思いのほか時間を要したものの、生産実験の成果も出て今後の事業展開を考えている中で、ビザ更新審査のため日本に一時帰国する日がやってきました。審査日までは若干の余裕があったため、誰にも行き先を告げることなしに一人で海外を放浪しつつ、自分の考えを整理してみることにしました(余談ですが、スーツケースに本だけを詰め込んでふらっと旅に出る癖はSORABITOに入った今でも続いており、よくメンバーに笑われています)。

異国の地で物思いに耽っていたところ、ふと、自分が人生の岐路に立たされているような感覚に陥ったのです。

ハワイ島での生活は色々と苦労もあれど充実したものでしたし、こうした環境を用意して頂いた支援者の方々には感謝してもしきれません。しかしながら、不定期で日本から島にいらっしゃる支援者兼経営陣の方々と未来や戦略の話をした際、まだ20代で鼻息も荒く、「今日を如何に生き抜き、明日大きな成果を出すことができるか」ばかりを考えていた自分と、事業を何処かサイドプロジェクトのようなものと位置付けているであろう方々との間で、熱量やスピード感に隔たりを感じてしまうことが度々ありました。

そんな複雑な思いを抱えながらもビザ更新審査に臨んだのですが、審査官からは「事業の将来性について、より説得力のある説明材料が必要」といった趣旨のコメントと共に、申請却下という結論が下されました。

その瞬間に自分の中での答えは決まっていたのかもしれません。新大阪から東京に戻る新幹線の中で、改めてビザ申請を行うか、それとも新しい一歩を踏み出すかについて再考した結果、後者の道を選ぶことにしたのです。

そこからSORABITOに参画することになった経緯を教えてください。

当初はあくまでも一時帰国のつもりでしたから、その後の取り組みについて具体的な計画があったわけではありません。海外放浪中や新幹線の中で考えたことや島での葛藤の日々を一つ一つ振り返りつつ、本を読む以外には特に何もしない日々を1ヶ月程過ごしていました。

するとある日、それまで連絡をとっていなかった青木さんから突然電話があり、「アイディアはあるが、形にできる人がいない。こちらに来て助けてほしい」と言われたのです。

早速名古屋に出向き、再会の挨拶もそこそこに、新栄駅近くのスターバックスで「アイディア」を聞きました。建設業界が大きな負を抱えていること、中立的なプラットフォーマーになりたいこと、そのプラットフォームには建機の品質評価や決済、運送といった機能が必要であろうこと。それが全てでした。

その「アイディア」を聞いて、どう思われましたか?

参画を決めました。その時点でどれだけ現実味があるかなんて全然気にしないんです。現実化するのは自分の役割なので。ただ課題が途方もなく大きく、仕組みづくりの余地があり、その解決を本気で望んでいる人がいればいい。それらの観点で、この上ない機会だと感じました。一旦東京に戻り、少しの間リモートで支援しつつ身辺整理を終え、オフィス徒歩1分のシェアハウスに移り住んだのです。

初日から「なんでもやる人」

SORABITO初日をどのように迎えられたか、覚えていますか?

入社手続やオリエンテーションなんてものがあるはずもなく、初日から「建機の品質評価や決済、運送といった機能」づくり、サービスサイト制作、数週間後に迫る英語ピッチイベント(Tech in Asia Tokyo 2015)への参加準備などに着手しました。また、然程日を置かずにコーポレートサイト制作プロジェクトも始動させたように記憶しています。


建機の品質評価機能の要件定義中。運転資格も取得

そのコーポレートサイトづくりを行う中で、SORABITOのミッションである「世界中の明日をつくる(Construct Tomorrow)」というフレーズを中山さんが考案されたと伺いました。

はい。以前ミッション、ビジョン、バリューに関するインタビューでもお話しした通り、この言葉は深夜の名古屋のカフェでふと浮かんだものです。その後、現在のバリューの原形もつくらせてもらうなど、当初から全幅の信頼を置いて重要な役割を任せてもらっていると思っています。

世界中の明日をつくるために

中山さんから見て、現在のSORABITOはどのように映っているでしょうか。

SORABITOもいよいよ10年目に突入し、当初ほんの数人の夢物語でしかなかった頃から考えると、信じられない程に共感者の輪が広がっています。

それこそ、私が孤軍奮闘していた時代が遠い昔のように感じる程に優れたメンバーが集ってくれていますし、長きに渡り株主としてご支援頂いているVCやエンジェルの皆様、住友商事様、伊藤忠商事・伊藤忠TC建機様を始めとする事業会社の皆様、直近のラウンドでご参加頂いた加和太建設様、三和建設様、小柳建設様といった先進的な建設会社の皆様、顧客であるレンタル会社の皆様、その他にも沢山のパートナーの皆様に支えられて今日のSORABITOがある。心からそう思っています。

最後に、今後の展望について教えてください。

まずは、今お伝えしたように、自分たちが極めて恵まれた環境に身を置いているのだということを改めて噛み締めつつ、こうした多方面からのご支援を最良の形で掛け合わせ、大きな成果を残し、具体的に還元してゆく。今後はこうした10年にしたいと考えています。

私の立場としては、株主利益を最大化するだとか盤石な体制整備を通じて継続企業をつくり上げるだとか、そういった使命を帯びているのは当然のことなのですが、それと同時に「社内外問わず、SORABITOと一緒に走り続けてくれる人々を成功させたい」という想いが日々強まっています。

個々の取り組みについてはまた別の機会にお伝えできればと思いますが、この想いを徹底的に具体化し、一つ一つ確実に実践してゆくこと。これが今後の展望になります。


中山さん、本日はありがとうございました!

いかがでしたでしょうか?
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