先日、エンジニアのメンタル不調に関する記事を読みました。IT業界の離職理由として「人間関係」や「精神的な疲弊」が上位に入っているという内容で、読みながら胸がざわつきました。
私はSES事業を営んでいます。うちのエンジニアはクライアント先の現場に常駐しているので、毎日顔を合わせるわけではありません。同じオフィスで隣の席に座って、昼休みに雑談して、夕方に「お疲れさま」と声をかけ合って帰る。そういう日常がありません。
だからこそ、ずっと頭のどこかで考え続けていることがあります。
「あの人、本当に大丈夫だろうか」
創業してからこの問いがずっと消えない。エンジニアが現場に入れば入るほど、この不安は大きくなります。会社としての売上は立つ。でもその裏側で、メンバーが一人で苦しんでいないだろうか。
今日はその話を、正直に書いてみようと思います。
現場に一人で立つということ
SESという働き方には、独特のプレッシャーがあります。
クライアント先のオフィスに出社して、そこのチームに混ざって仕事をする。周りは別の会社の社員ばかりです。ランチに誘われることもあれば、そうでないこともある。歓迎会を開いてもらえる現場もあれば、初日に「ここが席です」とだけ言われて、あとは放置される現場もあります。
プロジェクトの進め方も現場ごとに違います。前の現場ではGitでプルリクエストベースだったのに、次の現場ではSVNで運用されていたりする。開発言語は同じJavaでも、フレームワークやコーディング規約はまるで別物。使うツールも、チャットも、ミーティングの文化も全部違う。
技術的な壁にぶつかったとき、すぐ隣に同じ会社の先輩がいるわけではありません。質問したくても、まだ関係性の浅い相手に「これ、わからないんですけど」と声をかけるのは勇気がいる。自分で調べて解決しようとするけれど、想定以上に時間がかかる。進捗が遅れれば焦りが生まれ、焦りは判断ミスを呼び、ミスがさらに自信を削っていく。
この悪循環に入ると、人は驚くほど早く消耗します。
しかも厄介なのは、真面目な人ほど「自分が弱いからだ」と思い込んでしまうことです。環境に問題があるかもしれないのに、自分の能力のせいだとすり替えてしまう。「他の人はうまくやっているのに、自分だけダメなんだ」と思い込んで、誰にも相談できなくなる。
私自身、SESエンジニアとして現場に立っていた時期があります。新しい現場に入ったばかりの頃、質問するタイミングがわからなくて一人で悩み続けた経験があります。あの感覚は今でも覚えている。周りが忙しそうにしていると、声をかけること自体が申し訳なく感じてしまう。技術的な問題なら時間をかければ解決できることが多いけれど、孤立感だけはどうにもならなかった。
エンジニアとして一つの現場で成果を出すということは、技術力だけの話ではありません。コミュニケーション力、適応力、精神的なタフさ。それらが総合的に求められます。でもそれを、本人だけに背負わせるのは間違っている。現場の外からできることがあるはずだと、経営者になってから強く思うようになりました。
「大丈夫です」の裏側
うちでは、エンジニアと定期的に面談をしています。月に一度、オンラインで三十分ほど話す時間を設けています。
最初の頃、私はこう聞いていました。「現場の調子はどうですか?」
返ってくる答えは、ほぼ決まっていました。
「大丈夫です」
この言葉を額面通りに受け取っていた時期がありました。大丈夫なら良かった。次の話題に移ろう、と。面談を消化すること自体が目的になっていたのかもしれません。
ところがある日、つい先日も「大丈夫です」と言っていたエンジニアから、突然連絡が来ました。「現場を変えてほしい」と。
詳しく聞くと、もう何週間も前から辛かったと言います。朝、出勤前に動悸がするようになっていた。日曜日の夜になると、翌日のことを考えて眠れなくなっていた。電車に乗ると息が苦しくなることが何度かあった。
でも言い出せなかった。
理由はいくつかあったそうです。参画してまだ間もないから我慢すべきだと思った。会社に迷惑をかけたくなかった。自分がいなくなったら穴が空くと思った。そして何より、「こんなことで弱音を吐く自分」を認めたくなかった。
そのとき気づいたのです。「大丈夫です」は、本当に大丈夫なときに出る言葉ではない。むしろ、それしか言えないときに出る言葉なのだと。
以来、面談のやり方を根本から見直しました。「大丈夫ですか」という質問は封印して、代わりにもっと具体的なことを聞くようにしています。
「最近、朝起きるのが辛くなっていませんか」
「週末にちゃんと休めていますか。土日に仕事のことを考えてしまうことはないですか」
「現場で気軽に話せる人はいますか」
「前回の面談と比べて、何か変化はありましたか」
「今の案件で、技術的に引っかかっていることはないですか」
抽象的に「調子どうですか」と聞いても、人は反射的に「大丈夫です」と返してしまいます。それは嘘をつきたいからではなく、瞬間的に自分の状態を言語化するのが難しいからです。でも具体的な質問だと、答えを考える過程で、ふと本音がこぼれることがあります。
「実は最近、日曜の夜がちょっと重くて」
その一言が聞けるかどうかで、そこから打てる手がまったく変わってきます。
小さな変化を見逃さない
メンタル不調のサインは、突然やってくるものではありません。ある日いきなり倒れるのではなく、少しずつ、静かに積み重なっていきます。
Slackの返信がいつもより半日遅れるようになる。丁寧だった日報が三行で終わるようになる。定例の報告で「特にありません」が増える。面談の日程調整でリスケが二回、三回と続く。雑談のときに笑顔が消える。技術的な話題を振っても反応が薄い。
一つひとつは些細なことです。たまたま忙しいだけかもしれないし、体調を崩しただけかもしれない。プライベートで何かあったのかもしれない。
でも、それが二週間、三週間と続くとき、「忙しいだけ」では説明がつかないことがあります。
大きな会社であれば、産業医やカウンセラーを配置できます。人事部がストレスチェックを定期的に実施して、数値で管理するという方法もある。メンタルヘルスの研修を全社員に受けさせて、セルフケアの知識を底上げすることもできる。五十人以上の事業所ならストレスチェックは法的義務ですし、相談窓口の設置も制度として整えられています。
うちにはそんな仕組みはありません。社員3人の会社に産業医はいません。人事部も、専任のカウンセラーも、ストレスチェックの制度も存在しません。
でも、だからこそできることがあると思っています。
3人しかいないから、一人ひとりの変化に気づけます。Slackのやりとり一つとっても、「いつもと文面の感じが違う」「絵文字が急に減った」「返信のタイミングが変わった」といった微妙な違和感を拾える。これは制度でもシステムでもなく、日常的な距離の近さから生まれる感覚です。
大企業の体系的なメンタルヘルスの仕組みにはかなわない。でも、「あれ、今日は何かおかしい」と直感で気づくスピードだけは、小さな会社のほうが速いと思っています。
月一回の面談だけでは足りない
面談は大事です。でも、月に一度の三十分で把握できることには限界があります。
だから、面談以外の接点を意識的に作るようにしています。
たとえば、Slackでの何気ないやりとり。業務連絡だけでなく、「今日暑いですね」とか「この前話してた映画、見ました?」とか、用事がなくても声をかける。返信の内容よりも、返ってくるまでの時間や言葉のトーンに注目しています。
それから、クライアントの営業担当にも定期的に様子を聞きます。「最近、うちのメンバーの様子で気になることはありませんか」と。本人に直接聞くだけでは見えない部分が、第三者の目を通すと浮かび上がってくることがあります。現場の空気感は、外にいる私よりも中にいる営業さんのほうがわかることが多い。
面談のときも、業務報告だけで終わらせないようにしています。必ず雑談の時間を取る。「最近ハマっていること」とか「週末どう過ごしました?」とか。
なぜ雑談が大事かというと、人は仕事の話だけだと本音を出しにくいからです。「現場どうですか」と聞かれたら身構えてしまう。でも「週末何してました?」の延長で「いやあ、ちょっと疲れが取れなくて、ずっと寝てました」と出てきたとき、それが単なる休日の過ごし方の話なのか、慢性的な疲労のサインなのかを判断する材料になります。
結局、メンタル不調の兆候は、フォーマルな場よりもカジュアルなやりとりの中でこぼれてくることが多い。だからこそ、雑談を軽視してはいけないと考えています。
「何かあったらいつでも連絡していい」ということも、しつこいくらいに伝え続けています。面談の終わりに毎回言うし、Slackでも折に触れて繰り返す。くどいと思われてもいい。この一言があるかないかで、相談のハードルは大きく変わると信じています。
相談されたとき、最初の一言で決まる
面談や日々のやりとりの中で異変に気づいたとき、あるいはエンジニア本人から相談があったとき、そこからの対応で信頼関係が決まります。
一番やってはいけないのは、「でも」から始めることです。
「現場がしんどいです」に対して「でもまだ3ヶ月だし」。「案件の内容が聞いていたのと違う」に対して「でも契約上はこうなっているから」。この「でも」が出た瞬間に、相手の心は閉じます。
正直に言えば、「もう少し頑張ってみてほしい」と思うことがないわけではありません。案件を途中で変えるのは簡単ではないし、クライアントとの関係にも影響します。事業としての判断とエンジニア個人のケアが正面からぶつかる場面は存在します。
でも、順番が大事なのです。
まず聞く。何が辛いのか。いつ頃から感じているのか。どういう場面で特にしんどくなるのか。一緒に状況を整理する。「あなたが弱いからではない」ということを言葉にして伝える。そのうえで、打てる手を一緒に考える。
場合によっては、現場変更の交渉をします。クライアントに状況を説明して、別のチームやプロジェクトへの移動を相談する。それが無理なら、契約終了のタイミングを早める調整をする。
経営者としては売上に影響する判断です。でも、メンバーが壊れてしまったら、そもそも何のための事業かわからなくなる。
「言ってくれてありがとう」
これが、私が最初に伝えると決めている言葉です。
完璧じゃなくても、続ける
正直に言えば、十分にできている自信はありません。
月一回の面談で、本当にすべてをキャッチできるのか。もっと頻繁に話すべきではないか。面談以外のタイミングでも、もっと積極的に声をかけるべきではないか。Slackのメッセージや日報の文面を見るだけではなく、もっと多角的に把握する方法があるのではないか。
改善できる点は山ほどあると思います。
ただ、一つだけ確信していることがあります。
「気にかけている」という事実そのものが、人を少し楽にするということです。
完璧な制度がなくても、仕組みが十分に整っていなくても、「あなたのことを見ていますよ」というメッセージが届いていれば、それだけで踏みとどまれることがある。少なくとも、「誰にも言えない」「どこにも逃げ場がない」という状態にはなりにくい。
SESという業態は、エンジニアが物理的に離れた場所で働く構造です。同じオフィスにいない。毎日顔を合わせない。そのぶん、意識して心理的な距離を縮めなければ、あっという間に孤立が生まれます。
物理的な距離は変えられません。でも心理的な距離だけは、努力で近づけることができる。それが今の私にできる精いっぱいのことであり、これからも続けていくことです。
一人で抱えなくていい
最後に、もしこの記事を読んでいるエンジニアの方で、今の現場でしんどいなと感じている人がいたら、伝えたいことがあります。
それは「あなたの責任ではないかもしれない」ということです。
環境が合わないことは、普通に起こりえます。人間関係がかみ合わないこともあるし、技術的についていけないと感じることもある。案件の内容が事前に聞いていたものと違っていたということも、残念ながら珍しくありません。
それは能力の問題ではなく、配置の問題かもしれない。時期の問題かもしれない。あるいは、相性の問題かもしれない。
大事なのは、一人で結論を出さないことです。
辛い状態が続いていると、判断力が落ちます。「自分には向いていない」「もう辞めるしかない」という思考が頭を支配しがちですが、それが冷静な判断かどうかは、渦中にいるときにはわかりません。
信頼できる誰かに話してみてください。今の会社の上長でもいいし、前の会社の同期でもいい。家族でも友人でもいい。話すだけで考えが整理されることは、驚くほどたくさんあります。
Codenceは3人の小さな会社です。社内イベントも、豪華な福利厚生もありません。大手と比べれば、提供できるものは限られています。
でも、一人ひとりと向き合う時間だけは絶対に惜しまない。「話を聞く」ということだけは、どこにも負けたくない。それが私の、経営者としての約束です。
うちに限った話ではありません。あなたの話を聞いてくれる場所は、必ずあります。一人で抱え込まないでください。