私がDeNAヘルスケアを選んだ理由|キャリアを重ねて“業績の神輿”に乗っかっているのはつまらなかった。

(この記事は DeNAヘルスケア事業本部サイトからの転載です)

製薬業界からDeNAヘルスケアへ。そんな方がとても増えています。

中元秀剛も、そのひとり。大手製薬メーカー、外資系メーカーを経て、昨年、DeNAにジョインしてくれました。

もっとも、前職での輝かしい経歴には驚くばかり。骨粗鬆症の新型診断薬承認を取得して、今や当たり前の診断スキームとしたり。6種の感染症マーカーを海外メーカーとのコラボによって開発、承認を得たり――。

製薬業界で着実なキャリアを築いたうえで、なぜいまDeNAに飛び込んだのか。中元は独特の表現で教えてくれました。

「挑戦するとか、自分が走ったあとに新しい道ができるとか、世界が少しよくなるとか、できたほうが楽しくないですか?」

そう思うに至ったこれまでを聞きました。

「達成した成果の神輿に乗ってる」のがつまらなかった。

――スーツ、決まっていますね。

中元秀剛(以下、中元):今日はこのあと学会があって、いろんな先生方にお会いするので、それなりにきっちりとした格好を。ですが、DeNAに来てからは僕も普段はカジュアルな装いで働いています。

――DeNAでの今の仕事を教えていただけますか?

中元:大きく3つの仕事をしています。まずはPFDeNA※に席があり、そこでは「事業サイドの開拓」、具体的には学術営業的に動いています。今日のような学会もふくめて医師や研究者の方々とリレーションを深めながらやっているわけです。

残り2つはDeNAヘルスケアとして、基礎段階ですが、新規で2種の医療領域の取組みを担当しています。

どちらも開発系の仕事なので詳細をいえないのが残念ですが、新しい領域を創造するミッションは、やりがいがありますね。

※PFDeNAは株式会社ディー・エヌ・エーと株式会社Preferred Networksの合弁企業。深層学習技術を活用して、少量の血液から14種のがんの有無を判定できる高精度なシステムの開発を目指し、共同開発を開始している。

――中元さんは、これまでは製薬業界で「骨粗鬆症」や「感染症」、「糖尿病」などの診断領域で、新しい承認を多数つくりあげてきました。そのノウハウとコネクションが、いま活きている感じでしょうか?

中元:多少はあります。ただ医療は領域によってそれに携わる研究者、医師も大きく変わってくる。数十年、製薬業界にいましたが、がん領域では骨転移領域や研究領域に限定した踏み込みでしたので、新たにがんの臨床領域について関係構築について積み上げているところです。

しかも、がんは部位や種類によって学会やネットワークも大きく異なる。肝臓がんは「肝臓学会」、腎臓がんは「腎臓学会」と、多くの学会のそれぞれに顔を出して、リレーションをつくっている感じです。

――なるほど。加えて、これまでの製薬メーカーではなく、IT系のメガベンチャーである「DeNA」として関係性をつくっていくのは大変ではないですか?

中元:楽ではないですよね。これまでは医療系での知名度がある会社のカンバンを通して、僕という人間を見られるケースが多かった。

けれどDeNAは医療や製薬の業界では、まだまだつんつるてんの会社ですからね(笑)。

ただ、だからこそ、のおもしろさがある。

会社のカンバンで信頼にゲタを履いて仕事をとるのではなく、まず自分と事業のアイデアありきで話を聞いてもらい、会社の信用をあげていくアプローチになる。それは得難い経験だし、醍醐味もありますよね。

――従来型の製薬業界ではないからこそ「有効な治療薬がない疾患の創薬」などのチャレンジングな領域に挑みやすい、という面もありますか?

中元:少なくとも僕にはそう感じます。そもそもこれまでいた2つの製薬会社をやめてここに来たのは、そうした挑戦を続けたかったから、ですから。

同じところにずっといて、その上にのっかっていると、研究開発本部長とかになって最前線とは間接的になっちゃうじゃないですか? 挑戦しながら、自分が走ってきたあとに新しい道ができていく。ずっとそういう仕事をしてきたつもりだし、これからもしたいと思って、僕はDeNAに入ったんですよ。

「様子を見ましょう」で死にかけた......

――そもそも製薬関係の仕事につこうと考えたのは、いつからですか?

中元:小学生です。

――早いですね。

中元:幼少時に、はしかにかかったんですね。

初診時に医師が判断できずきちんとした診断ができなかった。高熱が出たので、近所のクリニックの先生に診ていただいた際に、先生に「うーん、様子をみてみましょう」といわれたんですね。

ようは「その時点では自身の経験値や診断能力ではわからない」から「様子をみるしかない」という判断をくだした。結果として、症状が悪化して、死ぬ思いをしたんですね。

――なるほど。その壮絶な原体験が、製薬の世界へ向かったきっかけに?

中元:はい。「どんな医師でも間違わず、正しい診断ができるツールが必要なのでは?」という強烈な思いが生まれました。

そこで創薬に興味を持ち、大学は大阪大理学部の化学科へ。低分子製剤の時代だったので、大学院までそちらの研究をしていました。

そして、そのまま住友化学研究所に就職。その後、医薬事業が分社化して住友製薬(現・大日本住友製薬)に転籍しました。そこではがん関連の創薬研究や、当時インターフェロンを使ったC型肝炎適用拡大のための医薬開発の業務を手掛けていたんですよ。

――途中、治療薬から「診断薬」の研究へと領域というか、キャリアチェンジをはかったそうですね。

中元:ええ。治療薬の開発は、どうしても研究や治験などをいれると、リリースまでに時間がかかってしまう。また当然ですが、症状が出てからの対処的な使い方になります。

一方で、診断薬はオープンな開発環境が多く、各社とのコラボレーションがしやすいため、製品リリースまでのスピードが早い。また、適宜な診断薬を診断時に使えば、早期発見、早期治療につながるので、病気に対する効果を最大限に発揮しやすい。インパクトが出しやすい。結果、より多くの方々の役立つことができますからね。そう考えて、診断薬の開発、承認に奔走した、という感じです。


その成果として、骨代謝の領域では、骨吸収/形成マーカーを新規開発/上市して、多くの医薬品会社と協業できました。

それまでは、骨粗鬆症と診断されたら「じゃあ、骨が折れなければいいから、とりあえずビタミンDで」という世界でしたが、今では患者さんの個別の骨代謝や骨密度などの状態をみて、適切な治療薬を選んで投与いただくなど、的確な治療ができる状態になっています。

他疾患でも、患者さんの実情と需要をつかみながら、世界中の研究機関、大学や診断薬メーカーなどをまわって「シード」を探し出すなど、実際、さまざまな地に足を運んで会合折衝を重ねました。その中で、「この技術とあの研究をつなぎあわせたらどうだろう」と仮説・検証をしながらコラボレーションを作り上げていきました。

――まさにイノベーションの現場であり、0→1、1→10の仕事ですね。

中元:「本当にそんなことできるのか」という見方も大きくて、実質、マイナスからのスタートでしたね。ですが最後は医療従事者が誰しも使うガイドラインにまで仕上げたので、0→100のところまで手がけた感がありましたね(笑)。

――確かに。各種の疾患領域でいくつもの新しい道を作り上げてきたわけですよね

中元:色々とやってきましたね。そこで話は戻るのですが、0→1→100をつくりあげてきた達成感はあるけれど、その神輿に乗っかって仕事をしているのは、個人的には充足感が薄い。また新たに挑戦をしたい、という気持ちが強くなりました。

――これまでのように、世界中のシードをつなげて、また課題を解決したいと。

中元:はい。そこで完全にリセットして外資系の製薬会社に転職し、今度は糖尿病のエリアで革新的な新製品を手がけました。上市後は、同領域をベースに糖尿病合併症などのリスク低減を目指したのですが、当時、会社は大きな成果に安住してしまい、私が望むさらなる挑戦が難しくなっていました。

そんなときにタイミングよく声をかけられたのがDeNAだったわけです。ちょうど、がんや認知症の領域に挑戦していきたい、という思いと重なりました。

DeNAには「この事業を断固たる決意で本当にやりきりますか?」と何度も確認した

――ヘッドハンティングの声は他社からもあったと聞きましたが、なぜDeNAを選ばれたのでしょうか?

中元:逆説的ですが「まだ成果をだしていない」から。DeNAが「まだこれから」という会社だったからですね(笑)。

すでに医療関係で安泰の事業があったら、どうしても保守的になる。それがないNew Commer。「だからこそ、ここなら思い切って挑戦できる!」と考えたからですね。


――とはいえ、スタンダードな製薬業界とは違う会社。不安もあったのではないですか?

中元:一切ないです。

不安があったとしたら「本当にこの領域で事業をやりきるつもりか?」ということでした。だから面談ではしつこく何度もそこの確認をとりましたね。

企業には、、一旦成功すると、そこでとどまろうとする傾向があると思うんです。けれど、とまったときはたいてい落ちるときなんですよね。

ですがDeNAには、新たにヘルスケア領域を創り続ける、強い意志を感じた。繰り返し、しつこく確認しましたが(笑)。そこに可能性を感じてジョインしたんです。まだまだ挑戦し続けたい。新しい道をつくり続けたい。そう思っていますからね。

――実際に入ってみた感想はいかがですか?

中元:ユニークな会社ですよ。社会的に価値があると想定される事業に関して、その思いを言葉にすれば、必ず誰かが後押ししれくれる。また、誠実に真摯に新しいヘルスケア事業をつくっていこうという人材が揃っている。若い会社ならではの強さとしなやかさを感じます。

――その「若い会社」であることに戸惑いはなかったですか? 一般的にはキャリアを積まれてきた方が、若いベンチャーに入るのはハードルを高く感じるのではないかと思っていまいますが。

中元:ないですね。僕はここでは新人ですしね(笑)。

ここでは皆、年を経るから保守的になったり、挑戦をめんどくさがったりするということはないですよ。

むしろ挑戦をやめたり、先にすすむことをやめたら、悲しむ人のほうが多い。たとえば本当は成しとげられたはずの研究、素晴らしいシードが手を付けられず埋もれたら、病気で倒れる人が増え、悩む家族が増え、社会的にも経済的にも国の打撃になる。

裏返すと僕らがこの領域で挑戦を続けることは、これらの解決になり、社会に還元できることになる。面倒と思うに至る理由がないですよね。


――むしろ、キャリアを積み上げてきながらも、どこかでもんもんと「新しいことに挑戦したい」と考えている方にこそ、参加してほしい。活躍の場がある、という感じでしょうか?

中元:そう思います。それこそ世界中の研究所にある将来のシードが、DeNAにはごろごろあるかもしれない。ゲームやAIの領域とかけあわせたらまた想像以上のインパクトも残せるかもしれません。

共感してくださる方には、ぜひ一緒に挑戦する仲間になっていただきたい。製薬業界ではできなかった挑戦ができるかもしれない。

ぼんやりと眺めているだけでは時だけが過ぎてしまう。なにごとも、「とりあえず様子をみましょう」はダメだ、ということですよ(笑)。

中元 秀剛(なかもと ひでたか)|DeNAヘルスケア PFDeNA ヘルスケア事業部 事業企画グループ

1959年、山口県生まれ。1978年、大阪大学理学部化学科へ入学。1984年に同大学院を卒業。住友化学に入社し、インターフェロン等での腫瘍関係での基礎研究・臨床開発、種々の診断薬の研究・開発に従事。2016年にアボットジャパンへ転職、FreeStyleリブレ、リブレProを上市。2018年にDeNAへ転職し、現在はPFDeNAの事業企画グループに属して業務に推進。


執筆:箱田 高樹 編集:八島 朱里 撮影:小堀 将生

※本記事掲載の情報は、公開時点のものです。

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