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英語が大の苦手だった僕が留学へ。


少しずつ涼しくなってきたなと思っていたら、また急に暑くなったりよくわからない天気が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

先日、大阪にある樹脂系製造業の方とお食事(焼肉)にお誘いいただき、男二人で3時間近く肉を突きながら語らい合ったのですが、その時に子育てと教育についての話になり、改めて自分の幼少期や学生時代を振り返ると、非常に特殊な体験をいくつもしてきたな、と思いました。

この体験を自分の中だけにとどめておくのも勿体ないし、何かの足しにでもなればいいな程度にシェアしてみようと思います。面白い出来事や体験を多々していると思いますので、ぜひ最後までお付き合いください。

なぜ留学を決心したのか

僕がオーストラリアに留学することを決めたのは、高校3年生の夏のことでした。

当時いわゆる進学校に通っていた僕でしたが、高校1年生の夏にはすでに学友たちの勉強熱の高さに自分とのギャップを感じ、高校生活を楽しいとは感じられない日々を過ごしていました。
それもそのはず。他の子達は「この学校になんとしても入りたい」という熱意を持ち合わせて居たにも関わらず、何も考えずに「面白ければ何でもいい」と高校を選んでしまったのです。

そして僕は一つの疑問を抱くことになります。

彼らと同じように大学受験をすると、そこでまた彼らに出会い、彼らと競い合う日々が始まってしまうのではないか、と。

僕は元来負けず嫌いです。だから彼らと競い合うこと自体が嫌だったわけではありませんし、また自分を卑下して彼らには敵わないから競争したくなかったということでもありません。ただ、その先にも同じような舞台の上で、同じような人たちと『無限に続く競争』が待ち受けているように感じられ、僕は受験戦争というステージで勝負するよりも「自分らしい」と思えるステージで競争したい、と考えるようになりました。これが高校2年生が終わろうという頃。

しかしながら、そこは進学校。学力があるものが是とされる環境でもありました。有名私大に行けども、国公立でなければ落ちこぼれという風潮さえ漂っています。もちろん僕も”皆と同じように大学に進学することを求められましたが、この頃には既に国内大学への進学は諦めており、当然受験勉強には出遅れています。「皆と同じように進学」なんてできそうもありません。指定校推薦も勧められましたが、落ちこぼれ扱いされる大学にまでわざわざ行きたいとは思えず、面談ではいつも1時間以上の熱い戦いが繰り広げることに。こうして、どういう道に進むのか決まらないまま夏を迎えました。

@Gold Coast Aquatic Centre

8月、僕は単身オーストラリアに向かいました。特に進学を意識したオーストラリア行きではなく、ただ何か得るものがあればいいな、という感じ。ちなみに当時の僕は英語が大の苦手。学校のテストは2桁にすら届いていません。(補足ですが、僕の母校には赤点という制度がなく、平均点が10点以下のテストもありました。)それでも意外とコミュニケーションは取れるもので、ジェスチャーと拙い英語を駆使して、スーパーでの買い物もお祭りの屋台で遊ぶのもなんとかできてしまいました。

このときだったでしょうか、初めて留学を意識したのは。あれだけ嫌いだと思っていた英語が「きちんと理解して話さなくても気持ちさえ持っていれば伝わる」とわかり、楽しく面白いものへと変化していきました。これまで嫌っていた『勉強としての英語』が『言語としての英語』へと変化を遂げた瞬間です。

これを経て僕は高校卒業後、オーストラリアへ語学留学に行くことを決心したのでした。

旅行と留学

この夏のオーストラリア旅行は、僕にとってひとつかけがえのないものを残してくれました。それはとある人物との出会いです。

オーストラリア旅行最終盤、少し時間に余裕の合った僕はサーフィンスクールに通ってみることにしました。「水泳もやってたんだし、サーフィンも慣れるの早いんじゃない?」そんな軽い気持ちでサーフィンスクールに申し込みます。レッスン当日、集合場所に行ってみると、集まっているのはオーストラリア人の子どもたち数人に、新婚旅行客や僕を含む観光客数名、そして1人現地在住の日本人男性。

この日本人男性が僕の留学生活における最大のキーマンであり、恩人であり、友人でもあるKさんでした。

レッスン中、Kさんと特に会話をすることはなかったのですが、レッスン終わりに突然話しかけられ、もうひとり女性の観光客と一緒に晩ごはんに行くことに。(この女性がとんでもなく面白い人で、僕は若干18歳にしてストリップバーに行くことになるのですが、その話はまたいずれ… ※オーストラリアでは18歳から飲酒可です。)

ここでKさんに気に入られたのか翌日もお昼ごはんに誘ってもらい、オーストラリアらしくハンバーガーを食べに行くことに。そのまま一緒に映画にも連れて行ってもらい、本当に色々とお世話になったのを覚えています。それから数日後に帰国し、まず第一にKさんにメールでお礼を伝えます。

またオーストラリアに行ったら、色んなところに連れて行ってくださいね!」 - この時は本当にまた会うことに、そして恩人と言えるほどにまで親密な仲になるとは思っていませんでした。

日本に帰国して、日本の良さを感じながらもオーストラリアのゆったりとした空気感が忘れられなかった僕は、オーストラリアへ留学の意志を両親・学校ともに伝えます。一部級友には「英語0点取ってるのに大丈夫?」と小馬鹿にされているのか、真剣に心配してくれているのかよくわからない感じで言われたりもしましたが、迷いはありませんでした。

なぜなら1ヶ月間のオーストラリア生活で英語なんて話せなくてもなんとかなると気付いていたからです。


※オーストラリア代表の水泳選手 Madi Wilsonと。同じ大学卒で、何度か一緒に練習しました。

再びオーストラリアへ

オーストラリア留学が決まり、Kさんに再度連絡することになりました。

「来年3月にオーストラリアに行くことになりました。今度は長期です!またご飯とか一緒に連れて行ってください。」こんな感じのことを言ったでしょうか。直ぐに返信が帰ってきました。

「お、ほんまか!ワシも楽しみにしとるよ~!また飯行ったりサーフィンしような~!」

実は、Kさん自身ももう僕と会うことはないだろうと思っていたそう。

あんなにも律儀に連絡をくれたやつは今まででおまえが初めてやった。で、ほんまにオーストラリアに会いに来てくれた。そうやってまた会えるのは嬉しかったし、ワシの知り合いにも紹介してあげたくなったなぁ。」後日、Kさんはこうも語っていました。


それからあれよあれよという間に時は過ぎ去り2011年3月、いよいよ留学はもう目の前まで迫っていました。フライト当日の朝、この記事でも取り上げてもらっている友人たちが見送りに来てくれました。彼は「楽しいこと、辛いこと、なんでも良いから心の琴線に触れることがあったらこれに書けよ」と言って、手作りのノートを手渡してくれました。オーストラリアに旅立つ間際、高校時代 唯一親友と呼べる友人が関空まで見送りに。彼ともハグを交わし、ひとこと。

「いってくるわ!」

そう言って僕はオーストラリアへと旅立ちました。


おわりに

いかがだったでしょうか。本当はどんな留学経験をしたか1つの記事にまとめるつもりが、少し長編になってしまったので、前編後編に分けることにしました。

後編は留学先で出会った友人たち(ほとんどがオーストラリアで起業)を中心に、オーストラリアのビジネスライフや彼らと接して得られた経験など、まとめられればと思っています。

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