はじめに
2025年12月末。私は、5年間経営してきた自分の会社(株式会社ショート)を売却しました。ショートは、企業の新卒採用を幅広く支援する会社で、スカウト媒体の販売とその運用代行、採用マッチングイベントや採用管理システムの導入支援などを行っていました。
そして現在は、会社ごとグループインする形で、株式会社フォワードというAI・HR領域のスタートアップで働いています。
設立3年以内のスタートアップでビジネスの最前線に身を投じる激しい日々は、新卒で100連勤したあの頃の自分を少し取り戻したかのようです。
でも、私がこの決断を下したきっかけは、綺麗で前向きなものばかりではありません。
私には、どうしても「圧倒的な何かに没頭している自分」が必要でした。もっとありのままに言えば、自分自身を納得させるための、強烈な『言い訳』が欲しかったのです。
実は私は、半年前に、愛してやまない娘を手放しました。
結婚してわずか10日で、突然この世を去ってしまった妻。 残された6歳の娘と私。 そこから始まった、1年半のシングルファザーとしての生活、葛藤の末に下した残酷な決断。
娘を遠く離れた宮城県に送り出し、一人になった私が生きていくためには、「何か大きなチャレンジをしている」という大義名分が必要でした。娘を手放した理由を見つけ、亡くなった妻の分まで前を向いて生きるために。
このnoteは、愛する家族を失い、深い喪失感と葛藤の底から、もう一度「今」を生きる理由を見つけようと模索した記録です。
長くなりますが、同じように何かを失い、それでも前を向こうともがいている誰かの心に、少しでも届くものがあれば嬉しく思います。
短すぎる結婚生活、突然の別れ
妻は、小学校の同じクラスの同級生であり、同じバスケットボール部でした。
記載するのは少し恥ずかしいのですが、当時は両想いでした。ただ、小学生の私はバレンタインのチョコレートをもらうのが照れくさくて、時に彼女を悲しませた、素直になれない未熟な子供でした。
大人になってからも、小学校の仲良しグループのひとりとして1年に1度くらいのペースで会う関係が続いていました。彼女がシングルマザーになってからは、当時まだ赤ちゃんだった娘とも何度か会っていました。
転機が訪れたのは、初めて彼女と娘の3人で出かけた日のことです。
ふと、「もし自分がこの中に入ったら、すごく幸せだろうな」という思いが頭をよぎり、15年ぶりに惹かれました。彼女はリウマチを患っていたシングルマザーだったので、関節が痛む日には私が子供の面倒を見るなどのサポートをしながら、会う回数も増えました。
少し時間は飛びますが、ある時一緒にお風呂に入っていた娘から、不意に言われました。
「たつくん、パパになって」
一生懸命に子どもを育てている彼女を支え、3人でならもっと良い家族になれるはずだと考え、私は結婚を前提にお付き合いを申し込みました。
そして2024年3月29日に入籍し、6歳の娘と養子縁組をして、私は晴れて正式な「パパ」になりました。
いつも仲良し
当時は「もう、ほかに欲しいものなんて何もないな」と思っていました。
しかし、その幸せは長くは続きませんでした。 2024年4月8日、結婚からわずか10日後のことです。
亡くなる前日の朝、妻が急にお腹が痛いと言い出しました。ただの腹痛ではない様子だったのですぐに救急車を呼び、近くの総合病院へ搬送されました。(この後の病院側の対応に思うところは多々ありましたが、ここで深くは語りません。)
翌朝、病院から私の携帯に電話がかかってきました。
「旦那様、ちょっと説明したいことがあるので病院にお越しください」
その言葉を聞いた瞬間、妙な胸騒ぎがしました。なぜか、「ああ、妻は亡くなるのではないか」と直感的に悟ってしまった自分がいました。
急いで病院に駆けつけると、そこでは妻への心肺蘇生が行われていました。しかし、私の目には、彼女がすでに亡くなっていることは明らかでした。懸命な処置も、私に「まだ頑張っている」ことを見せるためのパフォーマンスのようにさえ見えてしまいました。
普通なら、その場で泣き崩れていたと思います。でも、娘のことを思うと、私はある意味でとても冷静でした。その場で泣き崩れることもできず、ただただ、状況を理解しきれない娘を強く抱きしめることしかできませんでした。
その日の夜。 今まで妻と3人で暮らしていた家の前で、娘に伝えました。
「これから、パパと2人で頑張って生きていこうね」
「うん」
お互いの心が通じ合った感覚を持ったのと同時に、2人で生きていく覚悟ができたような、できていないような、不思議な感覚であったことは今でも鮮明に記憶しています。
そして娘は、妻が亡くなった2日後、小学校の入学式に笑顔で参加しました。
入学式
シングルファザーとしての1年半と、正義のぶつかり合い
妻が亡くなり、悲しみに暮れる間もなく、私と娘の2人きりの生活が始まりました。
山積みにされたさまざまな手続き。変わらず頑張ってくれている社員との連携、クライアントへの連絡。そして何より、母親を突然失った6歳の娘の、すべての喜怒哀楽と真正面から向き合う日々。
周りからは「一人で育てるのは大変でしょう」とよく心配されました。でも不思議なことに、私はこの1年半、子育てに関して「難しい」「嫌だ」「苦労した」と思ったことは、本当にただの一度もありませんでした。
朝早く起きてお弁当を作ることも、休日にいろんな場所へ遊びに連れて行くことも、私にとっては全く億劫ではありませんでした。むしろ、2人の生活はとても順調で、私と娘の信頼関係は益々深くなるばかりでした。
でも何かが足りない。そんな思いに拍車をかけるように、どうしようもなく心が苦しくなる瞬間がありました。 それは時々、娘が「ママに会いたい」「ママと3人で過ごしたかった」と言って泣き出す時です。
私はこのやり場のない感情をどう処理していいのかわからず、ただただ小さな体を強く抱きしめ、あふれてくる涙を止めることができない日もありました。
私にとって、本当に自慢の娘です。 こんなにも優しく、相手を思いやれる良い子に育ったのは、間違いなくママのおかげだと思っています。
娘は、よく私に手紙を書いてくれました。
娘からの手紙
「パパへ ママがみえなかったらのあがおしえるからしんぱいしないでね パパだいすきだよ♡」
学童にお迎えにいくと、手紙を持って待っててくれることもありました。
そして気づけば、家の冷蔵庫は娘からの手紙でいっぱいになっていました。
当時の冷蔵庫
「パパのしごとがんばってくれてありがとう」「のあのこといつもせわしてくれてありがとう」「おふろでプールいつもしてくれてありがとう」「いろいろつれてってくれてありがとう」
覚えたての文字を頑張って書いてくれた手紙の一つひとつが、沁みました。
むしろこんなにいい子で可愛く育ってくれてありがとう。パパより。
しかし、そんな温かい日常の裏側で、私は大きな壁に直面していました。 亡き妻のご両親との話し合いです。
それは、どちらかが悪意を持っているわけではない、純粋な「正義と正義のぶつかり合い」でした。
ご両親の主張は、「血が繋がっていないのだから、血が繋がっている親族と一緒に過ごすべきだ」というもの。 一方で私は、「子供からすれば私が唯一のパパであり、娘の『パパと一緒にいたい』という気持ちを一番に尊重するべきだ」と考えていました。
この話し合いは平行線をたどり、長く険しいものになりました。
「あなたは本当の親じゃない」
「あなた方も親ではない」
本来であれば、妻を愛した者同士、家族として手を取り合えるはずの人たちと、構造上どうしても対立関係になってしまう。妻や娘のことを考えると非常に苦しいことでした。
人物相関図
それでも私は、娘との生活を守りたかった。お互いに譲れない思いを抱えたまま、なんとか折り合いをつけようともがきました。
しかし最終的に、私は娘と離れることを選択しました。 正確に言えば、これ以上争うことで私自身が生きにくいことや、この構造自体が娘にとっても良くない状況であり、亡くなった妻も望んでいる状況ではない。
「そう選択せざるを得なかった」と言い訳をさせてください。
前を向くための「言い訳」から、自らの「意思」へ
2025年7月。話し合いの末、娘は今まで一緒に暮らしていた千葉県流山市を離れ、遠く離れた宮城県へと引っ越していきました。
娘がいなくなった家には、もう私がそこに住む意味など残っていませんでした。私は流山の家を引き払い、一旦、千葉県松戸市にある自分の実家へと戻りました。
「愛する娘を手放してしまったからには、何か今頑張るべきことがなければならない」
最初は、自分自身に対する必死の『言い訳』でした。 何かに没頭していなければ、娘と別れた意味がないだろうと。
シングルファザーとしての生活を優先にしていたこと、良いお客さまに恵まれ長期のお取引で安定した利益が出ていたことから、しばらくコンフォートゾーンから抜けることができていない感覚もありました。だからこそ、スタートアップ企業で、もう一度ゼロから這い上がりたい。
私は「設立3年以内のスタートアップ」×「AIやHR」に関わる事業、という条件で、自分のエネルギー量を再度増やし、それを注ぎ込める場所を探しました。
そんな思いの中でご縁があったのが、現在働いている「株式会社フォワード」でした。
最初は、業務委託という形で働き始めました。しかし、熱量の高いメンバーたちと一緒に仕事にのめり込んでいくうちに、私の心の中にあった「言い訳を探す」という後ろ向きな感情が、少しずつ形を変え始めました。
本気でビジネスに向き合い、突き進む仲間たちの姿。そして、 AIとHRの力で人々の可能性を広げていく事業をつくること。 それに触れているうちに、「自分を責めてしまうことから脱却するための言い訳探し」から「純粋に素敵な仲間と何かに熱中したい」という、私自身の強い『意思』が芽生えてきました。
そして2025年12月末。自分が5年間経営してきた「株式会社ショート」を、フォワードへ売却しました。社員さんも一緒に付いてきてくれるとのことだったので、自然な流れだったかもしれません。
自分自身の退路を断ち、この新しい環境に自分の人生を捧げようと決めたのです。
よく考えれば、私が仕事をしてようがしてなかろうが、娘にとってはどっちでも良いはずです。
最終的に会社を売却したのは、私が「どう生きたいのか」を考えた時のエゴを通そうとした結果でした。
左(フォワード代表 名古屋)右(グループ会社ショート代表 岩田)
おわりに
ここまで、私の長くて重い個人的な記録にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
種明かしというレベルではありませんが、正直にお伝えします。
このnoteに書かれている出来事や、私が抱いた感情は、すべて紛れもないノンフィクション(事実)です。しかし、この文章の構成を練り、私の生々しい思いを皆さんに届くような「物語」として形にするプロセスは、AIアシスタントの『Gemini』の力を大いに借りました。
なぜ、自分の最もパーソナルで大切な記憶を、AIと一緒に書いたのか。 それは、現在私が株式会社フォワードで向き合っている仕事のテーマの一つが、まさに「AIを活用して、候補者(人)の心を動かすこと」だからです。
言わずもがなですが、AIは使い方次第で、人間の奥底にある熱量や感情を整理し、誰かの心に深く刺さるメッセージへと変換する強力なパートナーになります。それが私の携わっている採用の文脈であれば、企業に眠る魅力を候補者に対して上手に言語化してくれます(採用特化型AIのエースジョブというサービスです)。そんなAIの強さを、今回のnote執筆を通して、私自身が実感しております。(私にとってこれが初めてのnoteです)
最後に、私は今、フォワードというスタートアップの環境で、この「AI×HR」の最前線で再び命を燃やしています。
もし、よろしければぜひ一度お話ししませんか?
- 株式会社フォワードの事業やビジョンについて知りたい
- 自社で「AI採用」に取り組んでみたい、相談したい
- ただ単に、プライベートで岩田と話してみたい
どんな理由でも構いません。ビジネスのお話はもちろん、しばらく疎遠になってしまっている懐かしい友人や、このnoteで初めて私を知っていただいた新しい方とも、広く繋がれたら嬉しいです。ぜひ、以下のリンクからお気軽に日程をご調整ください!
▼ 岩田と話してみる(カジュアル面談・雑談なんでもOKです!) https://app.spirinc.com/t/dE1o3xrWKPQHRvOnGUPej/as/0nK-PHqT4y832NzxuNAgr/confirm
今日からまた、全力で走り続けたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
※個人的な記録ではありますが、同じように葛藤を抱える誰かの小さな支えになればと願っています。もし共感いただけましたら、シェアしていただけると幸いです。
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