【ライフラインになった日。】
あけましておめでとうございます。イデアルアーキテクツの山本です。
先日、友人からの突然の電話で
「分かっているのに答えられないことを聞かれて困っている」
と言われました。
友人は『頭のいい人』との飲みの席で、
不用意にもその人の発言を「普通は~」と否定してしまったらしい。
いや、飲みの席なら何の変哲もないよくある話です。
が、相手が悪かった。
「普通?普通って何?普通と常識と一般と当たり前をそれぞれ説明してよ。」
そう言われて友人は黙ってしまったそうです。
常識的に一般では当たり前に理解している『普通』を説明する。
しかも相手は『常識』と『一般』と『当たり前』の説明も求めている。
つまり、『普通』という言葉を説明するとき、
その説明文の中に『常識』と『一般』と『当たり前』が使えません。
しれっと類義語を封じる先手を打つ周到さ。
さながら大坂冬の陣の前の徳川のような人だ。
相手は、ライフラインとして『テレフォン』の使用を許可し、
友人は僕に電話をしてきた。という経緯らしい。僕は…
この期待に応えて、めちゃくちゃ頭がいいと思われたい!
全く考えずに即答して相手を唸らせたい!
「普通というのは突出した物がない状態、
常識というのは共通認識、
一般というのは多数決の大多数意見、
当たり前というのは集団催眠下の自己中心的見解!」
僕は言いながら思っていた。3つ目までは同じことを言っていると。
4つ目に至っては、自分でも何を言っているか分からないと。
電話の向こうで、友人と『頭のいい人』が大笑いをしている声が聞こえたので、
とりあえず僕のライフラインとしての役割は果たせたようです。
意味が分かっていて、使いこなせているのに
改めると説明の難しい言葉ってありますよね?ね?
『あたかも』と『さながら』と『まるで』をそれぞれ説明とかね?ね?
同義語や類義語を使わずに説明するのはとても難しいと感じた山本でした。