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キャリアパスの選択 - 「エンジニア」を辞めた日

株式会社マージェリックの高見澤です。
マージェリックでは全事業の事業戦略を担当しています。

今回でこのシリーズも第4回目となりました。
第1回を書いたときには全4回のつもりだったので、ちょっと伸びてしまっていますね。
なるべく次回で終わりにするようまとめたいと思います。


これまでの記事は以下からどうぞ。
第1回 キャリアパスの選択 - 「エンジニア」になろうと思った日
第2回 キャリアパスの選択 - 「エンジニア」になった日
第3回 キャリアパスの選択 - 「エンジニア」が転職した日


今回はマージェリックに入ってからの話をしたいと思います。

私が代官山RED(現マージェリック)に入社したのは、2015年の夏頃です。
その頃の代官山REDは自社サービスは持っておらず、受託を行っている会社でした。
当時、オフィスは渋谷にあり、社員は私含め7人。
エレベーターを出たらエントランスなどなく、すぐに執務スペースだったので、来客の際には毎回驚かれていました。

それからピッチに参加したり、外国人エンジニアを採用したり、オフィス移転したり、2015年はあっという間に過ぎていったことを覚えています。
その頃、気づけばbambooshoot事業の責任者になっていました。
(どういうタイミングでその椅子に付いたかは記憶が曖昧で、いつの間にかという印象が未だに拭えません)


bambooshootはマージェリックにとって、所謂、"主幹"事業です。
現在では、HOPPiNGとdoorも事業展開していますが、もともと代表の嶋には「お世話になったEC事業者の方に恩返しをしたい」という思いがあり、それを実現するために始まった事業でした。

私が入社したころはまだbambooshootの開発は始まってすらおらず、サービス目標とリリース日は決まっていましたが、実現方法や仕様は定まっていない状況で、ひとりで開発を始めました。
すでにお伝えした通り、私が新卒で入社した企業は楽天です。
加えて、担当サービスは楽天市場だったので、EC、というか楽天市場についてはある程度知識を持っていたので、その知識を活かすことはできたのですが、実際にEC店舗を運用した経験があったわけではありません。
幸い、社内にはEC店舗の運用経験者(副社長の荻田)がいたので、ヒアリングをしながら開発を進めていました。

bambooshootの開発ストーリーは、これまた話し始めたら長くなるので、詳細は別の機会に譲ることにします。当時設定されていたリリース予定日は2016年9月1日でした。
その後、広報戦略の兼ね合いで2016年9月5日にリリース日はずれ込んだのですが、当時は開発メンバーで会社に泊まり込み、交代で睡眠を取り、開発を進めるという状況だったと記憶しています。

それから2016年9月5日を迎えた我々はbambooshootをリリースしたのでした。


当時、エンジニアとしてメンバーを管理しつつ、事業長としてサービス方針の決定も同時にやっていました。とはいえ、そもそもエンジニアとしてしか業務経験がなく、ビジネスディベロップメントの経験もありません。
わからないなりに試行錯誤を繰り返してはいましたが、必然的にエンジニアとしての業務にかける時間の方が多くなっていきました。


ところで、皆さんには挫折の経験はありますか?
誰にとっても失敗のひとつやふたつは、その大小に関わらず、経験があるのではないでしょうか?
一方で、挫折はどうでしょう。なかなか自分は挫折した経験がある、とはっきり言うことは難しいのではないでしょうか。

今現在、己の人生で挫折した経験はあるか、と問われれば、二度ある、と答えます。
一度は、すでにお話した博士を諦めたことです。
二度目は、エンジニアとして生きるということです。

驕ったことを言えば、私自身は並以上の評価を得られるエンジニアだったと思います。
人並みに努力をし、結果を出してきたという自負があります。

けれど、エンジニアとして一流にはなれない、とも感じていました。
プログラミングの面白さや機能を実現したときの喜びは感じつつも、工作の域を抜け出ない、そんな感覚でした。
好きや楽しいと言ってもその程度には差があります。
楽しいと感じていても、解けることが分かっているパズルを解くような、そんな具合。

技術、特にWeb界隈では、日進月歩に進化が続いています。
解説記事の公開日が1年以上前なら古いと感じるような速度です。
その分野でエンジニアとして生きるわけですから、最新の技術は常に把握し、実践してみることが求められます。
当然、新しいものに飛びつけばいいというわけではありません。現状を維持するほうがいい場合もあります。ただ、それを検証するにはやはり最新の情報に触れて検証する必要があるでしょう。

私も、当時は知識として、最新の情報を仕入れ、時間があれば試してみるということはやっていました。
けれど一方で、この生き方は辛いな、と感じていました。
必要だから覚えよう、必要だから身につけよう…。
そもそもなぜエンジニアになろうと思ったかというと、技術を以て世界を変える、喜びを与える、という彼らのもたらすその結果に憧れを抱いたからです。

憧れは本質をぼやかしてしまう、というようなことを前回の結びに書いたかと思います。
実際に私自身もどんな誰として生きていくのか、その姿を掴みきれていなかったのです。自分の憧れをそのままの形で自身に課してしまったから。


少し話を戻しましょう。

エンジニアとして業務をこなしているときと、ビジネスを考えていたときと、どちらが自然に楽しめていたかというと後者でした。
案外、自分で自然にできていることには気づかないものです。
得意や好きは無意識にできていることが多いわけです。

bambooshootのリリース後、開発フローを改善しようという話が出ました。
当時のメンバーで議論したところ、一番の問題点はエンジニアの開発とビジネス設計が同時に進捗していたことがあがりました。
本来は、ビジネスとして先を見据えて計画を立てながらそれを開発していく、というのがあるべき姿です。
もともとエンジニアを中心に採用していたということもあり、社内には事業開発を専任でやる人間がいませんでした。
ビジネス方針を決定し、タスクに落とし、それが実装される。それがリリース後に検証されて次に反映される。
やはり、責任の所在が不明確な作業というものは、放置されがちで、迷子になってしまいます。
事業開発は専任でひとを立てるべきという結論になりました。

そして、周りからのすすめもあり、正式にエンジニア業務から離れ、事業戦略に集中することになりました。


自身のことは自分が一番知っていると思いがちです。
けれど、いままで経験のないことをやってみると、案外、新しい世界が見えてくることがあります。

チャレンジし続けることは大切だという言説はよく耳にします。
ただ、チャレンジと簡単に言っても様々です。
大きい仕事を任せられる、転職する、資格を取る、知らない場所へ赴く。
いままでと違ったことをやってみることはなんでもチャレンジと言えるのではないでしょうか。
とは言っても、まったく未知のチャレンジをすることは困難です。
先行きが不透明だったり、自信がなかったり。

しかしながら、現状が正しいとも限りません。
正しさの尺度は様々ですが、自身が満足できているかに尽きると思います。
ひとつの領域にとどまっていると、視野が狭くなり、考えが凝り固まりがちになるでしょう。
それを避けるには、やはり、まったく異なる環境に身をおくことが最善です。
いままで考えもしなかった経験から自分自身を見つめ直すことができます。

もちろん、これまでのキャリアと異なることに挑戦することはリスクを伴います。
いま成功しているならなおさら。
それでも、違う分野の方と交流したり、勉強することはできます。

自分にはこれしかない、と可能性を狭めていませんか?
選択肢って、実は無限にあります。
どのカードを切るかは自分次第です。

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