「とりあえずやってみよう」という言葉は、誰にでも言えます。しかし、本村さんが語るその言葉には、長崎から柔道推薦で上京し、大学を中退してまで飛び込んだ営業の最前線、そして単身北京で「鼻をへし折られた」経験に裏打ちされた、圧倒的な重みがあります。
現在、マイクロアドのマーケティングビジネス本部(アカウントプランナー部門)で副本部長を務める本村さん。なぜ彼の周りには自然と人が集まり、熱量が伝播していくのか。そのキャリアの軌跡と、彼が大切にするリーダーシップの極意に迫ります。
本村匡弘という人間の「根っこ」
「早く稼ぎたい」という渇望がすべての始まりだった
――まずは、本村さんのキャリアのスタートについて教えてください。
私は長崎県の出身です。高校まで柔道一筋で、大学も柔道の推薦で東京の専修大学に進学しました。しかし、結局2年で中退し、20歳の時にベンチャー企業である「GENOVA」に飛び込んだのが、私の社会人としての原点です。そこから約10年間、文字通り泥臭く働き抜き、30歳を機にマイクロアドへ転職しました。かれこれ20年近く、ずっと営業畑一本でやってきました。
――大学中退という大きな決断、そして立ち上げ直後のベンチャー環境を選んだ当時の心境はどういったものだったのでしょうか?
一言で言えば「とにかく早く稼ぎたい」という気持ちに尽きますね。実家が決して裕福ではなく、幼い頃から「うちはお金がないな」と感じる瞬間が多かったんです。例えば、家族で回転寿司に行っても、「100円の皿を5枚まで」しか食べられないという決まりがある環境でした。だからこそ「早く自立して、自分の力でお金を稼ぎたい」というハングリー精神が、幼少期から私の根底にありました。
そんな時、知人を介して出会ったGENOVAの社長から「これから上場を目指すから、うちに来ないか」と誘われたんです。当時のGENOVAは社員数名、マンションの一室から始まったばかりの場所でしたが、その熱量に賭けてみたくなった。「上場を目指すなら、きっとお金も稼げるようになるはずだ」という直感だけで、柔道の推薦枠も大学の卒業資格も捨てて入社を決めました。
当然、周囲からは猛反対されました。柔道部の監督や親戚中から「なんてことをするんだ」と怒鳴られ、父親とはそれから6年ほど音信不通になるほどの修羅場を経験しました。それでも私は、自分の直感を信じて走り出すことを決めました。
北京で味わった絶望と、傲慢だった自分との決別
――GENOVA時代、特に「鼻をへし折られた」と感じた経験や、営業の本質を悟った瞬間について教えてください。
24歳の時、社長から「北京支社を立ち上げたい」と言われ、一人で中国へ渡った時ですね。当時の私は、国内での営業成績も良く、どこかで「自分が会社を回している」という傲慢な考えを持っていました。その意識が態度に出ていたのでしょう。ある時、日本本社のバックオフィスメンバーたちから、ボイコットを食らったんです。
北京で孤軍奮闘しているつもりでしたが、実務的な作業は日本のメンバーに頼らざるを得ない。それなのに私の態度が悪かったために、彼らが一斉に「本村さんの依頼は受けない」となってしまった。1週間ほど、請求書の発行も、ホームページの制作も、何も進まなくなりました。
その時、愕然としましたね。「自分一人で戦っているつもりだったけれど、支えてくれる人がいるからこそ、私は100%の力で営業ができていたんだ」という事実に、ようやく気づかされたんです。あの時の、自分の小ささを突きつけられた感覚は、今でも忘れません。
また、当時の中国は凄まじい経済成長の最中にあり、同世代の中国人たちが休みなく勉強に励んでいる姿を目の当たりにしました。彼らは「やらないと給料が上がらない、競争に勝てない」という切実な危機感を持っていました。同じ24歳でも、これほどまでにハングリー精神が違うのかと、強い衝撃を受けました。あの北京での経験がなければ、今の私はもっと薄っぺらな人間になっていたと思います。
「商材」ではなく「人」で選んだマイクロアドへの道
――なぜマイクロアドへ入社を決めたのでしょうか?
正直に言うと、アドテクという領域そのものに強い興味があったわけではありませんでした。決め手は「人」です。北京時代に知り合った、当時の役員が声をかけてくれたのがきっかけでした。
当時、私は30歳を目前にして「自分は地方大会で結果を出した程度じゃないか」「もっと広い世界で通用するのか」という不安を抱えていました。そんな時に声をかけられ、この人がいる会社なら、もう一度ゼロから挑戦してみたいと思ったんです。
本村流リーダーシップ——なぜ若手は彼を慕うのか
「好きだから」というシンプルな理由が生むウェットな関係性
――副本部長という立場にありながら、部下に対して非常に「ウェットな」距離感で接している印象があります。それはなぜですか?
一番の理由は、単純に「人が好きだから」です。みんなのことが気になって放っておけないんですよ。
20代の頃は年上の方から学ぶことが多かったですが、40代に近づくにつれ、逆に若い子たちから学ぶことが増えてきました。彼らの新しい感性や、我々の経験値では予測できない行動がすごく刺激になるんです。彼らの考えていることをもっと知りたい、寄り添いたいという好奇心が、私のスタイルの根底にあります。
――若手社員と接する際、スキル以上に「人間としての成長」をどう促していますか?
私はよく「約束を守ること」を徹底して伝えています。
時間の管理、提出物の期限、契約内容、そして予算。これらを必死に守ろうとする姿勢が、周囲からの信頼を積み上げます。
そして、もし約束を破ってしまったら素直に謝ること。逆に助けてもらったら心から「ありがとう」と言うこと。これは社内でも社外でも同じです。こういった「凡事徹底」ができる人間こそが、最終的に大きな成功を掴むと信じています。信頼関係は、結局のところ、こうした小さな積み重ねの先にしかないんです。
「真っ暗な道を照らす」のがリーダーの役割
――部下のモチベーションを下げずに、「火をつける」ために意識していることは何でしょうか?
意識しているのは「ゴールまでの道を照らしてあげること」です。
人間は、街灯もない真っ暗な道を「とにかく走れ」と言われても、怖くて足がすくんでしまいます。どこまで走ればいいのか、この道であっているのかもわからないからです。
だから私は、まず一緒にゴールを確認し、そこに至るまでのルートを具体的に示します。そして、「ここまで来たね」「次はもう少しペースを上げようか」と、隣で一緒に伴走してあげる。道が照らされていれば、不安は希望に変わり、一歩を踏み出す勇気が湧いてくるんです。
現場面接官として見ている「本質」
「失敗をさらけ出せる」人間に可能性を感じる
――面接官として、経歴やスキルが完璧でなくても「この人は化ける」と感じるポイントはどこにありますか?
自分を大きく見せようとする人よりも、自分の「失敗」を素直にさらけ出せる人ですね。
面接はどうしても自分を良く見せようとして、成功体験ばかりを語りがちです。でも、私はあえて失敗談を聞くようにしています。
そこで格好つけたりせず、「こんな失敗をしてしまったんですが、そこからこう学びました」と明るく話せる人は、営業としても強いなと感じます。失敗を隠さず、そこから立ち上がれる力こそが、この変化の激しい業界で生き残るための最大の武器になるんです。
――これから入ってくる仲間に、マイクロアドでの仕事を通じてどんな景色を見てほしいですか?
この業界は変化が激しく、今日やっていることが5年後には無価値になるかもしれない。
だからこそ、現状に留まらず、未知の世界へ踏み出す「ワクワクと不安が混ざったドキドキ感」を一緒に味わいたい。
データという手段を通じて、クライアントのビジネスが拡大していく景色を、最前線で見てほしいですね。
燻っている20代へ贈る言葉
――かつての自分のように、挫折したり、自分の立ち位置に悩んでいる20代へ、今伝えたい言葉をお願いします。
私がずっと大切にしている指標は、「迷ったら、GO」です。
「やらない後悔」よりも「やって後悔」するほうが、人間としての厚みが増します。特に20代は、いくらでも失敗が許される時期です。守りに入るにはまだ早い。
変化すること、新しい世界に飛び込むことは、誰だって怖いです。でも、その怖さの先にしか、自分も知らなかった自分の可能性はありません。
もし今、何かに燻っているなら、まずは一歩を踏み出してみてください。その一歩が、人生を大きく変えるきっかけになります。マイクロアドは、そんな挑戦を全力で面白がり、支える会社でありたいと思っています。
【編集後記】
本村さんのインタビューを通じて感じたのは、圧倒的な「人間力」です。柔道で培われたタフさだけでなく、北京での挫折が彼を謙虚にし、他者への深い敬意へと変えていったことが伝わってきます。副本部長という立場になっても「対話」を最優先し、部下と同じ目線で走るその姿勢は、今の時代にこそ求められるリーダー像そのものです。失敗を恐れず、変化を面白がる本村さんの「迷ったら、GO」という生き様は、自分の立ち位置に悩む若者たちが次の一歩を踏み出すための、最も純粋で力強いエールだと思いました。
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