1
/
5

ニュートン・コンサルティング創業ストーリー(前編)

皆さん、こんにちは。ニュートン・コンサルティング 代表取締役社長の副島です。
リスクマネジメントコンサルティングを行う当社は、この11月で創業12周年を迎えます。
現在では多くのお客様にご支持いただいておりますが、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
今回は、当社の創業当時を振り返ってみたいと思います。
まずは、「私がニュートン・コンサルティングを日本で創業するまで」をお話します。

一番になりたかった会社員時代

               【新入社員時代、研修施設にて同期と】

もともと「自分で会社をやってみたい」という想いを子どもの頃から持っていました。伯父が地元・久留米で鋳物製造会社を経営していて、その姿を見て育ったからでしょうか。
しかし、上京して大学を卒業した後は、会社員として就職する道を選びました。まずは社内競争が厳しい大手企業で一番になって、辞めてから自分で勝負したいと思ったのです。就職したのはIBM。「社長に直接会える営業がしたい」と思い、面接で「23区の中堅企業を回る営業になりたい」と話したところ、希望通り配属されました。

配属後は、新人にも億単位のノルマが課せられる世界でした。毎日数字を追いかけ、どうにか少しでも人より多く成果を上げたくて必死でした。とにかく一番になりたいからです。「人の倍の生産性で倍の時間働けば4倍の成果になる」という想いでやっていっていました。
当時のIBMでは、年間3憶円売れば一人前、10憶円売ればスーパーセールスと呼ばれていました。スーパーセールスを超えたいと奮闘し、年間15憶円の売上を達成することができました。

自分の力で勝負したくてイギリスへ

            【イギリス時代、息抜きに息子とマラソン大会に出場】

15憶円という大きな売り上げを達成することができましたが、30歳を目前にして「IBMという看板で売るのではなく、自分の力で勝負したい」という想いが強くなってきました。ちょうどその頃、「イギリスで会社を立ち上げるから一緒にやらないか」とお誘いをいただき、「これだ!」と直感しました。IBMを辞めて渡英し、新会社の創業メンバーに加わりました。後にこの会社の社長を任されることになります。現地の日系企業を対象としたITソリューション企業でした。

イギリスでは様々な国籍の社員たちと働くことになり、戸惑いの連続。何事も計画を立ててきっちりこなしていく日本の感覚が海外では通用しないことを痛感しました。日本人は計画を非常に大切にしますが、現地では「起きたことに対応するしかない」という考え方が強いのです。

が、リスクマネジメントに関しては、この「起きたことに対応する」という態度が強みを発揮します。それを実感したのが、2005年にロンドンで起きた同時多発テロでした。日本人は「避難するかしないか」で議論になり、果ては「日本の本社に伺いを立てよう」となって、どんどん意思決定が遅れてしまいました。現地の人はそんなことはせず、危険を感じたらまず逃げます。
また、被害に遭ったオフィスが使えなければ代替オフィスを用意しなければなりませんが、日本人はここでも計画や根回しをきちんとやろうとするため、条件の良いオフィスは現地企業に真っ先に押さえられてしまい、そうこうするうちに賃料も高騰するという残念な事態に……。

こうした気質の違いは、よく農耕民族と狩猟民族に例えられます。種まきや収穫のための計画・準備が重要になる農耕民族と、その時その時で獲物を追いかける狩猟民族。そもそも考え方が違いますよね。農耕民族である日本人にとって、計画が通用しないリスクマネジメントは苦手分野であり、だからこそきちんとやっていかなければならないと強く感じました。(後編へ続く)

ニュートン・コンサルティング株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
1 いいね!
1 いいね!
今週のランキング