2026年4月1日、広島県三原市の佐木島にて開業を迎えた「NOT A HOTEL SETOUCHI」。世界的建築家・ビャルケ・インゲルス率いるBIGが手がけた独創的な建築デザインを、地続きのシームレスな宿泊体験へと落とし込むために、水面下で試行錯誤を繰り返したチームがある。
それが、設備設計(機械・電気・配管)チームと、スマートホームチームだ。一見すると、前者は目に見えない建物の「骨組みや血管」をつくるハードウェアのプロであり、後者は快適な空間の挙動をコントロールする「脳や神経」を司るソフトウェアのプロ。本来ならまったく異なる領域を走る二つのチームが、ここでは一つの体験のためにシームレスに融合している。
一般的な建築プロジェクトにおいて、両者が時に縦割りの組織構造のなかで相反する存在になりがちである。しかし、ここでの関係性は、驚くほどポジティブで越境的だ。
お互いを「まぶだち」と呼び合う二人の各リーダーが、挑戦の連続だったSETOUCHIの舞台裏を振り返りながら、NOT A HOTELだからこそ実現できたものづくりの本質、そして「すべての施工プロセスを内製化していく」という未来の野望を語った。
開業のその先を見据えるもの
━━━ SETOUCHIが4月1日、無事に開業を迎えました。引き渡しからまもなく二ヶ月が経過しましたが、今の率直な心境はいかがですか。
杉山:まずは無事に形になり、ホッとしています。ありがたいことに、さまざまなメディアやSNSを通じて現地の様子が発信され、その反響の大きさに嬉しさと驚きが入り混じった気持ちですね。今回のプロジェクトは、自治体や施主、設計、施工、そして地域の方々が「ワンチーム」となって協力してくださったからこそ実現できたものなので、その分だけ嬉しいです。
世界的建築家ビャルケ・インゲルスとの協業によって実現した「NOT A HOTEL SETOUCHI」
杉山:ただ、設備や施設管理の観点で言えば、本当の勝負はこれから。春先の比較的安定した気候のなかで開業を迎えましたが、今後は夏期や冬期の厳しい負荷変動が待ち受けています。それらに対して、いかに設備を最適にコントロールしていくか。リアルタイムに状況をウォッチしながら、真の意味で「完成」と言える状態を維持し、ゲストからのフィードバックを基にさらなるアップグレードを重ねていきたいですね。
━━━ 開業セレモニー当日は、どんな気持ちで現地にいたのでしょう?
杉山:エモーショナルな気持ちになる余裕は、実はあまりなくて……正直なところ「あそこは、もっとよくなるな」とずっと考えていました。もちろんポジティブな意味です(笑)。セレモニーの日は、開業日まで残り数日というタイミングでしたし、ここまできたら最高な状態でゲストを迎えたいと自分たちを奮い立たせていました。
今井:最後の最後まで、みんなで掃除していましたからね(笑)。僕も杉山さんと同じで、今回のプロジェクトは本当に関わったあらゆる人の努力と血と汗と涙でできているなと強く感じています。
今回のプロジェクトでは、スマートホームの領域を社内で設計し、インテグレーションまで行う「内製化」に本格的に踏み切ったのですが、だからこそ現場のリアルな忙しさやカオスを体感することができました。職人さんやデザイナー、設計士の方々がベストを尽くしている姿を見られたのは、自分のキャリアのなかでも貴重な経験でした。
━━━ 内製化に踏み切ったことで、これまでの拠点との違いは感じられましたか。
今井:一番驚いているのは、開業してから今日に至るまで、スマートホームに関する大きな不具合が驚くほど起きていないことです。これまでは外部のパートナー企業にご協力いただきながら進めていた部分もあり、システム同士の境界線(インタフェース)でどうしても調整が難しく、初期トラブルの原因になることがありました。そこを今回は、自分たちで一から見直して地続きに構築できたので、コントロールが非常に効いています。
杉山:比較的トラブルの発生頻度が高い外構照明も、現時点でエラーが出ていないのは本当にすごいことだと思います。現場を預かる身としては、この安定駆動は驚異的ですらありますね。
今井:そうですよね。何より、現地でゲストが感動してくださっている声を直接聞くことができるので、これまでにない規模感の挑戦でしたが、本当に感慨深いものがありますよね。
今井 晨介:Smart Home Engineer。京都大学大学院卒。クックパッドに入社後、Cookpad Store TV、クックパッドマートの立ち上げと開発に従事。Cookpad Ltdにてグローバルクックパッドを開発。2023年9月よりNOT A HOTEL参画。主にスマートホームの開発に従事している。
意匠の限界を攻める、インフラの裏側
━━━ 社内では「さらにステージが上がったプロジェクト」とも言われるSETOUCHIですが、改てどのような意義のあるプロジェクトだったのでしょう。
杉山:まず一言で言えば、圧倒的にスケールが大きい。それでいて「可能な限り室内空間を広く、遮るものをなくす」というBIGの描く意匠が前提としてあるため、設備をどこに隠し、どのように配線経路を確保するかという難易度が極めて高かった。
敷地自体は広大ですが、建物そのものは実は非常にコンパクトでシャープにつくられています。そのため、お部屋を広く見せる工夫の裏側では、ダクトや配管がミリ単位の緻密さで、驚くほどの高密度に張り巡らさなければなりません。
加えて、SETOUCHIが位置する佐木島は、周囲のさまざまな角度から建物が見下ろされる構造をしています。そのため、通常の建築のように屋上に設備機器を露出させることが許されません。設備をいかに建築と一体化させて完全に隠し切るか。この点にチームの総力を注ぎ込みました。
━━━ 具体的には、どのようにその制約をクリアしたのですか。
杉山:最適解として建物の地下に「地下ピット(機械室)」を設け、そこにプールや風呂の制御設備をすべて集約しました。しかし、ただ隠すだけでは、メンテナンスのたびに狭い地下へ潜らなければならず、維持管理の動線に大きな支障が出てしまいます。通常の運営管理チームであればストップをかけるような設計ですが、これをクリアできたのが、スマートホームチームによる遠隔制御の力でした。
杉山 元:MEP Engineering Manager / Lifecycle Manager。県立大宮工業高校卒。森ビル株式会社にて大型複合施設の運営に従事。2023年6月、NOT A HOTEL参画。建築設備領域の設計、ディレクション、プロジェクトマネジメントなどを包括的に担当。FUKUOKA、KITAKARUIZAWA、ISHIGAKI EARTHの設備ディレクションを担当。電気主任技術者。建築物環境衛生管理技術者。
今井:地下ピットにわざわざ潜らなくても、地上のタブレットや遠隔地から、プールや風呂の温度・水質をすべて制御・監視できるシステムを構築したんです。スマートホームの技術によって「建築美を損なわずに収めること」と「持続可能な管理動線」が両立できた。チーム連携の隠れた名プレーだと思っています。
━━━ 初の「離島」での建設という点でも、インフラ面での苦労が多かったのでは?
杉山:佐木島は、幸いにも本土からの海底ケーブルによって電気と水道が敷設されており、ベースの供給網には一定の余力がありました。ガスに関してもプロパンではありますが、定期的な船便による補給体制が確立されています。
ただ、水道の流量が既存のままだと足りなくなることが分かったため、計画段階からプロジェクトマネジメントチームが主体となり、行政と密接に連携して何百メートルもの給水管延長工事をあらかじめ行いました。まさにインフラの土台づくりからチームで着手した形です。
今井:ネットワークに関しても、指定の事業者しか回線を引けないという離島特有の制約がありました。そこでインフラの安定性を担保するために、今回はスターリンク(Starlink)をバックアップ回線として管理棟に導入しています。何があっても通信が途切れない冗長性を、内製チームで迅速に構築できた意義は大きかったですね。
杉山:あのバックアップは、ネットワークの専門メンバーが危機感を持って動いてくれなければ実現できませんでした。本当に助かりました。
━━━ BIGとのコミュニケーションのなかで、もっとも印象に残っていることはありますか。
杉山:彼らは「設備をただ隠す」だけでなく、「必要なものなら、それ自体をさらに良くしてデザインに変えてしまおう」という思想を持っていました。象徴的だったのが、中庭に設けた空気の吸排気口です。
どうしても無機質なキャップが露出してしまうのですが、BIGはそれを『360』という数字のモールス信号の形状にデザインして、意匠の一部に昇華させてしまった。日本初導入となる太陽光パネルの選定も含めて、彼らの「Yes is More」の精神を肌で感じられたのは大きな学びでした。
杉山:また、設備的に最もシビアだったのは「ラムドアース(版築)」の壁ですね。土を突き固めてつくる特殊な壁なので、一度施工すると後から穴を開けたり配管・配線を通したりすることが絶対にできません。ひび割れの原因になってしまう。
そのため、どの位置にどのスイッチやコンセントが来て、どういう宿泊体験をつくるのかを、建築の初期の段階で完璧に決めきる必要がありました。壊してやり直すことができない一発勝負の緊張感は、SETOUCHIならではのハードルでしたね。
現地の土を層状に突き固めてつくる伝統的な土壁工法「ラムドアース」
なぜ「ハード」と「ソフト」は対立しないのか
━━━ 先ほどスマートホームの「内製化」という言葉がありましたが、社内でこの方針が決まった際、設備チームとしてはどのように受け止めたのでしょうか。
杉山:本音を言えば、めちゃくちゃ悔しかったです。「やれるんだったら、自分たちのチームでやりたかった」と。建築チームとしても将来的にはすべての設計や制御を内製化したいという目標を掲げていたので、それまでインターネット通信やアプリ、システム連動の部分を、自分たちの理解度の低さを理由に切り離してしまっていたことに、ある種の甘えがあったと猛烈に反省しましたね。
━━━ そこから、現在のスマートホームチームとの協業体制へとシフトしていったのですね。
杉山:実際に今井さんをはじめ、ソフトウェアやハードウェアの高度な専門性を持ったメンバーが続々と参画してくれて、役割分担の最適解が見えたことで霧が晴れました。
建築業界だと、「ここは塗装専門家」「ここは設備専門家」とかっちり縦割りになり、お互いの領域には踏み込まないのが一般的です。関係者が増えれば増えるほど、コミュニケーションは難しくなりますが、NOT A HOTELは全員が「体験の実現」という一つのゴールに向かって動いている。
今井:僕自身、ソフトウェアエンジニアのバックグラウンドですが、NOT A HOTELに入ってからはより良い意匠のスイッチを自分で探しに行ったり、インテリアにあったコンセントを選びに行ったりしています。
領域の壁をつくらず、全員がすべての要素を「自分ごと」として捉えているカルチャーが根底にあるからこそ、対立ではなく建設的な議論ができるのだと思っていて。
━━━ 開発のスピード感という点でも、内製化の恩恵はありましたか。
杉山:開発のスピード感という点では、圧倒的な差がありますね。例えば、竣工間際に自分たちで数日にわたり宿泊体験のチェックを行うのですが、その際に「夜間、この導線が少し暗くて危険だ」と気づくことがあります。
そこで照明器具を追加する場合、内製チームであれば、その場で設備チームが配線をシームレスに引き込んで器具を設置し、スマートホームチームが即座に制御の再設定を行います。
今井:もし外部のパートナー企業にご協力いただく場合、見積もりの取得やスケジュールの調整を経て、数週間後にようやく施工となるのが一般的です。
チェックインからチェックアウトまでの限られた時間内で改修を完了させるなど、到底不可能です。ゲストの体験価値に直結する要素を最短最速でブラッシュアップできる機動力は、両チームがワンプロダクトとして地続きで動いている内製化の最大の強みですね。
建築業界の常識を塗り替える
━━━ それぞれのチームは今後どのような挑戦を見据えているのでしょうか。
今井:スマートホームチームとしては、設計をさらにシンプルにし、安定性を高めながらコストを最適化していく余地がまだまだあると考えています。そのための研究を行う「ラボ」も社内に立ち上げました。
体験の面で言えば、SETOUCHIでようやく「100点」のベースラインができた状態。次は「200点」を目指したいですね。現状はまだ、部屋が暑ければスマホのアプリを開いて、エアコンの画面を選んで温度を下げる、という数ステップの「操作」が必要です。これを究極的には、人間がデバイスを意識して触る必要すらなくしたい。
例えば、滞在している人の体温や状態をセンサーが検知して自動で快適な空間をつくったり、中庭で賑やかに話しているときは気分が上がる音楽を、お部屋で落ち着いてお酒を飲んでいるときは静かな音楽を流すような「自動DJ」の仕組みなど。AIや新しいセンサー技術を掛け合わせて、入室した瞬間に「WOW」を感じる心地よさを追求していきたいですね。
約20名規模にまで成長したスマートホームチームには、スマートホームインテグレーターのほか、バックエンド、ネットワーク、プロダクトマネージャーなど多様な職種が在籍する
━━━ 最後に、それぞれのチームの展望を聞かせてください。
杉山:僕は、今回のSETOUCHIの現場でメンバーたちの底力を見て、ある確信を得ました。これまでは新たな拠点ができるたびに、僕自身が現地に張り付いてダクトを繋いだり電気工事をしたりと泥臭く動いていたのですが、今回は多忙を極めるなかで、現場のすべてをメンバーそれぞれのオーナーシップに委ねました。その結果、各メンバーが「超自律」の精神を体現し、高い熱量と責任感を持って現場を自走し、見事に仕上げてくれたんです。
サウナスペースを一つ建てるにしても、自社で外壁を塗装し、特注のサウナヒーターを開発しました。サウナはある種「小さな建築」です。これが自前でできるのであれば、あとはそのスケールを大きくしていく。将来的には「建物の施工そのものをすべて内製化する」という未来が、完全に視野に入っています。自分たちで建物を一から建てられる組織へと進化したいですね。
━━━ 施工や工事まで自社化するとなると、働き方も多様化していきそうですね。
杉山:建築業界はハードな働き方が当たり前とされてしまっている側面がまだ多くありますが、僕はその常識をNOT A HOTELから変えていきたいと思っていて。
BIGの言葉に「ヘドニスティック・サステナビリティ(快楽主義的持続可能性)」という思想があります。ただ我慢して省エネするのではなく、人間の体験価値を上げながら持続可能な未来をつくるという考え方ですが、これはプロダクトだけでなく、働き方にもまったく同じことが言えると思っています。建築の本質的な面白さを、持続可能なクリエイティブな環境で追求し、関わる人が正当に評価される世界をつくりたい。
NOT A HOTELに入れば、ものづくりに対する考え方も、働き方もガラッと変わるはずです。
今井:いいこと言うね(笑)。スマートホームチームもまったく同じ気持ちです。僕たちのチームには、現場で実際に手触り感のあるものづくりが好きなメンバーが集まっています。机上の空論ではなく、現場の挑戦を楽しみながら、毎日が「文化祭前夜」のような熱量で開発をしている。そのくらい楽しい環境なので、少しでもワクワクした方はぜひ飛び込んできてほしいですね。