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【Playce卒業生インタビュー】~プロとして、さらなる高みを目指せる場。Playceで培ったスキルを武器に大きく飛躍~

Playceでは、広告宣伝物、出版物、Webサイトといった幅広いメディアのコンテンツ制作を通して、編集・ライターとしてのスキルを存分に発揮することができます。中には、Playceでキャリアを重ね、フリーランスとして独立した先輩も。第二新卒として入社し、現在はフリーの編集・ライターとして活躍する松山響さんに、Playceで学んだものづくりの哲学、クリエイティブスキルについてお話を伺いました。

<プロフィール>

名前:松山 響さん

入社年:2011年入社(2018年退職)

趣味:読書

好物:お酒

人を動かす文章を書きたい

大学時代は日本文学を専攻しており、いずれは研究者になるつもりでした。そこで、卒業後は大学院の学費を稼ぐため、Webサイトの記事を書くアルバイトを始めることに。当時執筆していたのは、食品のサンプルをいただいてレビューする記事。もともと文章を書くことが好きでしたし、私が書いた記事がどれくらい読まれたか、アクセス数が伸びていくのを見るたびに大きなやりがいを感じました。しかも、私の記事を読んだ人のうち、何人が実際に商品を購入したかもわかるんです。自分が書いた記事が人を動かしたという事実が衝撃的で、たちまちライティングにのめり込んでいきました。こうして書くことの楽しさに目覚めた私は、大学院進学を取りやめ、ライターを目指すことにしたのです。そこで就職先として編集プロダクションを探していたところ、目に留まったのがPlayceでした。

Playceは、Webサイトや書籍、広報冊子など幅広いメディアを手掛けており、たくさん書いてたくさん学びたかった私にとっては理想的な環境でした。また、面接で秋山社長と話し、言葉に誠実に向き合う姿勢にも深く共感。「ここでなら、きっと大きく成長できる」と確信し、入社を決めました。

実務だけでなく、編集哲学までレクチャー

当時のPlayceは、社員数10名弱。入社時は唯一の男性社員でしたが、まったく違和感なく馴染むことができました。先輩社員はもともとフリーランスで活躍していた方が多く、一人ひとりがプロフェッショナル。性別などは関係なくプロとして接してくださり、第二新卒でほとんど経験がなかった私にも取材やライティングの基礎をていねいに教えてくれました。

とはいえ、けして甘いだけの環境ではありません。先輩方にサポートしてもらいながら、さまざまなチャレンジをさせていただき、時には初めての仕事に苦戦したり失敗を重ねたりしたことも。今フリーランスとして活動できているのは、この時に一生懸命もがいた経験が私の礎になっているからでしょう。確かに厳しいと言えば厳しいかもしれませんが、その分、成長できるチャンスが多い環境だと思います。

中でも、特に印象に残っている仕事がふたつあります。ひとつは、大学の入学案内パンフレットです。入社2年目でディレクターを任され、先輩社員に助けられながらパンフレット数冊、合計1,000ページ以上を制作しました。編集から関わる案件は初めてだったため、手順や専門用語を一から教えていただきつつ、クライアントや外部の制作プロデューサーと企画を議論し、取材、ライティング、編集などトータルで携わらせていただきました。

その際、先輩社員から教わったのが「編集は多面体」という考え方です。同じ企画でも、角度をずらせばまったく違うものに見える。ある人にとっては四角く見えるものが、別の人からはまったく違う形に見える。だからこそ、ひとつの視点に凝り固まらず、さまざまな角度から物事を見たうえで編集を考えようというお話でした。実を言えば、当時の私には理解できませんでしたが、最近になってようやく腑に落ちました。経験の浅い自分にも妥協せずに本気で向き合い、実務的なノウハウにとどまらず、ものづくりの理念まで教えてくださったことは本当にありがたく思っています。Playceで学んだ編集哲学は、今も私の中にしっかり息づいています。

もうひとつ、印象に残っている案件が生協の広報誌です。小さなお子さんをお持ちの若い夫婦をターゲットに、週刊誌を作成する仕事でした。週刊なのでとにかくサイクルが早く、2冊同時に作りながら、その次の企画を動かし、翌月のアイデアも考えて……という企画と制作の100本ノック状態。途中からは編集部に出向し、100人近いメンバーと意思疎通を図りながら制作物を作り上げていきました。共同作業を行ううえで欠かせない、チームワーク、コミュニケーション能力も身についたのではないかと思います。

社歴を重ねてからは、制作だけでなくマネジメント業務も経験しました。Playceの経営会議に参加したり、スタッフ数名を統括する立場になったり、さまざまな役割を担ったことは大きな糧になりました。

多様性を重んじ、みんなが居心地よく働ける職場

今振り返ると、Playceは多様性をとても大事にしている社風だったと思います。秋山社長が出産を経験し、産休・育休を取得された時には、子どもがいる方もいない方も含めて支え合ってきました。他の社員も、それぞれのライフステージに合わせて多様な働き方をしています。また、私の後に入社された男性社員の方々も、みんなすぐに馴染んでのびのびと仕事をしています。その根底にあるのは、「性別やライフステージを問わず、みんなが幸せになれるように」という考え方。だからこそ、「男性だから」「女性だから」なんて関係なく、全員が居心地よく働ける場になっているのでしょう。こうしたしなやかさがPlayceの魅力であり、その多様性は今も広がり続けていると感じます。

現在、Playceは日本創発グループの一員となり、基盤の安定性もさらに高まりました。そのうえ、秋山社長をはじめとする先輩方が、長年にわたって築いてきたクライアントとの信頼関係も強固です。私が社員だった頃は当たり前のように受け止めていましたが、営業活動もしていないのに仕事がまったく途切れないのは、先輩方が築いた信頼関係があってこそ。退職後に入社したベンチャー企業で、クライアントと一から関係を築く難しさを知り、私は恵まれた環境で仕事をしていたんだなとあらためて気づきました。

長く仕事を続けるために、さらなるスキルアップを図れる

2018年に退職したあとは、企業のブランディングから事業戦略、クリエイティブまでを一気通貫で行うベンチャー企業勤務を経て、フリーランスの編集・ライターとして活動しています。主な仕事は、企業の広報に関するクリエイティブ。企業のWebサイトやオウンドメディアの編集・ライティング、広報活動の企画提案やサポートなどを中心に手掛けています。

広報に関する仕事でも、Playceで培った美しい文章へのこだわりは大切にしています。文章のプロフェッショナルとして、もっとわかりやすく伝えられないか。もっと適した言葉は見つからないか。とことん考え、こだわり抜いた表現を徹底的に学べたことは、私の財産です。フリーランスになった今、クライアントから評価していただくのも文章のクオリティです。先輩方の指導の積み重ねによって今の自分がいるので、Playceには感謝しかありません。今後も、Playceでの経験を活かしながら、広報に関する仕事を広げていきたいと考えています。

編集・ライターは免許制ではないため、極端な話、名乗ったその日から誰でもなれる職業です。しかも、昨今は副業でライターをする方も増えています。だからこそ、編集・ライターとして長く生き残るには、差別化が必要です。そのためのヒントが、Playceにはたくさんあります。文章のクオリティ、編集のきめ細かさ、チームワーク、クライアントとの関係の築き方、幅広い案件への対応力……。Playceで身につく力は、編集・ライターとして長く働き続けたい人にとって欠かせないものばかり。プロとしてもう一段階スキルアップしたい方にとって、申し分ない環境です。しかも、教育、医療、食、ITなど幅広いジャンルの案件があるので、仕事を通して自分の適性もわかるはず。最初から「自分はこれをやりたい」と方向性を定めすぎず、せっかくなら多様な案件に関わってみることをおすすめします。Playceには成長のチャンスがたくさん転がっているので、ぜひ自分だけの強みを伸ばしてください。

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