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努力をあきらめて「工夫」する、人生を楽しむ創造的逃げ技

大学との共同研究を担当するという立場でSEKAI舎に参画している、若新です。
「努力」と「達成」がめちゃくちゃ嫌いなボクが、自分の人生を生きることや働くことをどう考えてきたのか? そして、この会社の新しい事業にどんな可能性を見出しているのか? 過去を少々美化しつつ振り返りながら、カッコつけて書いてみました。

ラッキーなのか、才能なのか

代表の佐藤崇弘氏は大学時代の先輩で、大学在学中の2005年に障害者の就労支援事業をおこなう株式会社LITALICO(2017年東証一部上場、設立時社名イデアルキャリア)という会社を一緒につくって共同創業者として働きました。ボクがパートナーに選ばれた理由は「仲がよかったから」です。それで、2007年までCOOをやらせてもらっていたんですが、思春期をいつまでも引きずっていた自己愛性の強すぎるボクは、大きくなっていく会社の組織にぜんぜん適応できなくて、わずか1年7ヶ月で早々に取締役を辞めてしまいました。ちなみにその直後、当時のボクが知る限りもっともデキるやつだと確信していたイチオシの友達を、辞めたばかりの会社に紹介しました。すると、しばらくして佐藤氏の後をつぎ若くして社長になり、見事、会社を上場させました。

なにが言いたいかというと、組織に適応できずぜんぜん仕事ができないこんなボクも、有能な人間を見抜く力は抜群だったということです。結果的に。特に、自分にはない能力や才能をもった人には敏感でした。そのおかげで、一部上場企業の共同創業者という一生モノの立派な経歴をもらうことができたし、創業者利益も手にしました。言ってみればそれはすごい「ラッキー」なんですが、今となっては、それもボクの一つの才能なんだなと思っています。

努力をあきらめて「工夫」する

だけど、COOとして働いていたときは、ずいぶんと自分への無能感に凹んでいました。最初は2人だけで始めた会社も、いろんな人が大企業から転職してきたりすると、「若新さん、経営者ならこうあるべきですよ」「若くても役員らしい振る舞いや仕事のやり方を頑張って身につけることがアナタのためです」などといわれて、日々「◯◯であるべき」という規準や枠組みを迫られるようになりました。もちろん、努力してそれを達成する生き方も素晴らしいと思います。でもボクは、その「努力」と「達成」がとにかく嫌いでした。

ボクがひねくれているだけかもしれませんが、「努力」という言葉には、なんだか、他人や社会の期待や大多数の人がもつ価値基準にそって、ヘタや苦手を我慢して自分のことを矯正・適応させていくというネガティブな印象をもって生きてきました。だから、「努力する」ということはできるだけ回避したい、もしくは、上手に逃げたい問題でした。だけど、なんの頑張りもなしにやりがいのある仕事や報酬にありつけるわけはありません。そこでボクは、努力をあきらめて「工夫」をするということに徹しました。

そもそも、佐藤氏と一緒に会社をつくって起業家として生きることを選んだのも、ボクなりの人生の「工夫」だったのだと思います。そういえば、当時の就職人気企業と言えば、たとえばソニーでした。内定をもらっただけで講演会をひらく学生がいたほどです。ある財界の大御所が「ベンチャーが便所か知らんけど…」と言い放ったこともあったように、新興のベンチャー企業に就職するというのはなんだかんだ言って就活の負け組でした。自分で起業するなんていうのは、もっとヒドいものです。大学の就職課が、卒業後の就職先として受付すらしてくれなかったくらいです。そんな中でも、ボクは就活のナビに登録することもなく、自分たちで新しく会社や事業をつくることを楽しんでいました。思春期を引きずる自己愛性の強いボクが、大きな組織に入ったらどんな残念なことになるか、最初からすっかり分かっていたからです。だから、まわりからどんなに軽んじられても、自分なりのマイナーな選択に後悔はしませんでした。

達成よりも「発揮」を求めて

創業期の仕事は、めちゃくちゃでしたが、やっぱり楽しかった。毎日終電はあたりまえで、仕事をくれると聞けば夜行バスで日本中どこにでも行きました。事業内容が毎週アップデートされて、抽象的なサービスの概念やスキームを体系化して説明できるようにゴニョゴニョするのがボクの仕事のひとつでした。よく言えばクリエイティブ、わるく言えばハッタリです。だけど、あの頃はとにかく自分の個性や才能を発揮できているという実感に満ちあふれていて、それがすごい幸せでした(写真は2006年ごろ。細身のスーツを着て首から携帯をぶら下げ、まさに意識高い系を全身で体現)。


こういうことを言うのは偉そうでダサいんですが、ボクが人生の成功を考える上で大切にしているのは、自分がなにをどこまで「達成」したかではなく、自分というものをどれくらい「発揮」できたか、ということです。なにかを達成することは、社会的な成功を考える上でとてもわかりやすい指標です。そして、他人や社会の期待に応えて基準値を達成する努力ができれば、ある程度のところまでは勝ち進むことができます。受験勉強や偏差値はまさにそうだし、大企業への就職や仕事の成果なども「達成規準」なるものが常に自分の現在位置を教えてくれます。だけど、それが苦手な人にとってはただの生き地獄でしかありません。そもそもボクたちは、なにかを達成するために生まれてきたわけではありません。自分の才能をどんなことに使い、なにを目指そうと自由なはずです。一方で、自分の中のなにかを発揮するということは、とても自由で多様です。つまり、自分が主観的に「発揮できている」と感じたのなら、どんな方法でもOK、それで成功なのです。

逆に言えば、客観的に見た規準や目標を達成していても、自分が「発揮できている」と実感できなければ意味がないのです。他人や社会からの評価ではなく、自分自身の納得感が必要なのです。つまりそれは、用意された場所で努力することではなく、自分を活かすことができる(できそうな)場所を自分で探したり、見つけたり、つくりだすということです。そのためには、絶え間ない「工夫」が必要です。「努力」と「達成」が嫌いなボクは、そうやって常に自分の個性や才能が少しでもかたちになりやすい場所、開花しやすい場所、発揮されやすい場所を追い求めてきました。自分でつくった会社を辞めて、その後大学で研究活動をするようになったのも、そんな人生の工夫の一つだったと思います。

人生を創造的に楽しむための逃げ技

それを「逃げている」と言う人もたくさんいました。たしかに、世の中の規準やみんなが集中して戦ってる場所は避け続けたと思います。でも、ただサボりたかっただけではありません。自己愛性が強く自分が大好きなボクは、これならば、ここならば自分がやる意味や価値があると実感できる「じぶんの世界」をいつも求めていたんだと思います。そして、それを見つけたときにはとことん熱中して取り組みました。それが、なかなか評価や評判につながらないこともありました。そもそも、社会の規準よりも自分の納得を重視してるんですから仕方ないことです。でも、そんな「じぶんの世界」をつくる過程には、かならずいろんな学びがありました。そして、新しい出会いや発見がたくさんありました。その学び・出会い・発見が次々と連鎖していき、徐々に、自分を発揮できる喜びや納得感に満ちあふれた充実した時間や場所を自由につくることができるようになっていました。念のために言っておきますが、努力はしていません。これは、人生を創造的に楽しむための、ボクなりの逃げ技です。

言っていることがよく分からないかもしれませんが、つまりこれが、SEKAI舎の事業を通じてボクが世の中にひろめたいと思っている新しい学びのあり方、そして生き方です。そして、SEKAI舎が掲げている「じぶんの世界」なるものの断片だと思います。

「工夫」の方法は無限です。そして、正解はありません。だから、自分で納得し肯定することさえできれば、学んだことはすべて「じぶんの世界」に吸収され、実現されていきます。そして、自分の才能を知り、それが発揮される喜びを味わうことができると思います。くどいですが、それはなにかを達成する(できる)ということではありません。もちろん、人との比較や競争に勝つということでもありません。ただ、自分の人生を自由につくっている、その過程でいろいろ学んでいる、そしてそれを楽しんでいるというだけのことです。

でも、人生において、それ以上に贅沢なことってあるんでしょうか?

代表の佐藤からのメッセージです。こちらも是非ご覧ください。
みんなと同じである必要はない、違うからこそ“じぶんのSEKAI”を楽しめる
自分の人生で最も重要なことは

佐藤がSEKAI舎を立ち上げるに至った創業ストーリはこちら。
【前編】「もしも自分が小学生の時にSEKAI舎があったら」 僕の原体験から創業に至るまで
【後編】あなたは何のために勉強する?これまでの勉強と、これからの“じぶんのSEKAI“を作る勉強の違い

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