スパイスファクトリー株式会社は、2026年1月より執行役員 CDO(Chief Design Officer/最高デザイン責任者)に本村 章が就任したことを機に、デザインがもたらす価値と社会実装のあり方を探るイベント「Design Enablement Forum 2026 #1 公共・金融の信頼を支えるサービスデザイン」を開催しました。
本イベントでは、「デザインを構想で終わらせず、組織や社会に実装する力=Design Enablement(デザイン・イネーブルメント)」をテーマに、公共・金融という高い信頼性と複雑性を併せ持つ領域の専門家が登壇。学術・行政・民間それぞれの立場から議論を交わし、実践に根ざした知見が共有されました。本記事では、当日の様子を写真とともにレポートします。
■ イベント概要
- 日時:2026年2月5日(木)13:00〜19:00
- タイトル:Design Enablement Forum 2026 #1 公共・金融の信頼を支えるサービスデザイン
- 主催:スパイスファクトリー株式会社
- 後援:特定非営利活動法人金融IT協会
- 対象:行政、金融、DX、デザインに関心のある企業ご担当者様、メディア関係者様
本イベントは基調講演(Keynote)と、公共・行政・金融をテーマとした3つのセッションで構成され、多様な視点から「デザインをどう実装力につなげるか」を掘り下げました。
■ 基調講演(Keynote)
【デザイン・イネーブルメント 組織と社会の実装力を拡張する】
登壇:本村 章(スパイスファクトリー 執行役員 CDO)
今回の基調講演は、2025年1月にCDOに就任した本村章による、初の対外メッセージとなりました。
テーマは、本イベントの根幹にある「デザイン・イネーブルメント」について。本村CDOは、デザインを成果物や専門技術ではなく、より好ましい状態へ向かうための行為そのものとして再定義。「何を優先し、どのように選択するか」といった日常的な判断も含め、デザインはすでに多くの人が実践していると語りました。
また、不確実な時代に求められる姿勢として、問題と解決を行き来しながら理解を深めていく「共進化」の考え方を紹介。一度で正解を出すのではなく、問いを立て直しながら前に進むことが組織の実装力を高めていくと主張しました。
本村CDOは講演の中で、「生成AIが普及する時代において、デザインは一部の専門職だけのものではなく、誰もが思考・発想の力を扱える環境をつくる存在になる」と強調。
非デザイナーがデザインを実装できる状況をつくること、すなわち「デザイン・イネーブルメント」の重要性が共有され、基調講演として、続く各セッションのベースとなる考え方を提示する時間となりました。
■ Session 1
【公共領域におけるデザイン・イネーブルメントの実践】
登壇:八重樫 文 氏(立命館大学 経営学部 教授)/中山 郁英 氏(立命館大学 経営学部 准教授)
公共政策や行政サービスの多くは、関係者が多く、価値観も多様で、明確な正解が存在しません。本セッションでは、こうした公共領域において、なぜ今デザインが求められているのかが議論されました。
八重樫氏は、デザインを「態度」として捉え、合意形成だけに留まらず、変革をもたらす姿勢の重要性を語りました。
公共領域では、合意形成を重視するあまり、既存の前提や枠組みを疑うことが難しくなる場面が多くあります。その結果、新しい可能性が見えにくくなってしまう構造があると指摘しました。これに対してデザイン態度とは、問題の前提そのものを問い直し、未来に向けた新しい選択肢を構想していく姿勢です。
また、立命館大学で構想されている新学部・大学院設立の取り組みにも触れ、「実践と振り返りを往復しながら理解を深める学び」を通じて、社会変革を担う人材を育てていくビジョンが示されました。
中山氏は、公共領域における課題を「厄介な問題(従来の問題解決手法では対処できない社会課題)」として整理しました。
「厄介な問題」は、情報が不十分で、合意形成が難しく、解決しても別の問題が生じるという特徴を持っています。
こうした状況において、デザインは解決策を一方的に提示するものではなく、「何が問題なのか」「どう捉えるべきか」を再定義する行為として機能すると説明。
デザインは、対立や不確実性がある中でも、前に進むための足場をつくる役割を担う。それが公共領域におけるデザイン・イネーブルメントの核心であるとまとめました。
このセッションを通じて、公共の場でもデザインは前提を整理し、次の一歩をつくるための力として機能することが示されました。
■ Session 2
【行政×DX】
登壇:酒井 剛士 氏 (熱海市観光地域づくり法人「熱海観光局」 企画・開発担当/CCO)/吉田 理穂 氏(ArtFanders株式会社 CEO)
行政と民間の協働におけるデザイン活用の実践がテーマとなった本セッション。酒井氏はまず、観光地域づくり法人(DMO)の重要性を説明。DMOは、観光データの分析や戦略立案、観光コンテンツの造成、受け入れ環境の整備などを通じて、観光客数や消費額の最大化を担う、“観光地域づくりの司令塔”のような組織を指します。観光客の増加が地域住民の負担にならないよう、観光と生活のバランスを取ることも重要な役割だと語られ、その上で、レスポンシブル・ツーリズムやサステナブル・ツーリズムの考え方が、今後ますます重要になると指摘しました。
加えて、人材不足や評価プロセスの欠如など、観光DXが抱える構造的な課題を共有。その上で酒井氏は、DXと観光の両方を理解し、地域住民と信頼関係を築きながら実装を進められるハイブリッド人材の重要性を強調しました。
続いて吉田氏は、街やコミュニティが持つ“揺らぎ”と、行政の安定性という制度設計の間にこそ、テクノロジーが介在できる余地があると主張。吉田氏は、街や観光地を天候や人の流れ、新しい活動などによって常に揺らぐ存在として捉え、一方で行政は、制度やルールによって安定を保つと定義。この「揺らぎ」と「安定」の間にこそ、テクノロジーが介在できる余地があると指摘しました。
特にAIエージェントについて、単なるツールではなく、揺らぎを受け止め、対話的に提示するメディアとして活用することで、主観的な情報やローカルな知見を活かせる可能性が語られました。
このセッションは、行政×DXの現場におけるデザインのあり方を再考する契機となりました。
セッション2と3の合間には、スパイスファクトリー社員や登壇者が参加者と同じ輪に入り、気づきを共有するシェアリングワークショップを開催。
それぞれの気づきがポストイットで可視化され、参加者同士の対話を通じて学びが深まっていきました。
■ Session 3
【金融におけるUXと信頼】
登壇:岡田 拓郎 氏(金融データ活用推進協会代表・金融IT協会副理事長・CrossTrustHD代表取締役)/服部 省治 氏(スパイスファクトリー 取締役 CTO)
金融領域は、高い信頼・強い規制・失敗が許されない前提を持つため、UXとデザインの課題が特有の構造を持ちます。本セッションでは、そうした前提のもとでUX設計がなぜ難しいのかが整理されました。
金融は社会インフラであり、強い規制や監督のもとで成り立っています。そのためUXの改善は、表層的なUIの問題ではなく、規制やリスクを前提とした設計が求められます。金融の裏側を深く知る登壇者のお二人からは、UX改善の裏側には多くの制約が存在する現実が語られました。
その中で岡田氏は、金融機関内部で起こりがちな問題として、「変えてはいけない領域」(基幹領域)と、「変えるべき領域」(改善を重ねるべきフロント領域)が同じ基準で扱われてしまう構造を指摘。本来は改善可能な領域でも、過剰なリスク回避や前例主義によって、UX向上の機会が失われているケースが多いといいます。
その上で、金融組織においてデザインが果たすべき役割について言及。法務、コンプライアンス、IT、事業部門など、異なる専門性を持つ組織の間では、意図や背景が正しく伝わらないまま意思決定が進むことがあります。岡田氏は、その間をつなぎ、問題を翻訳し、合意形成を支える役割として、広義のデザインの重要性を語りました。
セッション後半では、AIが金融UXにもたらす可能性が議論されました。チェックリストや規制対応、設計書レビューなどをAIが担うことで、人は本来向き合うべき判断や価値設計に集中できる。AIは、人を変えるのではなく、人が働く環境そのものを変える存在になり得るという視点が共有されました。
服部からは、AIを要望・要件・設計・実装をつなぐツールとして活用する可能性も示されました。
両登壇者は、「異なる部署・領域間のコミュニケーションをつなぐ“翻訳者”」としてデザインの役割を強調し、AIを活用することで、過度なリスク回避によって生じてきた制約を解きほぐす可能性についても言及しました。
当社代表の高木も参加し、登壇者へ質問する場面も。双方向の対話が生まれる光景は、「デザインを構想で終わらせず、実装へとつなげていく」という本イベントのメッセージを象徴するものでした。
■ まとめ
本イベントを通じて共通して浮かび上がったのは、デザインが単なる表現やプロセスではなく、組織や領域を横断して実装力を引き出す枠組みとして機能するという視点です。
公共・行政・金融という異なる文脈においても、問いを更新し続ける姿勢、問いと解を往復する実装の循環、そしてデザインを制度や人とつなぐ役割として位置づける見方が共有されました。
デザイン・イネーブルメントは、これからの不確実な時代において、実装力を拡張するための重要なキーワードです。本フォーラムでは、その可能性と実践知が、公共・行政・金融という異なる領域から共有される場となりました。