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「文系だからこそエンジニア!」テラドローンのエンジニアチームを牽引する男にインタビュー(前編)

今回は文系出身ながらプログラミングを勉強してエンジニアになり、「Terra Mapper」、「Terra UTM」に開発当初から携わる塩塚にインタビューしました!

これまでのキャリアについて教えてください!

中央大学法学部を卒業後に新卒でIT企業に就職し、SE(システムエンジニア)として業務アプリケーション開発に従事していました。その後転職先のIT企業で出会ったテラドローンに転職することになりました。

文系出身でありながらエンジニアになられたのですね!文系からエンジニアになる人は多くないと思いますが、エンジニアになりたいと思ったきっかけは何ですか?

元々、国際協力をしたいという想いを持っており、理不尽な社会構造にメス入れをしたり社会的弱者を救うためにはどうアプローチするのがいいかという問いに対する一つの解として、大学では国際法や国際政治学を専攻し現状の社会の仕組みをまずは理解することとしました。国連大学に赴き当時JICAの理事長に就任されていた緒方貞子氏の講演を聞いて、悲惨な難民問題についてより強く意識するようになりました。その影響から、在学中にはインドネシアで孤児院ボランティアのプログラムに参加したり、米国留学中にもいくつかのボランティア活動に携わっていました。

しかし、いざ現地でボランティア活動をした際に、目の前の人を一時的に救ったとしても根本的な解決には至っていない、そのような貧富の差を生み出す社会構造を変えなければ同じ境遇の数多の人々を救うことはできないという現実を目の当たりにし、自分のあまりの無力さに打ちひしがれていました。

そんな中、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観る機会があり、技術力さえあれば自分の発想をいとも簡単に実現してしまうことができる事実に衝撃を受け、それまで文系として弁護士を目指そうとしていた今後の自分のキャリアに対する考え方が180度変わることとなりました。

そこからは独学でプログラミングを学び、ハッカソンイベントやスタートアップ企業にジョインしてコードを書いたりする場に飛び込み、どうしたら自分のアイデアを実現し、より多くの人に影響を与えることができるかを考えながら動いていました。今まで文系として既存の文書やデータなどを解釈することしかしてこず、何か新しいものをゼロイチで生み出すことをしてこなかった自分にコンプレックスを抱いていた分、その遅れを取り戻そうと躍起になって貪欲に学ぶことができたのだと思っています。

なるほど、「文系なのに」ではなく「文系だからこそ」という考え方なんですね!テラに入る前はどのようなことをされていたのですか?

新卒で入社した会社では、Webアプリケーション開発の上流から下流まで一気通貫して経験させて頂き、システム開発の何たるかを体感することができました。しかしその中でも大企業の社内政治や"大人の事情"と呼ばれるものによって、クライアントが本当に求めているものを満足に開発できないというフラストレーションを溜め込んでおり、理不尽な社会構造の一角を垣間見た気がしていました。

そんな中、新卒2年目の暮れに社内でソフトウェア開発拠点の海外進出の話が持ち上がり、当時の腐敗した開発現場の在り方に辟易していた私は、ミャンマーに会社として初の海外支社を設立する大役を買って出ました。当時は、自分の力で理想のシステム開発の在り方を再構築し、旧態依然とした日本の開発現場に対して正しい開発者としての姿勢を示したいという一心で行動していました。


(本人:写真左)

私一人現地に送り込まれた状況で、もちろん純粋な開発業務だけをやっていればいいはずはなく、不動産交渉や法人登記、現地人プログラマーの採用と教育、会社運営のための法務・財務管理と営業・売上管理などをとにかく手探りでやっていました。ほぼ会社に住み込みの状態で睡眠もままならない中3年間働き詰めの生活を送っていました。ビジネスで使うミャンマー語の読み書き・話し聞きもその時に身に付けました。

インドネシア、アメリカ、ミャンマーと、豊富な海外経験をお持ちなんですね!それほど海外志向でありながら、なぜ日本に戻ってこられたのですか?

日本に戻った最大の理由は、元々私が抱えていた「正しい開発者としての姿勢を日本人に示す」という目標を達成するために、当時の自分の技術力があまりにも未熟だったためです。ミャンマー現地では自分が教育しなければそもそも開発業務がままならない状況であったため、日進月歩で進化する技術や開発手法への素早いキャッチアップと技術選定を行う中で、自分の中の技術選定の基準があまりにも曖昧で、このままでは開発メンバーを正しい方向に導くことができないと痛感していました。そういった状況で人に教える経験から学べることも多くあったのですが、自分が教育に専念している間に自分の同期たちは日本で優秀なエンジニアに師事して技術力を磨き、実績や評価を積み上げていることに焦りを抱いておりました。

しかし中途半端な状態で自分の業務を投げ出すことだけは避けたかったため、自分の給与を止めてでも社員に支払う給与をどうにか捻出し、会社の経営を安定化することに全力を注ぎました。結果的に日本のお客様からの継続的な受注を取り付けることに成功し、50名弱のメンバーを抱えながら財務面でも黒字化させることができました。

ある時、現地法人で受託していたシステム開発で大炎上させてしまった案件があり、結果的に納期を3度遅延させてしまい、肉体的にも精神的にもボロボロの状態で納品をしたことがありました。しかしその時に諦めずに最後まで粘って粘って何とか納品という形に持っていったことで信頼関係ができ、当時の日本のお客様にお誘いを頂き、日本帰国後にそのIT企業にジョインさせて頂くこととなりました。

とても献身的に働いていらっしゃったのですね。そこからどのようにしてテラとの出会ったのでしょう?

ミャンマー現地でちょうど奮闘していた時期に、たまたま弊社代表徳重の著書『世界へ挑め!いま、日本人が海外で戦うために必要な40の発想』を読む機会があり、日本人の中にも凄まじい情熱を持って世界へ挑戦している方がいるのだと触発され、自分も彼のように情熱の火を絶やさず自分の目標を達成しようと考えていました。

日本帰国後にジョインしたIT企業で、これまた偶然なのですがドローンの運航管理システムの開発案件に携わる機会があり、その開発元の会社というのが当時設立したばかりのテラドローン社だったのです。ドローンのソフトウェア開発に従事していた流れから、結果的にはテラドローンに入社することになりました。

次回後編は、これまで2社勤めた後テラに転職した彼が抱く、テラドローンのエンジニアチームのイメージ・印象、テラで働く魅力を語ってもらいます!

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