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場という壁を超えてきた、インターネットの過去と未来 | DevLounge.jp Session A-4レポート

エンジニアリング界をリードする著名人が「いま話を聞きたい」開発者を直接指名し、日頃なかなか聞けない開発トピックについて語り尽くすオンライントークセッション「DevLounge.jp」。

Session A-4のモデレーターは、ユニークな個人向けインターネットサービスを提供していることで知られる、GMOペパボ株式会社でCTOを務める「あんちぽ」こと栗林健太郎氏。そしてゲストは、力武健次氏です。力武氏は8歳でコンピュータをさわり始め、中学生の頃にはマイコンに夢中になり、後にインターネットの研究開発にも尽力。現在はプロフェッショナルインターネットエンジニアの肩書きを掲げ、コンピュータやインターネットを使ったビジネス全般を支援するコンサルタント業務に携わっています。

そんな力武氏のキャリアの話題とともに、インターネットを中心にデジタル技術に関する20~30年の歴史を振り返るスタイルで始まったセッション。その一部をダイジェストでお送りします。

あんちぽ(栗林 健太郎)

2008年にソフトウェアエンジニアとして株式会社はてなに入社。2012年にpaperboy&co.(現GMOペパボ株式会社)に移り、2014年に技術責任者、2015年に技術部長、執行役員CTOを歴任する。2016年に研究開発組織ペパボ研究所所長に就任し、2017年から取締役CTOを務める。2020年からは、北陸先端科学技術大学院大学に通う社会人大学院生でもある。

力武 健次

1988年に東京大学工学部計数工学科計測工学コースを卒業し、1990年に東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修士課程を修了。2005年に大阪大学大学院情報科学研究科マルチメディア専攻博士後期課程を修了した。大阪大学博士(情報科学)と技術士(情報工学部門)の資格を持つ。1992年よりインターネットの運用技術の研究開発に携わる。日本DEC、情報技術開発、KDDI研究所(現KDDI総合研究所)、情報通信研究機構に勤務の後、2010~2013年まで京都大学情報環境機構教授を務めた。その後2014年に力武健次技術士事務所を設立して所長となる。2017年よりGMOペパボ株式会社のペパボ研究所客員研究員に就任。

Windows95の登場とコンピュータ好きの若者たち

あんちぽ:まず確認しておきますと、1995年にWindows95が登場して、Webが発明されたのは1989年なのでその6年前ですが、少なくとも日本において一般の人々がインターネットを意識し始めたのは95年です。なので、それより前をWeb以前、後をWeb以降という分け方ができると思います。

僕自身は95年頃に大学に入ったのですが、力武先生は1965年生まれで僕より11歳年長ですよね。95年が境目という捉え方の妥当性については、いかがお考えでしょうか。

力武:妥当だと思います。その少し前の93年にはモザイク(Mosaic)というブラウザが出ています。しかし、95年にいきなりWindows95が登場したことでみなさん「これはなに? 面白い!」と感じてそこから変わった。そういう認識を私も持っています。絵だけでなく、4、5年あとには音声などさまざまなメディアがブラウザで楽しめるようになった始まりが95年でした。それまでのインターネットは、オンラインでつながる楽しみはあっても、「じゃあそれでなにをするの?」ということに対しては回答を示せていなかったんです。マイクロソフトによるWindows95の普及がそれを変えました。

あんちぽ:では、Web以前のことをお聞きしたいのですが、力武先生ご自身はどのようにコンピュータと関わっていらっしゃったんでしょうか?

力武:私がコンピュータを初めてさわったのは8歳のときで、1973年です。その後1974年に9歳で渡米して1年3ヶ月後の1975年に帰国しましたが、当時アメリカではすでに自宅にコンピュータを置いている大学の先生方がいたんですよ。ミニコンピュータという、ミニと言ってもかなり大きなコンピュータがありました。アメリカの家庭には大きな地下室があるので、多少大きくてうるさくてもそういう機械が置けたんです。それをさわらせてもらっていた経験がすごく大きくて、コンピュータは面白いし楽しい、自分でも持ちたいと思うようになりました。

その後、1970年代後期にはマイコンブームがやってきます。日本でもNECさんが「TK-80(1976年発売)」を出して、私も日本に戻るとそれらの機械に飛びつきました。「Apple Ⅱ」の発表が1977年、翌年の1978年には日本でもApple Ⅱをさわれる場所がいくつかあったんです。

そのひとつが池袋の西武百貨店のマイコンコーナーで、いろいろな人が来ていました。未来の私の上司であり、あんちぽさんの指導教官でもある篠田陽一さん、スーパーコンピューター「TSUBAME」の研究開発で知られる松岡聡さん、そして任天堂の元代表取締役社長の岩田聡さん。そういった方たちにいろいろお世話になりながら、マイコンをさわっていたんです。

あんちぽ:西武百貨店10階になにやらパソコンをいじっている人たちがいた、というのは、日本マイクロソフト初代社長の古川享さんが『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』という本で少しだけ触れています。それは実際、どんな感じで集まったんですか。そもそもそこにApple Ⅱがあるという情報をどこで知ったのか、集まってなにをしていたのかを教えてください。

力武:最初になぜそこに行ったのか、どこで情報を入手したのかはまったく覚えていないんです。ただ、周囲にコンピュータ好きな連中がいて、一緒に行ったんだと思います。池袋と渋谷の西武百貨店にもマイコンコーナーはありました。私のような中学生が寄ってたかって「お前、これは違うだろ」とか言い合いながら、機械を取り合っていじっていたわけです。「PET 2001」や「TRS-80」など、当時の機械は全部ありました。

あんちぽ:篠田先生や任天堂の元社長の岩田さんについては、当時どう思っていらっしゃったんですか?

力武:あちらは大学生でした。大学生から見たら、中学生がそんなところでなにやってんだ、という感じだったんじゃないでしょうか。とにかくコンピュータを巡って大学生とも交流して、社会勉強をするような感じでしたね。

あんちぽ:その頃、力武先生は将来コンピュータ関連の仕事をしよう、という思いはあったんでしょうか。

力武:当時はまだ、仕事のイメージはゼロです。コンピュータは開発する偉い人がいて、すごい会社が作るものだと思っていました。それから何年か経ち、自分が大学に入った頃に「パソコン通信」というサービスが出てきました。サービスができたのは、1985年4月にNTTが民営化されたことが大きかった。電電公社がNTTという会社になって、電話線にモデムをつないでコンピュータ通信に使っていいですよ、という法律が日本に初めてできたんです。

そのときにインターネットやネットワークにコンピュータをつなぐ、コンピュータ同士をつないでいくことが始まった。そういうことを知るのが楽しくて、学校ではあまり勉強をせずに先生に怒られていた、というのが90年までです。

ソフトウェアエンジニアリングからインターネットの研究開発へ

あんちぽ:その後、大学と大学院を経て、1990年に新卒で日本DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)に入社されました。DECでは、ソフトウェア開発に携わっていらっしゃったんですか。

力武:そうです。米国東海岸に本拠地を持つDECという会社は、1977年にすでに32ビットの「VAX」というコンピュータを作って世界中に販売していました。私はDECの日本法人で、「VAX/VMS」(現在のOpenVMS)というOSの開発者として共有ライブラリを書いたほか、日本語化に加えて香港の拠点の人達と協力してアジア言語化をする仕事をしていました。

あんちぽ:その頃は、インターネットと直接的には関わっていらっしゃらなかったんですね。

力武:はい、特にネットワークとは関係ない、純然たるソフトウェアエンジニアリングをやっていました。ただその過程で、リソース共有は「DECnet」という全社ネットワークで行っていましたね。国際回線は当時そんなに速くなかったんですが、アメリカの東海岸のリソースを日本から使ったり、香港や世界各地のエンジニアとやりとりしたりしていました。

あんちぽ:駆け足になりますが、DECの後は情報技術開発へ。1992年からインターネットの運用技術の研究開発に関わっていらっしゃいますね。それから大阪大学で博士号をお取りになって、さらにNICT(情報通信研究機構)へ。NICTはまさにインターネット研究開発の牙城というイメージです。そこではどんなことを?

力武:NICTは、もともと源流が2つの組織なんです。ひとつは、通信・放送機構(TAO)という組織。もうひとつは、昔あった郵政省電波研究所から通信総合研究所(CRL)になった組織。この2つの組織が2004年に統合しました。そういう流れで、ハードウェア、特に無線関連に近い人が多かったですね。

でも、侵入検知やセキュリティの研究など、ソフトウェアのこともやらないと国家的な問題になるということで、当時勤務していたKDDI研究所で私の上司だった人がその研究リーダーになったんです。それで「お前も来い」と。最初に関わったのは、NICTER(無差別型サイバー攻撃の大局的な動向を把握することを目的とした、サイバー攻撃観測・分析システム)というものでした。その概念設計を担当していました。

あんちぽ:その後は京都大学に移られて、教授として情報セキュリティ関連のことも教えていらっしゃいましたよね。さらに2014年には個人事務所を設立して、2017年からは弊社GMOペパボ株式会社のペパボ研究所でもご協力いただいている、という流れですね。

「自由」なインターネットと権威が対立するほど広がるデジタルデバイド

あんちぽ:ここまでお話しいただいたWeb以前、Web以降という流れを踏まえて、僕が最近思っていることを話させてください。インターネットを規制する仕組みとして、中国のグレートファイアウォール(金盾)は有名ですが、中国だけではなく近年、ヨーロッパにおいてはGDPR(一般データ保護規則)、アメリカではCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)ができています。

これまでのインターネットのトレンドとは違う、ネットがローカル化していくような現象がこの数年見られるのかな、という気がしているんです。インターネットはもともとオープンなもので、それは力武先生も実感なさっていることだと思うのですが、こうした流れについてどうお考えですか?

力武:インターネットがこの30年間なにをやってきたかというと、「壁を壊す」ということに尽きると思います。インターネットの根幹を成す価値観があるとすれば、まさにそれだろうと。よく「社会のフラット化」や「インターネットは国境を超える」という言い方をしますが、実際に海外の物を買うにはネットを使いますからね。そして、インターネットは自由です。「自由」の定義はあえてしませんが、インターネットは自由を保証するものだと思っています。

ところが、インターネットのそうした性質と、主権をベースとした国家とはあまり相性がよくない。同じルールやしきたりを共有する人たちは、そうじゃない人たちと戦うことがままありますが、そういう社会構造とも相性がよくないんです。日本も例外ではありません。日本の場合は、社会のなかに儒教が根付いている、あるいは江戸時代から続く価値観があり、明治以降には富国強兵のスローガン、戦時中には軍隊式教育があって、いまも企業の一部にそうしたマインドが受け継がれています。そのため、日本の社会とインターネットの価値観には水と油みたいにまじらないところがあるんです。

例えば、日本の伝統的な会社でネットを使って外部にアクセスしようとすると、GmailはダメとかFacebookもダメだという話になる。あるいは会社の上層部からの情報発信は危険だからやらない、ということもあります。たぶんそれは、インターネットには「私」という個人で情報発信をしなければならないということが見えていない。あるいは、見えていてもあえて無視していて、企業や組織として個人を重視する価値観を受け入れることに対する恐怖や嫌悪感があるんだろう、と思っています。そうした個人の情報発信を重視することに慣れていないマジョリティと、そうでない個人の情報発信に慣れている人々の間には、一種のデジタルデバイド(情報格差)が生じている。

だからいま、インターネットで稼いでいる人たちやさらなる発展を推進している人たちは、この価値観の違いによる格差に配慮して動いたほうがいいですね。そうしないと今後、社会全体の亀裂や分裂はどんどん深まっていくだろう、と思っています。

あんちぽ:インターネットはそもそもの本質からして壁を壊していくものであるから、国家主権に代表されるような既存の権力とは対立的である。さらに日本は国民性や文化を含めてインターネットとは反対のところにあるから、今後対立の度合いはなおさら強くなっていくんじゃないか、というお考えですね。

力武:そうです。あと一点、高齢化社会という問題があります。そのために若い人たちに社会の実権がなかなか移らないんですよ。私ですらもう56歳ですし、40年前なら56歳というのは十分に高齢者だったと思うんですが、2021年のいまはそんなことないですよね。年配者が現役だと、社会が変わらないんですよ。その点を日本人はすごく意識して行動しないと、世界の潮流に遅れをとると思います。

インターネットがもたらす希望と未来

あんちぽ:ただ一方で、日本だけではなく、欧米に関しても同じようなことを感じます。少なくともデータに関しては規制のようなことを始めていて、壁を築いている。

力武:おっしゃる通り。

あんちぽ:それでも悲観的になることばかりではないとも思っています。例えば、コロナウイルス感染拡大によって、去年からうちの会社も強制的にリモートワークをせざるを得ない状態になった。そのための仕組みがどんどん整ってきていて、結果的に働きやすい状況が作られています。これはけっして手放しで喜べることではないんですが、それでもインターネットがない時代にもしもこの状況になっていたら、と思うとゾッとします。

そういう意味では、インターネットが人々の自由な働き方を支えているし、病気や災害があってもある程度はリカバリーしやすい状況を作ってくれている。そうした希望のような部分については、どうお考えでしょうか。

力武:私より一〜三世代くらい若い人たちにとって、インターネットはあって当たり前のものになっているので、インターネットの価値観を否定しようという動きが出てきたときに、若い人たちがテクノロジーはけっして悪いものじゃない、と平和的に戦ってくれるだろうと思っています。ペパボの社員さんやパートナーさんを見ていると、本当にそう感じますね。そうした人たちをこれから増やしていくことにこそ、希望があるんじゃないでしょうか。

ただ、また希望と逆の話になってしまいますが、日本の政治家の多くは、たぶんテレビしか見ていない気がします。テレビのレスポンスタイムは、コロナ対策などを見ていても思いますが、非常にゆっくりしているんですね。ネットの感覚からするとどうしても遅くて、Twitterを見ればいろいろな意見やアイデアがガンガン上がるのに、それを吸い上げる力が政治の側にない。このままだと、政治と若い人たちだけではなく、政治と現実との乖離も進んでいきます。そこをなんとか詰めなければいけない。

しかし、デジタル庁という取り組みも始まりました。日本政府もようやく遅まきながらデジタル化に舵を切ってきたので、ぜひそのへんは官民、産官学などなんでもいいんですが、みなさんで一体になってやるべきだと思います。一体となってやろうぜ、という人がいる限りは希望が持てると思っています。

あんちぽ:僕らはどうしても、いまあるものは昔からあって、変えることはできるかもしれないけれど、自分で作るものとは思っていないところがある。だけど力武先生やその世代の方々は、インターネットがないところからある状態にし、維持させてきたプロセスを見ていらっしゃいます。

そういうプロセスの話を聞くことができて、いま僕らが当たり前のように思っていることでも、変えるというアプローチはあるし、なければ新しいものを作るというアプローチもある。現状に甘んじることなく社会基盤を変える、創り出していくことが大切なのかなと思うことができました。本日はありがとうございました。

当日のアーカイブはYouTubeでも配信中。イベントレポートではお届けしきれなかった話が盛りだくさん。気になった方はチェックしてみてください。

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