350万人が利用する会社訪問アプリ
NOT A HOTEL株式会社 / 執行役員 CXO
1982年生まれ。UI/UXデザイナー。NOT A HOTEL株式会社CXO。自宅とホテルをアプリで切替え、自宅のように滞在したり、世界中のNOT A HOTELを自宅のように使える「NOT A HOTEL」のソフトウェアを手がけています。手の止まる瞬間のない自然なデザイン、何も感じずに毎日使うUIを目指しています。趣味は散歩ですが最近は減少気味。毎日1万歩以上が目標。基本的になんとかなる精神。
生活はもちろん、生活に直接的には必要がなくとも、少しでも世の中が楽しくなるようなサービスやコンテンツを作っていきたいです。これまでやったことがないような宇宙開発系やアニメや映画のジャンルにも関わっていきたいと考えています。
UX向上のためのデザイン言語・システムを構築し、 メルカリデザインのカルチャーを作る
地域コミュニティでサービスを提供したい人と使いたい人がマッチングできるようなサービスを作る
一部の人がすごく喜んでくれたり多くの人に使われたりするサービスをゼロから実現
Yahoo!は当時はまだまだwebの会社だったので、時代にあわせて様々なwebサービスをアプリ化していかないといけませんでした。そのためにいろんな事業部に話を聞きながら、アプリ化に合わせた機能の削ぎ落としやデザイン検討などをサポートしていました。 Yahoo!クーポンのアプリの開発やショッピングアプリのサポートをしていました。
多くの人に使われるサービスを作る
ガラケーのUIを作っていたところにスマホの波が襲来。パワーゲームが変わって世界で同じ仕様にする方向性になったため、個々のローカライゼーションやUIが必要ではなくなってきました。つまりUIが大きな差別化要因ではなくなり、サービス設計を含めた全体感で差別化していかないといけないという流れに。 サービス提案から行うために、ひたすらスマホのなかのアプリを考えたり、どんなものを作るべきか調査したりしていました。 特に学習がデジタル化するという予測が当時からあったため、そこに対してどのようなアプリを作ってどんなコンテンツを提供するべきか考えていました。
一番いいUIを限られた制約のなかで作る
UIデザイナーとしてサムスンの携帯電話を日本向けの仕様に。モトローラで携帯電話の仕様を深く理解することを身につけたのがとても役立ちました。
携帯電話のUIを考えて作る
ある日会社に行ったら、突然事業部がなくなることに。UIデザインをすべく転職することに。
当初、ガラケーのUIデザインをやりたいと考えていましたが、実際の仕事はガラケーのUIを日本仕様に変えるための要件整理。ガラケーの仕様を理解して現地のデザイナーと連携し、画面設計まではいかないけど、どうやってプロジェクトを実現するか考えたり要件整理をすることがメインでした。 当時はUIデザイナーの仕事といえば、カーナビやゲームが中心だったので、そのなかではケータイがいいなと思ってやっていましたが、デザインではなくテクニカルプランニングの領域だったので、個人的には微妙だな......と感じていました。
デザインの基礎を学ぶ
当時はUIといえばグラフィック。情報設計にそこまでフォーカスされていない時代でした。デザインから入らないといけなかったのですが、僕はそこがわかっていなかったので、入社してすぐに夜間コースに入学。デッサンや造形を作ったり、超基礎を学んでいました。 とにかく課題をこなしていましたが、最後のほうはゾートロープなどを作っていました。
UIと初めて出会う
新しいサービスをプロデュースするゼミに在籍していました。ゼミの教授のつながりで、慶應義塾大学病院で研修生のためのシステムを考え、実際の手術の現場に入って様子を観察しながら課題を探し、麻酔医をサポートするツールを考えていました。観察する、課題を探す、何を作るか考えるというプロセスは現在のプロダクト作りにもつながっています。