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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

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“新たな手塚治虫”は二次創作から生まれる―後世に受け入れられるプロデュース術とは

『わたしのアトム展』など、数多のイベントを成功に導いてきた手塚るみ子の仕事に迫る

2017/03/01

JR山手線・高田馬場駅のホーム。ここで「鉄腕アトム」の音楽を耳にしたことがある人は多いのではないでしょうか。これはいわゆる「ご当地発車メロディ」と呼ばれるもので、高田馬場駅で「鉄腕アトム」が流れるのは、アトムにとって父のような存在であるお茶の水博士が長官を務める科学省が高田馬場にあるという設定になっているから。そして仕事場であった「手塚プロダクション」もここ、高田馬場にあります。

1989年、60歳という亡くなるには早すぎる年齢でこの世を去った手塚治虫さん。今日お話を伺うのは、その長女である手塚るみ子さんです。るみ子さんは、手塚プロダクションの取締役であり、プランニングプロデューサーとして、お父様の作品を後世に残すべくさまざまなイベントを企画されてきました。今日は高田馬場の手塚プロダクションへお邪魔し、手塚作品をどのようにプロデュースしてきたのか、その仕事術について伺っていきます。

父をプロデュースするということ

−手塚治虫作品のプロデュースをすることになった経緯を教えてください。

「私はもともと広告代理店のセールスプロモーションやイベントをする部署にいたのですが、そのときから漠然と、いつか娘として手塚治虫の作品を取り上げたいなと考えていました。ですがそれはあくまで “いつか叶えたい遠い夢” のようなものであって、この業界にいればいずれは父と仕事をする日が来るだろう、くらいの考えだったのですが、予期せぬ早さで父がいなくなってしまって…。父はいなくなってしまったけれど、まわりの人たちが『せっかく代理店にいるんだからお父さんの作品をやってみたらいいじゃないか』と声をかけてくれたんです」

まわりの人の声に背中を押される形で、手塚治虫原作のテレビアニメを企画したり、手塚作品のキャラクターを広告に使わないかとクライアントに提案するなどして作品を訴求し始めたるみ子さん。そのうちに鉄腕アトム生誕40周年というアニバーサリーを迎えることになります。

「それまで手塚プロダクションに顔を出すことはあまりなかったのですが、手塚作品をプロデュースする過程で手塚プロとも密にやりとりをするようになりました。当時はまだ手塚が亡くなったばかりで会社の中がまだ落ち着いていなくて。やはり著作権物を取り扱う会社ですので、作品をどう管理していくか、そしてどう守るかということで慌ただしく、40周年という大きな節目が訪れるにも関わらず何も企画が決まっていなかったんです。

私としては、せっかくそんな大きなアニバーサリーがあるのにもったいないなと。このままではそもそも鉄腕アトムが40周年を迎えるということすらも気づかれずに終わってしまう。そこで、娘として自ら40周年における宣伝隊長を買って出たんです。代理店にいることを生かして、多方面にイベントをしかけませんか、雑誌で特集しませんかなどアプローチしていきました。そのうちに展覧会ができそうな雰囲気があって、そちらを進めていこうと」

それが、1993年3月24日~4月10日に渡ってラフォーレ原宿で開催された『わたしのアトム展~100人のMY FAVORITE ATOM』。絵画、イラスト、グラフィックデザイン、漫画、映像、コンピュータグラフィックス、また音楽や文筆などのジャンルで活躍する100余名のアーティストが創作した“アトム像”が集結する展覧会でした。

「それが、初めて自ら父親をプロディースしたイベントでした。といっても、まだまだ未熟でしたので、参加してくださった先生方や手伝ってくれた方々、そして手塚プロのおかげで実現できたのですが、手塚るみ子プロデュースという名前で世に出したものとしては最初になりますし、父親の作品をどのように世の中に出したらどんな反応が返って来るのか、そして手塚治虫で影響を受けた人たちが、どういう思いをアトムや手塚に抱いているかというのを確かめられたイベントだったので、今でも一番印象に残っていますね。いろんな意味できっかけになったイベントだったと思います」

−100人のアーティストに声をかけるというコンセプトはどうやって生まれたのでしょうか。

「その頃アメリカでミッキーマウスの生誕祭があって、世界中のアーティストが思いおもいのミッキーマウス像を描いた画集が発表されたんです。それをイラストレーターで、父の昔からの知人だった古川タク先生がたまたま教えてくださって、良いですねこれ、日本でもやってみましょう! と。日本ではアトムの影響受けている人もたくさんいるだろうし、手塚が亡くなってまだ日が浅かったので、いろんな思いをのせて出してくれる人がいるだろうと思ったんです」

手塚作品に影響を受けたアーティストたちによる作品展は、手塚ファンだけでなく、それぞれのアーティストのファンからも大きな反響を得ました。

「元々手塚の作品をよく知らなかったけれど、その展覧会をきっかけとして原作にも興味を持ってくれたという方もたくさんいらっしゃって。手塚本人はいなくなってしまったけれど、手塚イズムを受け継いだ方々の作品をきっかけに手塚作品の魅力も再発見してもらえるという流れに手応えを感じました」

二次創作で新たな“手塚治虫”を残す

−プランニングをする中で、手塚治虫という人物や作品をどういうふうに残したいとお考えですか?

「それは『わたしのアトム展』のときからずっと変わっていなくて、若い方の関心がむくモノ(人)に、手塚治虫がどういう影響を与えているか、その人の中にどんな手塚イズムがあるかを出していくことによって、若い方がツーステップで手塚治虫にたどり着いてくれたらいいなと考えています。

たとえば『わたしのアトム展』に参加してくれた漫画家の吉田戦車さん。当時スピリッツで人気に勢いのある作家だったのですが、『吉田戦車が手塚治虫の作品をこんなにおもしろく描いているぞ』となって、彼のファンが結果的に手塚治虫にも興味を持ってくれました。同様に、ミュージシャンの細野晴臣さんは手塚の大ファンなのですが、彼が手塚治虫からのインスピレーションで音楽を作ったとなると、その細野晴臣さんに関心のある人が、『細野晴臣のルーツには手塚治虫が欠かせない、じゃあ手塚治虫を読んでみよう』と思ってくれる」

「私たちは手塚と同時期に活躍した方々を手塚第一世代、手塚に影響を受けて活躍している方々を手塚第二世代と呼んでいるのですが、次の世代の方に関心を持ってもらうために、そういった人たちを立てていくということをしています。その方の創作した “何か” によって、手塚に関心を持ってもらうという。アートにしても音楽にしても、今やっているいろいろなコラボレーションの企画は、基本的にそこから変わってないですね」

−その方針にたどり着いたきっかけというのはあるのでしょうか?

「実は、手塚は生前から『自分が死んだら、自分の作品は誰にも読まれなくなるんじゃないか』という不安をずっと抱いていたんです。『自分が死んでも、3年間は誰にも言うな』というふうに言っていたくらい、死んでしまったら作家は終わりなのだと恐れていました。

手塚治虫は、誰もが知っている作家ですよね。アトムもブラック・ジャックもみんな知っている。でも、新しいものを生み出せない以上、時間が経てば経つほどそれらは古典として扱われてしまいます。古典文学、古典漫画という形で、一般の人の目が届きにくい、棚の上の方に置かれるようになり、そしていずれ『名前は知っているけれど読んだことがない』という作家になってしまうと。その不安は父の不安でもあり、我々遺族にとっても心配でした。

そこで、新しい世代に読んでもらうためにはどういうフックが必要かというのを考えるようになったんです。ただ『読んでください』と訴えても、関心がなければ響きません。だったら、いかに関心を持ってもらうか。そこには何か仕掛けが必要だということで、二次創作にたどり着きました」

受け継がれる“手塚タッチ”

−冨田勲さんの追悼公演に際し、手塚プロから「手塚風初音ミク」のイラストが公開されましたよね。

「弊社と公式作家として契約している、つのがいさんによって描かれたものです」

−手塚先生ご本人が描いたと見紛うような再現度に驚きました。

「つのがいさんは、本当に恐ろしいほど手塚のタッチを再現できる才能の持ち主です。手塚タッチの絵を描く人といえば田中圭一さんが有名ですが、彼はわざとまねて描くパロディ作家です。あくまでそれを持ち味としてご自身の作風を確立していますよね。つのがいさんはまだ20代で、絵をちゃんと勉強し始めて1年ほどしか経っていないにも関わらず、自然と手塚タッチを習得してしまった。それも見事なまでにそっくりに描けるんです」

「しかも当初、本人は描けている自覚がなかったんですよね。なんせ手塚で育った世代ではないので。それを見て、手塚で育ったわたしたちがざわつくという。何者だと。そのときちょうど会社で手塚タッチを描ける人材を探していたので、うちの公式の作家にならないかとオファーしました」

−公式作家としてつのがいさんを抱えることにはどのような狙いがあるのでしょう。

「つのがいさんは現在もブラック・ジャックのパロディを描いていますが、今後『手塚タッチの、つのがいさんオリジナル』が生まれていくことに意味があると考えています。というのも、手塚の作品は昭和に描かれていますから、当然昭和の時事ネタしかないわけですよ。でもつのがいさんが描く作品には、今現在の時事ネタが入ってくる。手塚治虫の描線はこの先も存在し続けながら、なおかつ若いつのがいさんが描くことによって新しさもある。そうしたら若い方にも新鮮に受け入れられていくのではないでしょうか」

−二次創作を公式が支援していくという試みに新しさを感じます。

「二次創作によって、今まで手塚の出せなかった手塚治虫の魅力をその人が出してくれるので。ただ、手塚とのコラボレーションというのは、力量のあるクリエイターじゃないと難しいんですよ。コラボレーションをお願いするとみなさんプレッシャーに感じるようですし、あまりに大きな作家なので、どうしたらいいかわからないとおっしゃる方もいます。意識しすぎて手塚寄りの作品になってしまうと、それではただの模写になってしまいます。そうではなくて、まずはその作家のなかに『手塚治虫』を取り込んで、そしてその方の作風で吐き出してほしいんです。それは誰も見たことがないもの、いわばハイブリッドになるはずですよね。それを世の中に見せてほしくて、コラボレーションをお願いしています。

そういえば、先日コミケ*に行ってみたんですよ」

*コミックマーケット:毎年お盆と年末に開催される世界最大規模の同人誌即売会

−それは、お仕事でですか?

「友達が出品しているということで行ったんですが、二次創作があれだけ集まる場所ですので、良い作家さんを探す意味合いでもじっくりと回りました。もちろん雑多なものもありますし、スタミナ丼みたいなのもいっぱいあるんですが、作家としてクオリティが高いなという人も何人かいらっしゃったので刺激になりました。さらに何人かの方は、手塚コラボレーションに関しても魅力的だなと感じましたよ」

−作家発掘ですね!

「デザインフェスタやワンダーフェスティバルもそうですけど、まだまだ自分の知らないところでこんなにクオリティの高い方々が活動しているんだなと驚かされます。そういう人に出会えるとわくわくしますね。この人に手塚コラボレーションをオファーしたらどんなものになるんだろうと。毎年秋に『手塚治虫文化祭〜キチムシ』というイベントをやっているので、いつも次はどんな人をオファーしようかとアンテナを立てているんですよ。

自分の感性で、これいいな、かっこいいなと思うものは全て仕事につながっていきます。なので、わたしの企画するものは私のひいきが入っているというか、まさに趣味そのものなんですよね」

手塚治虫作品がいつまでも色褪せない理由。それは作家が亡くなったあとも、るみ子さんのプロデュースによって“手塚イズム”が引き継がれ、新旧の手塚キャラクターが生き生きと輝き続けていたからでした。

その大胆で斬新な仕事の裏には、漫画家の家に生まれるという特殊な生い立ちも大きく関与しているのではないでしょうか。後編では、幼少期や就活・代理店時代についてもお話を伺い、るみ子さんのルーツを紐解いていきます。

後編▶二世に生まれ、使命に生きる。手塚治虫の長女・手塚るみ子が語る“仕事”

Interviewee Profiles

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手塚るみ子
プランニングプロデューサー。手塚プロダクション取締役。手塚治虫文化祭(キチムシ)実行委員長。漫画家・手塚治虫の長女として生まれる。広告代理店でセールスプロモーションやイベント企画に携わったのち、父親の死をきっかけに手塚作品のプロデュース活動を開始。アトム生誕40周年を記念した「私のアトム展」をはじめとする各種イベントや、朝日放送創立50周年キャンペーン「ガラスの地球を救え」年間イメージソングのプロデュースなど幅広く手がける。また音楽レーベル「MUSIC ROBITA」を設立し、2003年の「鉄腕アトム」生誕にあわせたトリビュートCD「Electric-Brain feat. ASTROBOY」といった手塚作品の音楽企画も制作。

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