350万人が利用する会社訪問アプリ

  • PM・Webディレクション
  • 4エントリー

農家のお母さんたちとともに、地域の新たな風土を作る同志募集!!

PM・Webディレクション
4エントリー

on 2018/06/05

1,325 views

4人がエントリー中

農家のお母さんたちとともに、地域の新たな風土を作る同志募集!!

オンライン面談OK
東京
中途
新卒
東京
中途
新卒

山本 裕子

明治大学、東京モード学園メイク学科夜間部卒業。 在学中に青森県の村興しを経験し、農業インターンシップやPV制作を手がけると同時にヘアメイクアップアーティストのアシスタントにつき、CM、雑誌、PV、ライブ等の現場を経験。 2016年4月より(株)FoundingBaseに参画。現在は大分県豊後高田市において、住民・行政職員とともにまちづくりに取り組む。

表現者でありたい。挫折を経て向き合う、“自分らしいキャリア”。

山本 裕子さんのストーリー

福井 健

大阪府出身の28歳。国際基督教大学を退学後、FoundingBaseプログラムに携わり、2年間島根県津和野町で高校魅力化プロジェクトを立ち上げを行った後、株式会社FoundingBaseに採用・広報担当として入社。 年間300人程度の学生・第二新卒の若者との面談を行い、採用に関しては「その人の望む生き方」「信念と覚悟」を問うことを哲学に取り組んでいる。

林(山本) 賢司

1986年生まれ。大学在学中に地方のオモシロさと可能性に惚れ込み、卒業後は独立してまちづくりに関わる。島根県津和野町のスーパー公務員との出会いから、「地方の衰退を止めるには”若者が戻る仕組み”を作ることが必要」と気づく。変わり者が集まる飲み会で現パートナーの佐々木と出会い、「若者を期間限定で地方自治体の首長付にするプログラム」を思いつく。同時期、一般社団法人アショカ・ジャパンのSecretariat and Program Assistantも務める。2014年2月、佐々木と共に株式会社FoundingBaseを設立し、共同代表取締役に就任。

坂和 貴之

1990年東京生まれ。FoundingBaseキーマン第1期生として、2012年度から2年間島根県津和野町に滞在。「これからの町を担う魅力的な産業づくり」をテーマに掲げ、就農支援プログラムや観光業と連携したまるごと津和野マルシェ事業を立ち上げる。2014年秋、吉備中央町の始動に合わせて株式会社FoundingBaseに参画。

地域に成長させてもらった過去。これからは、地域の成長を実現するチームを創る。

坂和 貴之さんのストーリー

株式会社FoundingBaseのメンバー

明治大学、東京モード学園メイク学科夜間部卒業。 在学中に青森県の村興しを経験し、農業インターンシップやPV制作を手がけると同時にヘアメイクアップアーティストのアシスタントにつき、CM、雑誌、PV、ライブ等の現場を経験。 2016年4月より(株)FoundingBaseに参画。現在は大分県豊後高田市において、住民・行政職員とともにまちづくりに取り組む。

なにをやっているのか

▼人間味ある「風土」を手作りしていく 「地方創生」という言葉が流行り始めるよりも前、2012年にFoundingBase事業が島根県津和野町で立ち上がってから、僕たちは延べ100人弱の仲間とともに全国各地の地方自治体とともに歩んできました。パートナーとして共に歩みを進める自治体のほとんどは人口1万人前後の過疎化が進む街です。地元に根ざす土の人たちが培ってきた暮らしや文化と、僕たちFoundingBaseをはじめとする外部から街で役割をになう風の人たちが持つ志とを融合させながら、観光、農業、教育、コミュニティデザイン、文化などあらゆる分野で事業づくりを行ってきました。 「どんな街が理想的な街なのか」 この問いは、僕らの歩みのかたわらに常に存在し続けた問いです。マクロ的な視点で見れば、機能集約を是とするスマートシティや、観光DMOに立脚した稼げる街づくり、行政機能の効率化低コスト化を目指すテクノロジーの導入など、様々な街の「かたち」が議論されています。そうした議論に目を向けながらも、常に現場に根ざし、土と風とを融合させながら事業づくりをしてきた僕らにとっての「理想的な街」とはなんなのだろう。 僕らが大切にしているのは、ある特定の「かたち」ではなく、そこに至るまでの「プロセス」だと言えるかもしれません。FoundingBaseの事業作りは必ず「あなたは何者で、何を求めているの?」という問いからスタートします。地域に根ざす土の人、外部から街にやってきた風の人、立場の違いを乗り越えて「あなたは何者で、何を求めているの?」という問いからスタートし、自分自身が見たい光景、暮らしたい街の風景、欲しい未来を形作るための事業を作っていきます。 誰かが勝手に決めた枠組みではなく、そこにいる「わたし」や「あなた」の人間らしさから紡がれる光景、風景、未来を形作る。僕らがやっていることは、風の人と土の人とともに、その中間に位置する立ち位置として、人間味のある「風土」を手作りしていくこと、と言うことができるかもしれません。 ▼自分たちの手で未来を切り拓いてきたまち そんな僕らが2017年から共にパートナーとして歩んできた大分県豊後高田市が今回の募集の舞台です。僕らが豊後高田市と共に、そこに生きる人たちの「らしさ」が体現される形で「風土」が作られていくプロセスで街を作っていこうと決心したのは、豊後高田がこれまでも自分たちの手で未来を切り拓いてきたまちだからです。 かつては人が絶えず行き来し活気に満ち溢れていた街の中心にある商店街が寂びれ始め、全国各地の過疎地同様、平成の大合併に際し近隣の自治体同士で合併した歴史を持つ豊後高田ですが、豊後高田が多くの過疎地と一線を画すのが、自分たちの手で未来を切り拓く姿勢です。 寂びれゆく現状を打破する一手として、2001年度に地域に住む住民主体でスタートしたのが、商店街のイメージを一変させる「昭和の町」構想です。全国各地で商店街振興の一貫として打ち上げ花火的なイベント実施や、大規模小売店との共存が模索されていたこの時期において、豊後高田に住む人たちは自分たちの手でおもしろい商店街を作ろうと、住民と役場職員とが一体となり、最新のものを導入するのではなく、敢えて昭和の風情が残る街並みを逆手に取り強みに変え、懐かしい思い出がそのまま残る場所としてPRを始めました。 店の奥に眠っていた昔の看板を出してきて掲げたり、喫茶店でのメニューや商店のラインナップといった細部にまで気を配り、努力を惜しまず自分たちが求める街を作り上げた結果、観光客がほとんど来なかった商店街が、今では年間40万人が訪れる観光地へと姿を変えています。 現状を嘆き、文句や愚痴を言うだけで、最初から諦めてなにもしないという日本に多く見られる街へのスタンスとは全く違う、自分たちで未来を切り拓くというスタンスがあるこの豊後高田でこそ、僕らが理想とする個性が活かされた人間味のある「風土」が手作りしていけるのではないかと考えています。
FoundingBaseでは立場を超えて常に対話し、自分は何者かという問いから事業をスタートさせます
住民と役場職員が一体となって手作りした豊後高田市の昭和の町
夢むすびを支える農家のお母さんたち
美しい田園風景が残る豊後高田のこの先を形作る取り組みです
地域に暮らす一人ひとりの「らしさ」によって作られる文化
明確な答えが無い中で「らしさ」を活かした仕事がどんどん生まれています

なにをやっているのか

FoundingBaseでは立場を超えて常に対話し、自分は何者かという問いから事業をスタートさせます

住民と役場職員が一体となって手作りした豊後高田市の昭和の町

▼人間味ある「風土」を手作りしていく 「地方創生」という言葉が流行り始めるよりも前、2012年にFoundingBase事業が島根県津和野町で立ち上がってから、僕たちは延べ100人弱の仲間とともに全国各地の地方自治体とともに歩んできました。パートナーとして共に歩みを進める自治体のほとんどは人口1万人前後の過疎化が進む街です。地元に根ざす土の人たちが培ってきた暮らしや文化と、僕たちFoundingBaseをはじめとする外部から街で役割をになう風の人たちが持つ志とを融合させながら、観光、農業、教育、コミュニティデザイン、文化などあらゆる分野で事業づくりを行ってきました。 「どんな街が理想的な街なのか」 この問いは、僕らの歩みのかたわらに常に存在し続けた問いです。マクロ的な視点で見れば、機能集約を是とするスマートシティや、観光DMOに立脚した稼げる街づくり、行政機能の効率化低コスト化を目指すテクノロジーの導入など、様々な街の「かたち」が議論されています。そうした議論に目を向けながらも、常に現場に根ざし、土と風とを融合させながら事業づくりをしてきた僕らにとっての「理想的な街」とはなんなのだろう。 僕らが大切にしているのは、ある特定の「かたち」ではなく、そこに至るまでの「プロセス」だと言えるかもしれません。FoundingBaseの事業作りは必ず「あなたは何者で、何を求めているの?」という問いからスタートします。地域に根ざす土の人、外部から街にやってきた風の人、立場の違いを乗り越えて「あなたは何者で、何を求めているの?」という問いからスタートし、自分自身が見たい光景、暮らしたい街の風景、欲しい未来を形作るための事業を作っていきます。 誰かが勝手に決めた枠組みではなく、そこにいる「わたし」や「あなた」の人間らしさから紡がれる光景、風景、未来を形作る。僕らがやっていることは、風の人と土の人とともに、その中間に位置する立ち位置として、人間味のある「風土」を手作りしていくこと、と言うことができるかもしれません。 ▼自分たちの手で未来を切り拓いてきたまち そんな僕らが2017年から共にパートナーとして歩んできた大分県豊後高田市が今回の募集の舞台です。僕らが豊後高田市と共に、そこに生きる人たちの「らしさ」が体現される形で「風土」が作られていくプロセスで街を作っていこうと決心したのは、豊後高田がこれまでも自分たちの手で未来を切り拓いてきたまちだからです。 かつては人が絶えず行き来し活気に満ち溢れていた街の中心にある商店街が寂びれ始め、全国各地の過疎地同様、平成の大合併に際し近隣の自治体同士で合併した歴史を持つ豊後高田ですが、豊後高田が多くの過疎地と一線を画すのが、自分たちの手で未来を切り拓く姿勢です。 寂びれゆく現状を打破する一手として、2001年度に地域に住む住民主体でスタートしたのが、商店街のイメージを一変させる「昭和の町」構想です。全国各地で商店街振興の一貫として打ち上げ花火的なイベント実施や、大規模小売店との共存が模索されていたこの時期において、豊後高田に住む人たちは自分たちの手でおもしろい商店街を作ろうと、住民と役場職員とが一体となり、最新のものを導入するのではなく、敢えて昭和の風情が残る街並みを逆手に取り強みに変え、懐かしい思い出がそのまま残る場所としてPRを始めました。 店の奥に眠っていた昔の看板を出してきて掲げたり、喫茶店でのメニューや商店のラインナップといった細部にまで気を配り、努力を惜しまず自分たちが求める街を作り上げた結果、観光客がほとんど来なかった商店街が、今では年間40万人が訪れる観光地へと姿を変えています。 現状を嘆き、文句や愚痴を言うだけで、最初から諦めてなにもしないという日本に多く見られる街へのスタンスとは全く違う、自分たちで未来を切り拓くというスタンスがあるこの豊後高田でこそ、僕らが理想とする個性が活かされた人間味のある「風土」が手作りしていけるのではないかと考えています。

なぜやるのか

地域に暮らす一人ひとりの「らしさ」によって作られる文化

明確な答えが無い中で「らしさ」を活かした仕事がどんどん生まれています

▼「地方創生」のその先を目指すフラッグシップ 定年を迎えてもコミュニティの中で役割を担い続け、最期のときまで「生きがい」を感じられる仕組み。 「これが自分の天職だ」と誇りを持って言い切れる、個人の色が色濃く反映されている商いを起こそうとする人たちと、それを応援する市民によってまちの風景ができていく。 「子どもたちこそまちの宝」と、惜しみなく未来を担う世代に対しての投資を行う思想。 行政が担いきれない範囲を「自分たちのまちのことだから」と自律した市民によって公的サービスを担う哲学。 物見遊山の観光ではなく、ここで過ごす一瞬が訪れた人にとって一つのライフイベントになるような、彼らの「生きる」の連続の中に位置するような1日を、と形作られるもてなしの文化。 僕らが大分県豊後高田市で作ろうとしているのは、こうした「自律した住民の手によって作られていくまち」です。「自分たちの町のことだから」とそこに住む住民が全員参加で作るまち。次の時代の「当たり前」を体現するようなまち。他の地域も思わず真似したくなるような、「FLAG SHIP(旗艦)」の役割を担う。これからの日本の地域の「FLAG SHIP」になるようなまち。 「地方創生」という言葉で問われていることは、なにか。 それは、次の時代の「当たり前」を作ることだと、僕らは考えています。 つまり、これまで「当たり前」とされていた構造や、仕組み、それらを形作る思想や、価値観、概念そのものから変化させていき、次代の「当たり前」のベースとなる「考え方」をしっかりと根付かせていくこと。その先にこそ、地域の未来の答えがあると考えています。 「地方創生」のその先を。 私たちが目指すのは、単に「地方創生」という言葉で表現されるものではなく、その先。 当事者性を強く持った自律した住民によって手作りされていくまちのあり方です。 ▼チャレンジの先にしか「答えらしきもの」はない 改めて言うまでもなく、社会はめくるめくスピードで変化し、これまでの社会システムが機能しなくなってきています。教育領域では学校改革や入試改革が叫ばれ、ビジネス領域においては働き方改革、それ以外の社会の側面でも「改革」「革新」が叫ばれています。地方自治体を取り巻く領域では変化の旗印として「地方創生」が掲げられてきました。 僕らは、表面的に見えやすい機能が機能不全に陥っている状況を捉えて、「システム」の改革の必要性を痛感します。 本質的な人の成長や発達にそぐわない学校制度。人間らしい働き方ができない就労制度。医療費、年金についての機能不全を示す計算式。消えていく自治体サービス。 政府の大号令に従い、多くの自治体で「地方創生」というカテゴリに分類される事業が行われています。それらの事業に目を向けたとき、多くが金太郎飴のように同じようなことを、方法論やシステムだけを真似して実施されている現状に気が付きます。果たしてこれで、本当に課題は解決されるのか。 まちに関わり、まちで暮らし、まちで未来を想う事業を作る際に大切にすべきことはなんなのだろう。 単なる「システム」の変更を行おうとすることではなく、その地域に根づく文化や風景に注意深く目を向けながら、「システム」を形作ってきた価値観や考え方からアップデートしていくことだと、僕らは考えています。 「成長」「発展」「右肩上がり」という一昔前の日本を支えていた価値観が瓦解した中、誰もが拠って立つべき場所の答えを持たないまま、もがいています。 しかし、考えてみればこのような状況はなにも特別なことではなく、人は生きている中で、十分な根拠をもたずに何かを選択をしなければならないという場面に多く出会います。むしろ、本当に重要な決断とは、「明確な答え」がないからこそ重要なのかもしれません。仮に、不十分な根拠しかないのに判断を下さなければならないとしたら、人は自らの理念に立脚して暫定の答えを出し続けるほかないのではないでしょうか。 いや、もしかすると、人は行動してはじめて理念を見出すのではないでしょうか。そしてそこで見出した理念を行動に移し続け、その結果をみて、振り返ってはじめて「正しかった」「間違っていた」という評価ができるのではないでしょうか。 私たちは、この意味において、常に「実践者」であり「実験者」でありたいと願っています。 「地方創生のその先」とはどんなものなのか、そこにはどんな光景が広がっているのか、そこにはどんな人の暮らしがあるのか、これに対する明確な答えは出ていません。 答えが出ていないからこそ、僕らは覚悟を持って共に歩むと決意してくれた自治体と共に、実践し続け、実験し続け、必死に解の在り処を探したい。

どうやっているのか

夢むすびを支える農家のお母さんたち

美しい田園風景が残る豊後高田のこの先を形作る取り組みです

▼お母さんたちの素朴な想いが形になった「夢むすび」 そんな想いのもと、今回豊後高田市と共に取り組むのが、「夢むすび」施設の経営です。先ほど紹介した昭和の町は、観光客が集まる商店街と言われているのに対し、「夢むすび」がある玉津プラチナ通り商店街は地元の人が集まる商店街と言われています。 そもそも、この「夢むすび」という施設は、もともと地域に住む農家のお母さんたちの素朴な想いからできあがった施設です。農家のお母さんが色々な活動をしていく中でふと出て来たのが、「生産者や加工所のみなさんが集い交流できる場が欲しい」という想いでした。彼女たちはその想いを単なる絵空事にとどめるのではなく、市役所に掛け合い、役場職員とともにどんな場を作りたいかを考え始めました。せっかくだったら、ただのおしゃべりの場所ではなく、自分たちが作った豊後高田の農産物を食べて欲しい、そうした思いが芽生え始め、自分たちにできることはなんだろうと、どんどんアイディアを出していきました。昭和の町をコンセプトにした商店街は観光客に徐々に認知されていき、観光客数も増えている。せっかく豊後高田に来たのだから、物見遊山だけではなく、豊後高田で取れたおいしいものも食べて帰ってほしい。そうした想いを結実させる場として「夢むすび」を機能させるために、それぞれの家で栽培している農作物を朝早くから収穫し、新鮮な野菜を店内に並べ、おもてなす。単に農作物を販売するだけではなく、せっかくならもっと美味しく食べてもらおうと、お弁当やお土産用の加工品を作ったり、各地域に伝わる食材と料理を集めたおせち等をやって来ました。 こうしてスタートした「夢むすび」。お母さんたちの想いが形になり、徐々に商店街にも賑わいが生まれ始めています。3年前までは、人がほとんど通らない商店街だったけれど、広島からの移住者や地域おこし協力隊の手によって映画館が運営され始め、絵本屋さんやカフェができました。映画館はお年寄りの娯楽施設となり、絵本屋さんは小学生やお母さんの遊び場・憩いの場として機能している。いろんな人の「らしさ」によって風景が作られつつある玉津プラチナ通りの中心に位置するのが「夢むすび」です。 そんな「夢むすび」の未来を一緒に作っていく人を今回募集したいと考えています。 経営なんてしたことがないお母さんたちが、豊後高田の農家のみなさんと一緒に頑張りたい、街に賑わいを作りたい、自分たちが見たい風景を作りたい、その一心で、これまで「夢むすび」を経営してきたが、この先より持続可能な形で経営を進めていくために僕らと一緒に歩むことを決めてくれあした。 ▼全員総出で一体となって果敢にチャレンジする 僕たちは、大分県豊後高田市に限らず、これまでも島根県津和野町や、高知県四万十町、岡山県吉備中央町をはじめとする全国各地の自治体において、次の時代の「当たり前」を作るために、つまり「地方創生」のその先を築くために、首長と共にストレートなアプローチで課題解決に取り組んできました。 具体的には、「表面的な取り組みではなく、課題の根源的な原因を解決すべく、住民とともに新たな事業を作り出す」ことに対して、FoundingBaseと行政それぞれの立場から覚悟を持ってコミットメントを作っていくことを約束し、役場内の首長直下に新たなチームを設立し、そこにFoundingBaseのプレーヤーが入っていく仕組みを作っています。 これは、FoundingBaseが外部のコンサルティング会社として側面的に関わるのではなく、地域とともに歩むという覚悟ゆえの関わり方であり、自治体が単に事業の発注者として外部組織に仕事を丸投げするのではなく、FoundingBaseとともにパートナーとして新たな事業を立ち上げるという覚悟の現れでもあります。 このように立ち上がったチームの中で、プレーヤーは「地方創生」のその先の世界を描くような事業を地域に住む方々と一緒に立ち上げていきます。外郭団体ではなく、これまでずっと地域の中枢を担ってきた役場の一員として「変化」を起こす役割を担える立場だからこそ、その町のあり方そのものを変えるような取り組みが、シリアルに立ち上がっています。 今回の募集地域である大分県豊後高田市においても、意欲ある市長、経験と熱意を持ち合わせている職員とともに、今後の町のあり方を作っていく事業を立ち上げます。

こんなことやります

大分県豊後高田市で、地域の農家のお母さんたちが街の未来を想って立ち上げた「夢むすび」の未来を共に作る仲間を募集します。夢むすびは、地域に住む人たちの個性が活かされて作り上げられている玉津プラチナ通りの中心に位置する施設で、豊後高田の美味しい農作物が味わえたり、地域の人たちにとっての憩いの場所となっている建物です。これまで夢むすびが作り上げてきた街の風景を受け継ぎながら、新たな仲間を集めより多くの「おいしい」に出会える企画を作ったり、地域の食を通じてみんなが安心できる場所を作ったり、土の人たちの暮らしや文化に寄り添いながら、風の人の持ち込む新たなアイディアで、みんなが誇れる事業として運営していくことを目指しています。 事業を通じてどのような世界観を創っていきたいかという事業構想の部分から、どんな風に意思決定をしどんな風に成果を出すかという経営、具体的にどんな光景を作り出すかという企画、川上から川下までを地元の方々と、僕らFoundingBaseと一緒に創ってくださる方を募集します。 テクニカルなスキルや、経験値も大事ですが、目の前の一人に寄り添いながら地域の風土を創っていく仕事がしてみたいという方、気軽にご連絡ください。
16人がこの募集を応援しています

16人がこの募集を応援しています

+4

話を聞きに行くステップ

  1. 応募する「話を聞きに行きたい」から応募
  2. 会社からの返信を待つ
  3. 話す日程を決める
  4. 話を聞きに行く
募集の特徴
オンライン面談OK

会社情報

2014/02に設立

90人のメンバー

東京都台東区上野桜木1-14-21 高遠レジデンス上野桜木B1F