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マンガに燃え尽きて新たな道へ

正しい使い方をわかっていないのですが、とりあえず“ストーリー”と聞いて僕がイメージしたままを書いてみようと思います。高校卒業以降の僕の人生の歩みです(半分ほど書き上げてから、この一文を書いていますが、「こんな長ったらしい文章を誰が読むんだろう?」という気持ちでいっぱいです……)

高校卒業後、大学進学を目指して浪人するも、当時流行していた格闘ゲームにどハマりしていた僕は、予備校をさぼってゲームセンターに通いまくり……当然、二度目の大学受験も失敗しました。

しかし、東京に憧れていた僕は、とにかく上京する理由がほしくて、当時、渋谷にあったシステムエンジニアの専門学校に入学します。そして、編集プロダクション(以下、編プロ)にアルバイトとして入社…半年後には編プロの仕事に専念するために専門学校を中退してしまいます。こうして、現在まで続く編集者としてのキャリアが始まりました。

二度の大学受験の費用と専門学校の学費は、すべてドブに捨てたようなものなので、我ながら酷い息子だと思います。事の善し悪しはさて置き……東京に憧れる田舎者の頭の中は、「東京で自分にしかできない華のある仕事をする」という漠然とした夢でいっぱいでした。

編プロでの仕事は、まさに「これぞ俺の生きる道!」と思えました。小学生の頃から本が好きで、文章力には自信がありました。しかも、予備校時代にどハマりしていたゲームの記事を作る仕事です。働き始めて2年後にはライターから編集者に昇格し、ライター志望のバンタン専門学校の学生たちに指導しながら、数十冊の攻略本を作ってきました。若いライターたちの詰所は学校の部室のような活気があり、僕はその部活の部長のポジションです。とてつもなく忙しく、2、3日の徹夜は当たり前。それでも「仕事って楽しい!」と思える充実した日々でした。

そうして編集者の仕事を始めて10年ほど経った頃、「編集者となったからにはもっと大きな仕事がしたい」と思うようになりました。ゲームの攻略本は、ゲームソフトの販売本数以上には絶対に売れません。誰かが創ったモノ(ゲーム)を解説する本ではなく、もっと大勢の人に届く本を創りたい。ゲーム以上に大勢に愛され、編集者である自分が関われるエンターテインメント……出版業界の花形であるマンガの編集者になりたい! そして、老若男女に読んでもらえる大ヒット作品を創りたい! そんな気持ちが芽生えました。勤めていた編プロの経営が傾き退社したのをきっかけに、僕はマンガ編集者になるべく転職活動を始めます。34歳の頃です。

そこから10年間は、安定した収入や家族を持つ幸せには背を向けて、マンガ編集者という夢に向かって突き進んできました。狭き門ということは承知していたので、時間がかかっても仕方がない……でも、絶対に諦めない信念で歩んできた10年間です。

最初の転職期間は、マンガの編集者の求人を見つけたら片っ端から応募し、書類選考で落とされる……その繰り返しです。Twitterで知り合った友人の小さな会社でバイトさせてもらい、ギリギリの生活を続けていたのですが、やがて東日本の大震災が起きた3.11がやってきます。友人の会社の経営にも震災の影響があり、いつまでも彼らに甘えていられないということで、とある出版社に再びゲーム関連本の編集者として就職します。

僕が配属された編集部は、ソーシャルゲーム専門誌の編集部でした。当時はGREEやモバゲーがイケイケだった時期で、すでに出版不況といわれる時代でしたが雑誌の売り上げは好調でした。そこでデスク的なポジションを任されていたのですが、僕は「どうにかして部署移動できないだろうか…」と考えるようになります。というのもその出版社には、のちに『ダンジョン飯』をヒットさせる九井諒子さんを発掘したり、カルト的な人気を誇ったマンガ雑誌『COMIC CUE』を作った編集部もあったからです。

そうして3年ほど経つとソーシャルゲームのブームはピークを過ぎ、会社の経営も傾き始めます。そんな折に社長が病に倒れて、社長の交代騒動が起こり……同時に会社は経営を立て直すために希望退職者を募るようになります。所属していたソーシャルゲーム誌の編集部は、そのままの形で別会社に移ることが決まりますが、僕はその移籍の誘いを断り、叶わなければ退職するつもりでマンガを制作できる編集部へ異動する願いを出します。しかし、余裕のない状況だった会社で、その願いが叶うことはありませんでした。

こうして再び無職になったのですが、再び気兼ねなくマンガ編集者になる夢を追うことができる清々しさもありました。最初の転職期間では箸にも棒にも掛からなかったのですが、その時の反省を生かして、採用のハードルが低いであろう成人向けマンガの編集部……つまり、エロマンガの編集部も選択肢に入れて求人に応募するようになります。エロマンガとはいえマンガ編集者としての経験は積めます。また、昨今ではエロマンガ出身の作家が一般誌に移籍して、大ヒット作を生む例が幾つもあります。成人向けでも有能な作家を発掘できれば、マンガ編集者のキャリアにおいて必ず資産になると考えました。その狙いどおり、成人向けの電子コミックを制作する会社に採用され、ようやく僕のマンガ編集者としてのキャリアがスタートします。

マンガ編集者は、繋がりのある有能な作家の数が編集者の資産とされている世界です。抱えている作家がゼロだった僕は、Twitterやpixiv、同人誌の即売会を巡り、とにかく大勢の作家の卵に声をかけました。絵が上手くてもマンガを描けるとは限らないこと、マンガを描けても読者や市場に合わせた作品を描けるとは限らないこと、才能はあっても商業作品はやりたくないと思っている同人作家がいること、才能に頼らず売れる努力を惜しまない作家が成功するということ……いま思えばどれも当たり前のことですが、大勢の作家の卵に声をかけることで、それらを身をもって知りました。やがて担当する作品のなかからヒットするものがチラホラ生まれるようになり、一般ジャンルでも勝負できると思える才能ある若い作家と巡り合うこともできました。ストーリーのカバーにしている画像は、その作家の作品です。彼とは「いつか一般ジャンルの作品で勝負しようぜ」と熱く語り合ったものです。

そして2017年の暮れに、その彼から「講談社のメジャーな一般誌で連載を獲得した」と連絡を受けます。同じ夢を語り合った仲として祝福しながらも、正直、かなり焦りました。先を越されたという気持ちです。ほそぼそと求人情報はチェックしていたのですが、そこから僕も一般ジャンルに移るため、本腰を入れて転職活動する決意をします。そのために会社に自分の意思をハッキリ伝え、1年間だけ在職しながら転職活動を続ける猶予を頂きました。成人向け作品を一生作り続ける意思はないので、転職が叶わなくても1年後には退職するという約束です。

マンガ編集者として数年のキャリアを積んでからの転職活動なので、これまでとは違い手応えはありました。いくつかの編集部に面接していただきましたし、「もっとキミのことが知りたいから」と某雑誌の編集長とサシ飲みさせていただく機会もありました。ただ、採用にはいたらず、会社にもらっていた猶予の期間も刻々と過ぎていきます。

この1年間の転職活動中、幾つかのマンガ誌が廃刊するのを目の当たりにしました。いまマンガ業界は、紙からデジタルへ移行する過渡期の最中です。自社でマンガアプリを運営できていない出版社や制作会社は、今後どんどん厳しい状況に追い込まれるはずです。そんな未来が見えているので、一般ジャンルをやれる職場なら何処でも良い……と言えなくなっています。年齢的なことを考えれば、一生腰を据えてマンガの仕事ができる、そんな会社に転職できなければ意味がありません。

そして、会社からもらった猶予期間が終わる2019年3月……集英社に書類選考がとおり、面接してもらえる機会を得ました。格的にもタイミング的にも運命を感じました。間違いなく今後もマンガ業界の先頭に立ち続ける大出版社ですし、大勢の才能ある作家が自ら集まってきてくれる……僕にとっては夢のような職場です。これが10年間抱き続けてきた夢を叶える、最後のチャンスという思いで面接に臨みました。結果、砕け散りました。

意気込みが強すぎて、面接中に自分が空回りしていることをはっきり意識しました。取り返そうと焦るほど、まとまりのないお喋りが止まらなくなってしまい、面接が終わる前に「あっ、終わったな」と確信しました。ここぞという場面で自分史上最低の面接をやらかして、自分の“持ってなさ”に笑ってしまいました。ただ、「マンガ編集者として大ヒット作品を創る」という夢に、いい区切りがついたとも思っています。本気で願い続けた10年越し夢に諦めがつきました。

いまの僕の夢は、編集者としてのスキルを活かせる将来性、安定性のある仕事に就いて、ないがしろにしてきた幸せな人生を歩むことです。新しいことを始める年齢としては厳しいんじゃない? と思われるかもしれませんが、僕は根っからの挑戦者気質です。10年間、夢を追い続けた諦めの悪い人間です。目標を持って仕事をすることが大好きですし、「成功したい!」というガツガツした気持ちはまったく衰えていません(良くも悪くも…なんですけど、見た目も若いとよく言われます)。

自分でもこんなに長文になるとは思っていませんでした。自己PRのつもりで書き始めましたが、途中から自分のために人生を振り返りるつもりで、思わず熱が入ってしまったところがあります。こんな駄文を最後まで読んでくれる人はいるのでしょうか? もし、そんな優しい方がいるのなら、心から感謝します。ありがとうございました。