COO/CHRO代行のリアル(新規事業編)① ~頓挫の正体は、組織にある~
【サマリー】
新連載「COO/CHRO代行のリアル(新規事業編)」を始める。テーマは、理論と現実の間にある「見えない壁」だ。新規事業のセオリーは、今や書籍でもネットでも手に入る。しかし地図があっても、車が動かなければ遭難する。社長が「よし、やろう」と決断した翌週、なぜ現場は止まっているのか。その構造を、現場で泥をかぶってきた私が正直に話す。
【本文】
深夜0時のLINE
「小曽根さん、うちの新規事業、また止まりました」
メッセージが届いたのは、深夜0時を過ぎた頃だった。私はちょうど翌日のクライアント資料の最終確認を終えて、コーヒーを飲もうとしていたところだった。
正直、少し身構えた。深夜にこの文面を送ってくる社長は、たいてい相当追い詰められている。
送ってきたのは、愛知県で金属部品の製造業を営む村瀬さん(仮名)だ。50代前半。従業員38名、年商9億円。三代目として父から会社を引き継いで7年が経つ。工場の現場には毎朝7時には顔を出す。会議ではほとんど自分から話さない。口数が少なく、感情をあまり表に出さないタイプだ。ところがLINEの返信だけは異様に早い。深夜でも、送ってから1分もかからず既読がつく。最初にそれに気づいたとき、「この人は相当孤独に考え続けている人だ」と思った。
既存の受注事業は堅調だが、大手1社への売上依存度が60%を超えている。「このままでは10年後に会社が消える」という感覚は、7年間ずっと心の底にあったらしい。
半年前、その村瀬さんは決断した。新規事業で自社ブランドを立ち上げる、と。
製造現場を熟知する中堅社員を一人アサインした。予算は年間500万円を確保した。スタートアップ系の教科書を何冊も読んだ。セミナーにも出た。PSFだのPMFだの、フレームワークも一通り理解した。「これで動ける」と思った。それでも、止まった。
私はその夜、こう返信した。
「止まった理由、明日聞かせてください。たぶん、理論には載っていないことが原因です」
翌朝9時。私はZoomをつないだ。画面の向こうの村瀬さんは、思ったより消耗していた。目の下に隈が滲んでいた。これは想像より深刻だ、と私は思った。
「地図」を持っていても、なぜ遭難するのか
新規事業のセオリーは、確かに存在する。
課題の質を高めること。ユーザーインタビューで仮説を検証すること。MVPで早く市場に出ること。理論として、これ以上ないほど正しい。私自身、60社以上の支援現場で繰り返し実践してきた。
しかし痛感していることがある。
地図があっても、車が動かなければ遭難する。
村瀬さんから聞いた話はこうだった。
担当者が最初の顧客候補にメッセージを送ろうとした、その日の午後のことだ。
上司に「ちょっと待ってくれ」と声をかけられた。「社内の承認、まだ取れていないよね?」。担当者は一瞬、固まった。先週の全体会議で社長がGOと言っていたはずだ。しかし上司の表情は、「私は聞いていない」と物語っていた。
承認を取るには、事業計画書が必要だという。事業計画書を作るには、市場規模のデータが要るという。データを取るには、外部のリサーチ会社に頼む必要がある。見積もりを取ったら150万円だった。担当者が恐る恐る上司に伝えると、「今期そこまでの予算は出せない」と一言で返ってきた。
担当者はその日の夕方、誰にも言えないまま自席でパソコンを閉じた。
村瀬さんはこの話をしながら、一度だけ口を真一文字に結んだ。言いたいことが山ほどあるのに、言葉にならない人間の顔だった。
気づけば3ヶ月が過ぎていた。顧客には一度も会っていない。
私はその話を聞きながら思った。この構造、何十回見てきただろう。正直に言うと、「また同じパターンか」という感覚もあった。しかし同時に、「この担当者はまだ折れていない」とも感じた。それが救いだった。
これは能力の問題ではない。担当者の熱量の問題でもない。組織の構造の問題だ。
社内新規事業が頓挫する、3つの壁
60社の現場で繰り返し見てきた「壁」を、正直に整理する。
壁①:評価制度の壁
新規事業は、短期では必ず赤字だ。当たり前のことだ。しかし多くの会社の評価制度は、今期の売上と利益で人を評価する。中間管理職も同じだ。担当者は無意識に「失敗したくない」と動く。だから動かない。動かないことが、最も安全な選択肢になってしまう。
ある会社では、新規事業担当者が半年後に「成果が出ていない」と評価を下げられていた。社長は「本人のやる気の問題だ」と言っていた。違う。仕組みの問題だ。私がこれを言い切れるのは、同じシーンを何度も見てきたからだ。問題は常に人ではなく、設計にあった。
壁②:承認プロセスの壁
既存事業のルールで、新規事業を裁こうとする。「前例がない」「リスクが高い」「もう少し精度を上げてから」。こうして、スピードが命のはずの初期フェーズで、組織の重力に引っ張られていく。
「CPFフェーズ」—顧客の課題を本当に理解する段階—は、スピードと試行回数が全てだ。それなのに、承認を取るだけで3ヶ月消えた。3ヶ月あれば、20人の顧客と向き合えた。
壁③:リソースの壁
「片手間でやれ」と言われる。本業を抱えながら、隙間時間で新規事業をやれと。これは、片手で泳いで対岸まで渡れと言うのと同じだ。
私が見てきた失敗事例の8割は、ここに起因していた。優秀な人間が、時間も権限も与えられずに「あとよろしく」と放り込まれる。これを聞くたびに、腹が立つと同時に、切なくなる。本人は一生懸命なのだ。環境が、その熱量を殺している。
理論は正しい。しかし理論は、この3つの壁を越える方法を教えてくれない。それは組織の内側に入り、泥をかぶって初めてできることだからだ。
私がやることは、スライドを作ることではない
冒頭の村瀬さんの話に戻る。
私がその会社に入って最初にやったことは、事業計画書を作ることでも、市場調査をすることでもなかった。
村瀬さんと一緒に、承認プロセスを壊した。
正直に言う。社長に「宣言してほしい」とお願いするのは、いつでも緊張する場面だ。経営者のプライドに触れる話だからだ。断られることもある。
「それは私がやることだ」と一言で終わる社長もいる。しかし村瀬さんは、少し考えた後で「わかった」と言った。
「この新規事業に関しては、担当者が直接私に報告する。中間の承認は一切不要。動いた結果の報告だけでいい」
村瀬さん自身の口から、全社員の前でそう宣言してもらった。たった一言だ。しかしその一言を発するとき、村瀬さんは少し間を置いた。「現場が混乱しないか」と。
「混乱します」と私は言った。「でも、その混乱を一緒に整理するのが私の仕事です」
村瀬さんは黙って、うなずいた。そのうなずき方が、妙に力強かった。腹をくくった人間の顔だった。
翌週には最初のユーザーインタビューが動き始めた。担当者は「こんなに自由に動いていいんですか」と、少し困惑した顔で私に聞いてきた。いい困惑だ、と思った。こういう表情を見るとき、私はこの仕事をやっていてよかったと思う。
綺麗なスライドを作るコンサルは、世の中にたくさんいる。
私がやりたいのはそこではない。組織の中に入り、壁を壊し、最初の一件を一緒に売りに行く。そういう執行責任者としての役割だ。
理論という地図は、すでにある。あとは、その地図を手に、泥沼を一緒に突き進む人間が必要だ。
それが、私の仕事だ。
【この記事のまとめ】
・社内新規事業が頓挫するのは、理論の問題ではなく組織構造の問題だ
・「評価制度」「承認プロセス」「リソース」の3つの壁が、担当者の動きを止める
・地図(理論)だけでは遭難する。壁を壊しながら泥をかぶる執行者が必要だ
【よくある質問】
Q. 新規事業担当者を採用すれば解決しますか?
A. 採用だけでは解決しません。どれだけ優秀な人材を入れても、組織の構造が変わらなければ同じ壁にぶつかります。私が支援してきたなかで、「優秀な人を外部から採ったのに動かない」という相談が最も多い。人を変える前に、仕組みを変えることが先です。
Q. 小曽根さんはどんな形で関わるのですか?
A. 外部アドバイザーとしてではなく、内部の経営幹部として参画します。社長と並走しながら、承認プロセスの整理から最初の顧客獲得まで、手を動かして伴走します。月1回の会議室での報告は、私のやり方ではありません。
【次回予告】
COO/CHRO代行のリアル(新規事業編)②
~社長、その思い込みがPMFを阻んでいる~