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「面白い」を探しに。「楽しい」を広めに。

ということで「仕事とプライベートを分けて就職したけど結局好きなことしか続けられないんだなぁ」と転職活動を始める人間の自己紹介、どうぞ。

1.誕生 

1990年、九州、西の端の佐世保にて四姉妹の末っ子として生まれる。

 良い意味で放置主義(「自分で好きに選びなさい。そのかわり責任も自分のもの」が口癖)の母親と、大抵のことは「とりあえずやってみれば?」のひとことで済ます父親のもとで育つ。

田舎の山を駆けずり回ってオリジナルの秘密基地だらけにしたり、キックボードで公園を爆走して4針縫う怪我をしたり、美術部と陸上部と硬式テニス部を兼部するバイタリティに溢れていたりとのびのび育つ。ただし身長はのびのび育つことなく、こじんまりとしたサイズで落ち着く。


2.大学時代から専門学校、飲食業に就職

 高校を卒業した後は、当時どハマりしていた小説の舞台になっていたというだけで京都の大学に進学。ご想像のとおり寺社巡りとおしゃれなカフェ発掘に精を出す。ジャズサークルにも入りサブカルレベルがみるみるうちに上がっていく。

やっていたバイトがバルの深夜帯だったために見ることができたのが深夜アニメしかなく、あれよあれよとアニメにハマる。昔から小説を書くことが好きだったので二次創作活動も行う。同時期にライブにも行くようになってしまったために、学業、バイト、サークル、アニメ、創作活動、ライブ(遠征含む)をこなせる体力が身についてしまう。またライブ関連の友人をインターネットでたくさん作り、「推しの変わり目が縁の変わり目」、「インターネット交友関係三年自浄説」と言われる昨今、結婚式に呼んだり呼ばれたりと末長い関係を築いている。

 就職活動にあたり出版系を受けるも氷河期直撃で箸にも棒にもかからず、もう一度振り返って考える。

 たとえひとりになっても生きていけるスキルを身につけようと思い立ち、人と接するのが好きだったし料理好きだしいつか自分の城を持てたらいいなとぼんやりした考えのまま、どうせやるなら一番いいとこでやろうと必死にお金を貯めてエコール辻東京に入学。調理実習と座学と課題と予習復習と、生きていくためのバイトを大学時代に培った体力でこなしきる。

 調理、となると業界が専門的すぎてあまりわからないかもしれないが、みなさんが思う以上にチームプレイで成り立っている。お客様に美味しい料理を提供するという最終的なゴールに向かって、各々がたくさんの仕込みを行うのだが、そのフローのなかで遅れているセクションがあればみんなでそれをフォローする必要があるし、アレルギー対応やメニュー構成で知恵を出し合う機会がある。

 作る人間だけじゃない。それを提供するサービスマンがいる。材料を納品する業者がいる。調理機器を扱う業者がいる。それらすべてとコミュニケーションを取らなければならない。オーナーシェフがひとりで切り盛りしているような個人店ならともかく、たいていのレストランはひとつの料理を作り上げるためにたくさんの人間が関わりあう。

 というのを調理学校、またその後に就職したレストランで骨の髄まで叩き込まれる。就職した先のレストランはわからないなら蹴りで覚える、のようないわゆる昭和的な考えの職場ではなく、言葉を尽くして指導してもらう。ひとつのセクションをまとめていたが、そこでチームプレイの大切さやチームビルドの意義、後輩の育成など調理スキル以外の部分も成長する。調理場はめまぐるしいスピードで状況が変化するために指示する言葉も気をつける。おかげで簡潔でわかりやすい指示の飛ばし方を身につける。yesかnoかで相手が答えられる質問の用意には自信がある。


3.そして転職へ 

 しかし超が三つつくほどの過酷な労働により転職を決意。仕事とプライベートをわける考え方だったが実際に働いてみて「好きなことじゃないと仕事として続かないな」と手のひらを返す。もちろん料理は今でも好きだが。作るのも食べるのも。しかし仕事としてはきっと長く続かない。

好きなことは?と原点に立ち戻って考えた時に、

文章を打つこと

人と関わりを持つこと

「面白い」にアンテナを立て続けたい

が残る。

 レストランで働いていた時期でもずっと文章を書きたい欲が自分の中にあった。むしろ仕事が辛い時こそその欲がむくむくと大きくなり、留めるのが大変だった(もちろんアウトプットする時間もないために波が過ぎ去るのを待つだけなのだが)。過酷な時期を乗り越えたこの感情は、きっと「好き」なんだ。

二つ目は料理を始めた時にもあったしずっと変わらないだろう。人と人が関わる瞬間が好きだ。人の繋がり合いのパワーを信じているし、もっと信じていたい。その場所を提供したいし、そのパワーを生み出す手伝いがしたい。

三つ目はレストランで働いていた時に徐々に死んでいく感情だった。たくさんの感情をすり減らして生きていたので、特に転職に際してはこの気持ちをガソリンにして新たなキャリアを形成していきたい。