1
/
5

~eizosacの半生~


ストーリー記載欄ということなので、実際にこれまでの半生を綴ってみたいと思います。

【出生~少年時代】

生まれは岩手県岩泉町。その中の、人口約90人の小さな集落の生まれ。

そこは日本最大の公有林を有するマツタケ生産日本一の集落。

未知の動物が生息していてもおかしくなさそうな大自然の村。

朝9時に鬼ごっこがはじまり、村中を駆け回る。解散するのは夕方4時。

川に入って魚の掴み取り。37匹捕まえて大人達に振る舞ったり、猫にあげたり。

そんな野生児そのままの幼少時代を過ごしました。

なお、初めての誕生日プレゼントは「セミの抜け殻」でした(笑)


【中学時代】

中学時代は毎日、どうやって人を笑わせるかだけ考えているような人間でした。

福山雅治さん、山寺宏一さんのモノマネはこのときに習得しました(どうでもいい情報)。

2学年の暮れになって、応援団長に立候補。

オリジナル応援歌を製作し、母校の生徒手帳に名前と共に今でも掲載されています(第3応援歌)。

【高校時代】

相変わらず応援活動が好きで、応援団副団長を務めていましたが、高3の夏に6年間酷使し続けた喉がとうとう壊れました。声がかすれて出なくなり、今でも後遺症で声がかすれやすいですが頑張った成果だと誇らしくさえ思っています。

一番の思い出は、初めての彼女ができ、その彼女から一週間後に「ごめん、バツゲームだったの」と言って振られたことです!

それ以後、このエピソードはネタとなっていい仕事をしてくれております(ニッコリ)。

【社会人】

高卒で入った地元の役場では保健福祉課、町民課、林業水産課を経験。

世の中の仕組みを学べたこと、刺激的な人物からお話しを聞かせていただけたこと等が人生の財産になっています。

特に、イトーヨーカドーさんにおける、九州や東北などの「エリアマネージャー」を統括されているある方からの「私は商品を見て買わせていただいてるんじゃないんです。eizosacくん、人だよ。人。」という言葉は今でも忘れられません。

その年度、各量販店さんに営業の大攻勢を仕掛けました。結果、所得350万円の農家さんの所得が1,100万円になるという町を賑わす快挙を達成。

全国的にも成功事例として紹介いただけるほどの実績を残すことができました。

(ちょっと裏話をすると、例えばピーマンは農協が手数料として45%を徴収しているのです。これを直販にするのは、町と農協の関係性をゆるがしかねない繊細な問題だったのですが、農協にも旨味をもたらす工夫を考え実現に至りました。)

自分のアイデアは人を喜ばすことが出来る。社会人として初めて強い達成感が得られた出来事でした。

以後の私は、徐々に抱くようになった「自分で事業を立ち上げたい」という思いを実行に移すため7年間お世話になった役場を退職。


自分が好きなことで地元に貢献したいと考えた末、介護事業の立ち上げを目指すことにしました。

地道に必要な資格を取得していき、更に、介護経験5年で受験資格が得られるケアマネを受験し、運良く一発でケアマネに合格。ようやく「居宅介護支援事業所」を立ち上げたのは2017年。

しかし、ここでまさかの平成30年法改正。3年の猶予をもって、主任資格のない介護支援専門員が管理者を務める居宅事業所は存続できないことが発表になりました。

存続のための猶予が2年足りない計算です。正に、介護業界に激震が走った年となりました。

このため、財政状況等を併せて鑑みた結果、事業所を閉鎖することとしました。


それから、私は再び自分と向き合い、自分が何が出来るか。何が好きか。考えました。

それは動画を作って、喜んでもらうこと。

しかし私は36歳。今から自分にできるだろうか。

勇気を出して家族に相談しました。

母から「本当にやりたいと思ったことに、遅いなんてことはない。」

この言葉を聞いた翌日、私は映像専門学校であるデジタルハリウッドに入学願書を提出しました。


まだまだ駆け出しの映像クリエイターですが、誰よりもお客様のことを考え抜いた映像を作りたい。

これまでそうしてきたように、積み上げることは得意です。

一つ一つ、積み重ねて、積み重ねて、

eizosacクオリティを確立したい!!

だから私はこれからも学び続けます。

それが、「お客様のことを考え抜く」ことの実証の根幹だと思うから。