#会社の構造物語|第10話
〜褒め言葉が呪いになる編〜
「君がいてくれて、本当に助かるよ!」
地域で複数の飲食店を経営する社長は、いつもそう言ってくれた。
本部スタッフの佐藤は、その言葉がうれしかった。
最初の仕事は、予約管理と売上集計。
ところが、店舗が増えるにつれて、担当業務も増えていった。
「新店舗のスタッフ採用もお願い!」
「取引先との調整、君なら分かるよね?」
「そうそう、イベントの準備も頼むよ!」
「やっぱり佐藤さんがいると安心だなぁ!」
頼られるたびに、仕事が増える。
いつの間にか佐藤は、店舗運営から経理補助、採用、イベント事務局まで担当するようになっていた。
一方、ほかの社員には、それぞれ明確な担当業務があった。
「それは佐藤さんの仕事ですよね?」
「こっちも自分の仕事があるんで」
「今まで佐藤さんがやってたじゃないですか」
佐藤が仕事を分担しようとしても、返ってくるのはそんな言葉ばかり。
社長から仕事を渡されることはあっても、佐藤が誰かに仕事を割り振る権限はなかった。
みんなには自分の仕事があった。佐藤にだけ、みんなの仕事があった。
褒め言葉が、呪いに変わる日
ある日、佐藤は意を決して社長に相談した。
「社長、今の業務量だと、もう全部は対応できません」
「え? でも、それも含めて君の役割でしょう?」
「最初に担当していた仕事から、かなり増えていて……」
「任される仕事が増えるのは、期待されてる証拠じゃない?」
「では、優先順位を決めてもらえませんか?」
「そこは自分で考えて動いてほしいな」
佐藤は言葉を失った。
仕事が嫌になったわけじゃない。
会社の成長はうれしかったし、仲間の役に立ちたかった。
ただ、一人で抱えきれなくなった仕事を、どうすれば回せるのか相談したかった。
それなのに。
「あなたがいないと困る」
かつてうれしかった言葉が、今では逃げ道をふさぐ呪いのように聞こえた。
その日、佐藤は退職を決めた。
辞める前に、できることはありますか
退職を決めた佐藤は、知人の紹介で構造設計Pに相談した。
「私がもっと上手に仕事を回せていたら、こんなことにはならなかったんでしょうか」
「そうは思わんよ」
「でも、みんな忙しいし、私が頑張れば何とかなると思って……」
「うん。その気持ちは分かる」
「どうしてですか?」
Pは少し笑った。
「……昔、似たようなことを考えてたからかな」
Pは佐藤の話を聞き、仕事の整理方法を一緒に考えた。
ただし、会社全体の役割や権限を変更するには、経営者の判断が必要になる。
「私が社長に代わって組織を変えることはできんのよ」
「そうですよね……」
「でも、自分の限界を伝えることと、会社の仕事を全部背負うことは別やで」
佐藤は退職日までに、担当業務の一覧と、残せる範囲の手順をまとめた。
引き継ぎ先は、最後まで決まらなかった。
あの人が辞めて、会社が回らないんです!
数週間後。
Pのもとに、ある飲食店経営者から相談が入った。
「あの人が突然辞めてしまって! 何がどこにあるのか分からないんです!」
「引き継ぎ期間は?」
「1か月ありました!」
「……突然ではないなw」
Pは社長から正式な依頼を受け、会社の業務を調査することになった。
Pは佐藤の相談内容には触れず、会社に残された資料と、現在の業務状況だけをもとに調査を進めた。
資料を確認すると、佐藤が担当していた業務は、実に30種類以上。
店舗の予約、売上集計、採用、仕入先対応、イベント、問い合わせ、各種申請……。
しかも、仕事の追加はほとんど社長の口頭指示だった。
「社長、この人の担当外の仕事って何だったん?」
「え?」
「ほかの社員は、自分の担当じゃない仕事を断れるよね」
「はい。それぞれ役割がありますから!」
「じゃあ、佐藤さんは断れたん?」
「いや、あの人は全体を見る役割だったので……」
「全体を見る役割と、全部やる役割は違うで」
社長は黙り込んだ。
引き継ぎが悪かったんじゃないんですか?
「でも、あの人が引き継ぎをちゃんとしてなかったからでしょう?」
社長は納得できない様子だった。
「引き継ぐ相手は?」
「まだ決まってなかったので、資料だけ残してもらいました」
「その資料、誰が確認したん?」
「……確認?」
「引き継ぎが完了したか、誰が判断したん?」
「本人に任せていたので……」
Pはペンを置いた。
「社長、引き継ぎって、辞める人が資料を置いていくことじゃないんよ」
「え?」
「次の担当者が仕事をできる状態にして、会社が確認する。そこまで含めて引き継ぎや」
「でも、次の担当者がいなかったんです!」
「それを決めるのは誰の仕事?」
「……僕です」
社長「でも、佐藤さんの正解を教えてもらわないと、会社が崩れると思うんです!」
Pは社長を見た。
P「社長、正解って何?」
社長「今まで佐藤さんがやっていた方法ですよ。それが分からないと、誰も判断できないじゃないですか!」
P「佐藤さんがやってたことが、全部正解やったん?」
社長「いや、それは……でも、あの人が一番分かってたので」
P「だったら、今いる人たちで考えようよ」
社長「でも、間違えたら困るんです!」
P「間違えないための判断基準を作る。誰が決めるかも決める。それが仕組みづくりやろ?」
社長「それでも、佐藤さんに聞くのが一番早いと思うんですけど……」
Pは静かに答えた。
「正解を作っていくのが、会社の役目でしょ」
P「佐藤さんは、会社の正解を一生預かっておく人じゃないんよ」
「社長、まずひとつ約束して」
「何でしょう?」
「辞めた社員には、業務の問い合わせを一切しないで」
「ええっ!? でも、本人なら5分で分かることなのに!」
「その5分を何百回も頼った結果が、今なんよ」
「じゃあ、分からないことはどうするんですか?」
「今いる人で調べる。会社が使える記録を確認する。取引先に聞く。それでも分からなければ、やり方を作り直す」
「時間がかかりますよ!」
「うん。今まで、その時間を佐藤さん一人に肩代わりしてもらってたんやね」
あの人がいなくても、回る会社へ
Pは業務を棚卸しし、店舗ごとに任せられる仕事を分けた。
本部で管理する仕事には担当者と確認者を置き、判断が必要なものは決裁権限を明確にした。
予約管理や売上集計は共通の手順にまとめ、誰かが休んでも対応できるようにした。
最初は、何をするにも時間がかかった。
「佐藤さんなら、すぐできたのに……」
社長がつぶやくたび、Pは答えた。
「そりゃ、何年も一人でやってたんやからね」
「……そうですね」
「でも、次も一人に全部覚えてもらうんじゃ、同じことの繰り返しやで」
数か月後。
社長は、新しいスタッフに声をかけた。
「この仕事、誰か一人しかできない状態になってない?」
以前とは違う問いかけだった。
もう、心配しなくていい
そのころ、佐藤は新しい職場で働き始めていた。
以前の会社から、業務の問い合わせが来ることはなくなっていた。
久しぶりにPと話したとき、佐藤は少しだけ気にしていた。
「前の会社、ちゃんと回ってるんでしょうか」
Pは笑った。
「それは、もう佐藤さんが心配することじゃないよ」
「……そうですね」
佐藤も、少し笑った。
会社の仕事を手放して、ようやく自分の時間が戻ってきた。
構造設計Pのひとこと
「あなたがいないと困る」は、褒め言葉とは限りません。
優秀な人に仕事が集まることはあります。
でも、仕事が増えるなら、役割や権限、体制も見直さなければなりません。
一人の頑張りで成り立つ会社は、その人が頑張れなくなった瞬間に止まります。
そして、退職した人に会社の未完了を背負わせ続けてはいけません。
私がこの仕事を始めた理由のひとつは、頑張っている人が、頑張れるという理由だけで仕事を背負わされる組織をなくしたかったからです。
人を頼ることと、人に依存することは違う。
誰か一人がいなくなっても、仕事が続いていく。
そんな仕組みをつくることが、残る人にも、去る人にも必要なのだと思います。
※この物語は、組織運営で起こりうる課題を題材にしたフィクションです。特定の企業・人物・出来事を描いたものではありません。