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自己紹介

■生い立ち
病弱な幼少の頃に読んだ科学漫画のコンピュータと産業ロボットとOA(オフィスオートメーション)の説明に衝撃を受け、以来、全てのモノの情報化とデジタル制御、そしてそれらがもたらす時間的・精神的余裕。人類が楽をして、できた余裕で知恵を使うことを楽しむ、そんな未来の構築に心血を注いできました。
文明の利器がもたらす時間的、精神的余裕が、人々をもっと幸せに出来る…常々そう思っています。

■略歴
小学生:電子工作→10歳でアマチュア無線免許取得。アマチュア無線店に置いてあったPCに衝撃を受けゲームを自分で作りたい為にプログラミングを覚えBASICに飽き足らず機械語とステップアップ。
中学生〜高校生:自作ゲームの雑誌への投稿→御縁を頂きFM-7/77へバトルシティを移植、電波新聞社より発売→エニックス社のコンテストで入賞したシナリオライター発案のゲームのプロトタイプ開発をしつつ他機種のゲームの移植やドライバ開発も個別に請け負う。
大学生:月刊誌でのBASIC講座執筆、PC98の店頭デモ開発、工場におけるライン制御(今のM2M/IoTに相当)のようなシステム開発を個人で受託。

社会人:1993年にマイクロソフト株式会社へ新卒として入社。Visual C++1.0/2.x/MS Test3.0aのテストエンジニア→Windows95向けCD-ROMマルチメディアタイトルのリードエンジニアへ。Direct Xとなる前のGame SDKを使用したゲーム開発も手伝いつつENCARTAプロジェクトの立ち上げエンジニアに抜擢。その後ローカライズに飽き足らず次は日本から世界へコンテンツを発信すべくゲーム業界を模索。
コナミコンピュータエンタテインメント新宿へ転職。サウンド部門の立ち上げから音声編集、効果音作成、クリエイター向けツール開発、社内インフラ整備も同時に並行しつつ遊戯王DMシリーズの新規開発体制の立ち上げに抜擢、メインプログラムを担当しながら全プロジェクトにおけるデータ管理から世界展開までコンシューマ機での開発総指揮を担当。シリーズ全世界累計3000万本超の販売を達成して遊戯王プロジェクトを卒業。自身のオリジナルタイトルとして任天堂DSでの実用ソフトを試案する中でエンターテインメントからマルチデバイスでのエデュテイメント、ゲーミフィケーションの展開を模索。
インタラクション性が高いUIを通じた新しいインターネット体験が出来る世界の構築を描いてヤフー株式会社へ。放送と通信の融合を見据えたテレビチューナー用API仕様策定からTV向けのインタラクティブなインターネットサービスを可能にするための家電用ファームウェア、ミドルウェア、ハードウェアを含めたプロトタイプの開発に従事→日本で販売が始まったiPhoneへ向けて長年培ったクライアントサイドにおける開発の知識と経験を活かしヤフー初期のiOS向けネイティブアプリケーション開発を主導。開発環境から社内ルール整備、社員教育から他社対応まで、当時はPC用ブラウザ向けサービスが主力であったヤフー社内へネイティブアプリケーション開発に関わる全てに於いて獣道からレールを敷き駅を建てるところまで広く深く担当。その後会社のカンパニー制導入に伴いパーソナルサービスカンパニーのテクニカルディレクター、情報セキュリティ責任者、開発本部長としてYahoo!IDを利用したEC以外の主要サービスの技術責任者を歴任。2016年より全社唯一のアーキテクトとして3~5年先を見据えた技術面の全社戦略構想の基礎固めや経営層・上位層への技術アドバイザーに。
その後、本来最も得意かつ興味を持っている分野である、人を中心とした・人を苦役から解き放つ機械化・自動化と情報化の融合=xTechへの回帰を模索、今に至ります。