「認められたくて、生きすぎた」ー適応障害を経験した私の生い立ち
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目次
はじめに
「認められたい、褒められたい」を軸に生きてきた
幼少期~
学生時代~
公務員~
メンタル不調による休職
2度目の休職、結婚による退職
はじめての転職で失敗する
他者評価の脆さ、自己受容と働き方を考える
はじめに
求職者である私が、堂々と病歴について話すのはナンセンスなことかもしれません。
どうしても、世間的にはメンタル不調での休職・退職にはマイナスイメージが付き物だと自分なりに思っています。病歴の事実は伏せて転職活動をするのが通例ですし、そもそも病歴を公開すると転職が難しいというのも世間では当たり前とされているように思います。
ただ、私にとってこの経験が「人間くさい」自分を作ることに繋がっているんじゃないかと思うためにこういった形で記事を書いてみました。メンタル不調を経験した人が次のステップを踏み出しやすい社会になってほしい、その経験をフラットに考えられるような社会になってほしいです。
「認められたい、褒められたい」を軸に生きてきた
幼少期~
私は、4人家族の長女として生まれました。
物心がついたときから、人に褒められることが自分のエネルギーでした。
ピアノを習い、幼稚園で運動会の代表の挨拶や鼓笛隊に入ったり、様々なことに取り組んできました。それもやっぱり褒められたかったんだと、今の私には思えています。
学生時代~
無遅刻・無欠席で、テストは高得点を出して提出物は欠かさず提出。
テストの点数が悪ければ、何がいけなかったのかと自分を責め立てていました。
まさに、「優等生」の自分を確立していきました。
先生に怒られることを嫌い、人の求めることに忠実に従って生きる。
これこそが「正しさ」なんだと思っていました。もしかしたら、勉強や成績や行動で自分を認めてほしかったのかも、と。
公務員~
地方公務員の道を選んだのは、「親を安心させるため」の一択でした。
でも、これも今だから気づくのは特に母親に褒めてほしかったのかもしれません。
「安定すること」が社会で生きていくなかでの「正解」だと大学生の自分なりに考えていました。だからこそ、公務員の道に進みました。
そして、地方公務員として働く自分は「他者評価」をエネルギーに動くことが出来ていました。「成果」を得た先の「評価」。私が働けたのは、これに尽きました。
メンタル不調による休職
入職して初めての人事異動。
児童相談所に行って、ケースワーカーとして従事していました。
私は福祉系の資格を一切持っておらず、現場叩き上げで動くしかありませんでした。
そして、「なぜ、私がこの場所に来たのか」という疑問が拭えぬままの日々でした。
感情労働でありこの業務は、自分にとって辛かった。
それは、「正解が見えない」「他者評価が得られない」「関係者との板挟みにされる」ことによるストレスの積み重ね、そして自らの共感性の強さゆえの自他の境界線の曖昧さがメンタル不調に繋がりました。
半年の休職を経て、同じ職場に復帰。
メンタル不調になったことで、業務軽減をされて、残業もほとんどなくなりました。
でも、なにか自分のなかでモヤモヤするものがあり、この先の人生について内省する時間を多くとって次のステップに進もうかと悩みました。
でも、何か踏み出そうとすると足に絡みつく「公務員」「安定」というワード。
そうやって悩んでいるうちに、次の人事異動が来ました。
私が業務をしていたポジションが年度末をもって無くなることで、女性相談部門に異動となりました。異動してからは、休職前のケースワーカーと同様の業務に戻りました。
対応件数は児童相談部門に比べて極めて少ないものの、相談内容自体は気が重くなるものばかりで人生経験の少ない私には太刀打ちできないものも多かったです。
2度目の休職、結婚による退職
「他者評価」で生きる私は、日々の業務を精一杯頑張って評価を得ようとしていました。
その行動が次第に自らの首を絞めました。他の職員がいるにも関わらず、自分に業務がどんどん振られることになりました。でも、やるしかない。
でも、とある相談対応を機に私は限界を迎えました。
自分に対して心を開いてくれたと思った相談者が、急に心を閉ざしたのです。私は自分を否定されたと感じ、他者評価で生きてきた私には生きた心地がせず、プツリと心の糸が切れて休職に至りました。そして、上京・結婚が決まりそのまま退職となったのです。
はじめての転職で失敗する
上京後、環境を含めた大きな変化によって心身のバランスを崩して思うように転職活動はいかず、苦戦を強いられました。今となっては、自分のことを高く見積もっていたのかもしれません。
そして、内定をいただいた広告代理店に入社。
コピーライター養成講座との出会いによって、この経験をどうにか転職に活かそうとした自分は、本当にこの進路が良いのか分からず、夫を含めた様々な人に評価を求める自分がいました。
しかし、最終的に数か月で限界を迎えました。適応障害を発症し、そのまま退職となって今に至ります。
他者評価の脆さ、自己受容と働き方を考える
他者評価で生きてきた私は、評価されないと動けなくなっていました。そして、評価を求めるために、人から言われる自らの欠点を埋める作業に力を注いできました。しかし、それをいくらやっても自分は満たされず、生きづらい感覚だけがつきまといました。
ですが、夫や友人から「自分は自分のままでいいから」と言われて、自らの一番の味方は自分なのに、その自分がずっとダメ出しをしていたんだと気づかされました。
その経験から、今は「自分を受け入れ」、「自分のできる範囲」で働くことを軸にしたいと考えています。
現在、私は療養をしながら社会復帰を目指しています。
20代に比べて、「長く働く」ことに注力するべく働き方を模索中でありますが自分の人生の限られた時間の中で出来ることをやってみたい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。