介護の仕事をしていた頃、事務所と現場のあいだに距離を感じることがよくありました。
私だけの感覚ではありません。同じ職場の人たちも、似たことを口にしていました。
誤解のないように書いておくと、情報が隠されていたわけではありません。フロアのミーティングがあり、申し送りがあり、伝えるための場はきちんと設けられていました。
ただ、どちらも口頭で、その場限りです。その時間にその場にいた人には届きますが、あとから見返せるものは残りません。そして方針を決めるのはホーム長や統括リーダーの層で、現場に下りてくるのは「こうすることになりました」という結論でした。そう決まった理由は、決めた人のところに残ったままになります。
だから現場は、結論だけを持って動くことになります。迷ったときに確認しに行ける場所はなく、その場にいる誰かに聞くしかない。相手の手が空いていれば、ですが。
必要な人が必要なときにたどり着ける形になっていなかった。今振り返ると、そういうことだったと思います。
私は両側に立ったことがある
今は動画制作のディレクターをしています。業種はまったく違いますが、同じ構造があると感じています。
この仕事では、自分の立ち位置が場面によって変わります。クライアントや上位の担当者から見れば、私は現場側です。決まった方針が降りてきて、それを形にする。一方、編集者やナレーターの方から見れば、私は上流側になります。指示を出し、期日を決め、修正を依頼する立場です。
両方をやってみて思うのは、多くの場合、問題は人ではなく前提が共有されない構造の側にあるということです。上流は作業の実態を知る機会がないために、現場の負担を見誤っていることがあります。現場は方針が出てきた背景を知らされていないために、その意図を読み違えることがあります。
もちろん、本当に現場を軽視している人がいないとは言いません。ただ、私が見てきた範囲では、仕組みを変えれば解消できる行き違いの方が多かった、というのが正直な実感です。
「情報は取りに行くもの」が成り立つ条件
よく言われる言葉です。私もその通りだと思っています。
ただ、それが成り立つのは、取りに行くコストが十分に低いときだけではないでしょうか。手順が多いほど、時間がかかるほど、浸透は遅くなります。
しかもこのコストは、時間だけではありません。人に聞くという方法を取る場合、相手の手を止めていいのか、今がその時間なのか、こんなことも知らないのかと思われないか、という判断がいちいち挟まります。
この負担は、入ったばかりの人ほど大きくなります。つまり取りに行くコストが高い環境では、一番情報を必要としている人が、一番取りに行けない。そういう逆転が起きます。
だから私は、受け取る側の姿勢の問題にする前に、取りに行く距離の方を短くしたいと考えるようになりました。
決まったことには、理由を添える
今はそれを自分のルールにしています。
結論だけを渡されると、受け取った側は理由を自分で想像して埋めることになります。そして説明がないと、否定的に受け取られることもあります。予算の都合で決まったことが「現場のことを軽く見ている」と読まれたりする。決めた側にそんな意図がなくても、です。
どうしても理由をそのまま伝えられないこともあります。守秘義務がかかっている場合や、個人に関わる事情の場合です。
ただ、そのときも「説明できません」で終わらせないようにしています。守秘義務で言えないのか、個人に関わることだから言えないのか、それとも私自身も理由を聞かされていないのか。せめてその種類だけは伝える。
閉じていること自体は仕方がなくても、なぜ閉じているのかが分かれば、受け取る側は変な想像をしなくて済みます。扉を閉めるなら、札くらいは掛けておきたいと思っています。
目的だけでは、判断はできない
具体的な実装のひとつが、マニュアルの書き方です。
手順だけを書いたマニュアルは、想定内の作業しか支えられません。たとえば「テロップは白文字に黒縁」とだけ書いてあれば、その通りにはできる。でも背景が明るくて、縁取りでも読みにくい素材が来たとき、手順しか知らない人は止まるか、自己判断で決めるしかありません。
そこで目的を書き添えます。「明るい背景でも読めるようにするため」と一行あるだけで、何のためのルールかが分かります。
ただ、目的だけでは、まだ足りません。読みやすさのために変えていいのか、それとも守るべき基準があるのか。目的からは決まらないからです。
なので、目的に加えて、調整してよい条件や、守ってほしい基準も書くようにしています。音量は目安の数値をもとに調整してもらう。指定しているサイトに合うイラストが見つからなければ、自分で探してもらって構わない。構成は視聴者が理解しやすいことを優先して調整してよいが、全体のテーマからは外れないようにする。そういう書き方です。
目指しているのは、確認せずに進められる状態ではありません。自分で判断していい場面と、確認した方がいい場面の区別がつく状態です。
実際に、マニュアルを使っていた編集者の方から「最初は強調を入れる箇所の判断で手が止まっていたが、マニュアルに慣れてからは迷いが減った」という趣旨のことを言ってもらえたことがあります。操作の速さではなく、判断の部分でそう言ってもらえたのは、印象に残っています。
ただ、正直に書いておくと、それで全部が解決したわけではありません。同じ方から、構成やまとめ方の部分ではまだ迷う、という話も同時に出ていました。別の方とは、テロップを文脈ごとにまとめるか、短文で刻むかという、表現のすり合わせも必要でした。
目的や基準を書けば判断がそろう、というほど単純ではありません。ただ、迷ったときに戻れるものがあると、すり合わせがしやすくなると感じています。
現場の実態を上流へ:聞く仕組みを持つ
ここまでは上から下への話ですが、これだけだと一方通行です。
なので、現場の実態を吸い上げる側も仕組みにしています。
ひとつは、工程ごとの作業時間を聞くこと。素材の準備、カット、テロップ、最終確認。それぞれにどれくらいかかっているかを聞くと、こちらが軽く考えていた作業が実は重かった、ということが分かります。単価や納期を決めるときの前提が変わります。
もうひとつは、マニュアルを使う人にレビューしてもらうこと。経験のある編集者の方に、新しく入った人が効率よく作業できる内容になっているかを見てもらっています。これは作業時間を使ってもらうことなので、報酬をお支払いしています。作った人間には、自分のマニュアルの分かりにくさは見えません。
そして、契約が終わるときには理由を聞くようにしています。指示は分かりやすかったか、素材は足りていたか、何が負担だったか。答えたくなければ答えなくていい、と添えたうえで聞きます。終わったあとにしか出てこない本音があるからです。
ただし、量を増やすことではない
ここまで書いておいて何ですが、資料を増やせばいいという話ではありません。
ドキュメントが増えれば、今度は更新と参照そのものが負担になります。どれが最新か分からない資料が三つある状態は、資料がひとつも無い状態と大きくは変わりません。
距離を短くするというのは、量ではなく、どれが最新で、誰が決めたもので、どこを見ればいいかが一つに定まっている状態のことだと思っています。
結局のところ
立っている場所が違えば、見えているものが違う。それ自体は当たり前のことです。
だから必要なのは、どちらかが正しさを主張することではなく、お互いの前提が見える状態を作ること。上流の考えは理由として現場に、現場の実態は具体的な数字や声として上流に。
相手に主体性を求めるなら、主体的に判断できる条件もこちらが整える。介護の現場で足りないと感じていたことを、今はそういう形で仕事に落とし込んでいます。