【阪田和典】鳴らないベルを追いかけてみた
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仕事をしていると、目には見えないのに確かに存在している合図のようなものを感じる瞬間がある。誰かに呼ばれたわけでもなく、通知が来たわけでもないのに、今だという気配だけが空気に浮かぶ。私はその正体のわからない合図を、ずっと鳴らないベルのように感じている。ベルが鳴ったわけではないのに、どこかで音がしたように思い込んでしまうことがある。そんな曖昧な感覚に振り回されるのは非効率だと思いながらも、どうしてか私はその気配を無視できないでいる。
ある日、作業の合間にふと立ち止まり、この鳴らないベルの正体を探ってみたくなった。私は自分の行動を振り返り、どんなときにベルが鳴ったように錯覚するのかを思い出そうとした。多くの場合、自分がほんの少しだけ踏み出せずにいる瞬間だった。まだ確信はないけれど、何かを始めたい気持ちがじわじわと大きくなり、その気配がベルの音にすり替わっていく。外から聞こえていると思い込んでいたものが、実は自分の内側で鳴っているのだと気づいた。
そう思うと、鳴らないベルに対する印象が変わっていった。以前は焦らせる存在だったのが、いつの間にか小さな背中押しに変わっていた。誰かから言われたわけではなく、自分の中で生まれた感覚こそが、本当に動き出すべきタイミングを教えてくれていたのだ。私はその感覚をもっと信じてみようと思い、しばらく観察することにした。
日常の中でこのベルは思っていたより頻繁に鳴る。新しいアイデアが浮かんだとき、興味を引かれる事例を見つけたとき、知らない分野の話題に心がざわついたとき。そのざわつきは、今までただの気まぐれだと思っていた。しかしよく向き合ってみると、ざわつきの中に明確な方向性が潜んでいるのがわかった。自分の中の好奇心が声をあげているだけなのだ。鳴らないベルは、その声を私に知らせるための仕組みにすぎないのかもしれない。
それから私は、ベルが鳴ったように感じたら行動に移すようにした。大きな一歩を踏み出す必要はない。関連する記事を一つ読む、軽くメモを書いておく、関係する人に連絡してみる。それだけでもベルは満足したかのように気配を静めていく。行動しないでいると、ベルはずっと小さく鳴り続ける。それがいつしか焦りに変わる。それならば早めに答えてしまった方がいい。
鳴らないベルを追いかけることで、自分の動機の輪郭が以前よりくっきりしてきた。外からの評価や明確な指示がないと動けないと思い込んでいたが、本当は内側からの小さな衝動だけで十分だった。ベルは鳴っていないのに鳴ったように聞こえる。それは、もうすでに行動を望んでいる証拠なのだ。
これからどんな場面でも、この鳴らないベルが私の背中を静かに押し続けてくれる気がしている。音が聞こえなくても、確かにそこにある合図を頼りに、また一歩進んでみようと思う。