風の道、祈りの庭
風の道、祈りの庭
― 島をめぐる旅の終わりに ―
夕暮れの風が、店の庭を通り抜けていく。
軒先に吊るした風鈴が、小さく鳴った。
音に混じって、どこか懐かしい匂いがした。
豆腐を炊く香り、塩の結晶が乾く匂い、
月桃の葉の青い香り、黒糖を焦がす火の匂い。
それらがいっせいに風に乗って、
まるで誰かが「おかえり」と囁くようだった。
ふと、厨房の窓の外を見ると、
そこに旅で出会った人たちの姿が見えた気がした。
比嘉さんは、釜の前に座り、
湯気の向こうで豆腐を寄せている。
その手は相変わらず静かで、確かだった。
「風が穏やかな日は、豆もやさしく固まるんですよ」
あの日の声が、心に響く。
浜辺では新里さんが、塩の釜を見つめていた。
白い結晶をすくい上げながら、
「これは海の祈りそのものさ」と微笑んでいる。
その背に当たる西日が、塩の粒を金色に光らせていた。
高台の家では、ツルさんが月桃の葉を編んでいる。
「包むってのは、守ること」と言っていたあの手が、
今も変わらず風を撫でている。
風に揺れる葉の音が、子守唄のように響いた。
そして、火のそばには上原さん。
黒糖をかき混ぜながら、
「苦みを抱いてこそ、甘さが生まれる」と呟く。
火の明かりに浮かぶ横顔が、
まるで祈るように穏やかだった。
そのすべての風景が、私の中でひとつにつながっていく。
海と山、火と水、祈りと手。
それぞれの仕事が、それぞれの場所で、
静かに命を支えている。
私はその真ん中に立ち、
ひと皿を通して、人と自然を結んでいるのだと気づく。
夜、店を閉める前に、庭に出た。
月が昇りはじめ、月桃の影がゆらゆらと揺れている。
風が頬を撫で、遠くで波の音がした。
その瞬間、胸の奥から言葉が浮かんだ。
──「食べることは、生きること。
生きることは、祈ること。」
この旅の終わりに、私はようやくその意味を知った気がする。
風は、島のどこにいても吹いている。
祈りは、誰の手の中にもある。
明日もまた、台所に立とう。
風の道を感じながら、祈りの庭の真ん中で。
そして、この島の味を通して、
誰かの心に小さな灯りをともせますように。
終章あとがき
この旅で出会ったのは、“食材”ではなく“生き方”でした。
それぞれの人が、風と共に生き、祈りながら働いている。
その姿が、私に料理の意味を教えてくれました。
これからも、島の風と共に、
ひと皿の中に“ありがとう”を込めて。