【新堀武司】風の声を翻訳した朝の話
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朝の通勤路で、ふと足を止めた瞬間に、自分でも驚くほど強烈なひらめきが降ってきた。風の流れがいつもと違う方向から吹き抜けていったのだが、その一瞬の感触が妙に鮮明で、まるで誰かが意図してメッセージを渡してきたように思えた。もちろん風が話しかけてくるなんてありえないのだけれど、あの日の僕はなぜかその可能性を真っ向から否定できなかった。むしろ、もし風に意思があったらという前提で物事を見てみると、日々の景色はこんなにも違って見えるのかと驚いたほどだ。
歩きながら気付いたのは、普段僕らが見逃している変化のほとんどが、誰にも拾われずに流れていってしまうということだった。風が葉を揺らす角度やスピードは、ほんの少しの変化でも意味があるように見える。速く吹き抜けた時には背中を押されているように感じ、ゆっくり通り過ぎる時には耳元でそっと何かを囁かれているようだった。仕事で行き詰まるたびに、つい理屈で考えすぎてしまう自分にとって、風の曖昧さはむしろ救いに近かった。意味があるようでない、その不確かさが新しい視点を生んでくれる。
そのまま会社に向かう途中、風が突然強くなって、ポスターがはためく音が大きく響いた。その瞬間、何かが弾けたようにアイデアが浮かんだ。人間が使う言語ではなく、環境そのものが発する信号をヒントにして仕事の発想を変えることができないか。風や光や影のように、形にならない情報をどう読み取るか。そんな視点が加わるだけで、見慣れた道もまったく別のフィールドに変わる。視野を広げることは、実は新しい知識を増やすことではなく、今ある世界への感受性を少し変えるだけで十分なのかもしれない。
会社に着いた頃には、風に翻訳者がいるという仮説が頭の中で勝手に成立していた。風の揺らぎを言葉に置き換える存在がいるとしたら、どんな役割を持っているのだろう。人の気配をキャッチしてはそっと背中を押し、悩みが重なっている時には柔らかく包み込むような流れを作り、前に進むきっかけをそっと置いていく。そんな役目の誰かが世界のどこかにいると想像すると、なんだか仕事のモチベーションまで少し上がってしまう。
昼休みに外へ出ると、朝よりも温かい風が吹いていた。同じ風なのに、まるで別の人が書いた文章を読むように印象が変わっていく。環境の微妙な変化は、もしかしたら僕らが思っている以上にメッセージを発しているのかもしれない。仕事で煮詰まった時、ただの気分転換ではなく、周囲の変化に気付くことで自分の思考も切り替わる。風は見えないけれど、確かに存在していて、確実に何かを運んでくる。
帰り道の風は朝より少しだけ冷たかった。だけどその冷たさがまた別の言葉のように感じられて、今日一日がひとつの物語としてまとまっていく気がした。風が語る言葉は正確ではないけれど、その曖昧なメッセージをどう解釈するかは自分次第だ。日常の中にそうした余白を見つけられるだけで、仕事の景色が柔らかく変わっていく。そんな体験をした一日だった。